第14話

「ざまーみろ。胡人どもめ!」

「全員ぶち殺されちまえ!」

 壊滅しつつある上陸部隊を遠望して、何蛮のまわりの水夫たちが狂喜乱舞している。

「“鳥籠作戦”、うまくいきそうですね」

 頭巾姿の一人が涙声で言う。


「いかに天下最強をうたわれる騎馬軍団でも、こうして小さな島に閉じ込め、はしごを外してしまえば、その半分の力さえ発揮できないでしょう」

 頭巾姿の言う“騎馬軍団”とはつまり、隋建国の原動力となった武川鎮ぶせんちん出身者で構成される精鋭騎馬部隊のことだ。

 “鳥籠作戦”とは、それを琉球の海に誘い出して壊滅させる作戦、ひいてはそこから帝国そのものの転覆につなげていくという、遠大な計画だった。


 605年 海師・何蛮「春と秋の天清く、風静かなるとき、東方の海上かすかに煙霧の気が望める。幾千里あるか知れず」

 もともと江南地方で隋への反乱軍を率いていた何蛮は、ついにその年屈服した。

 おのれの“海”を前にして、楊広(煬帝)へこう進言したのだ。


 あれから三年。

 ようやく先遣部隊の派遣までこぎつけた。

 皇帝の親征まであと一息。

 その時にこそ、“鳥籠作戦”は成る。


 こうして“予行練習”をやるのも、部下たちへの求心力を保つためだ。

 かつての何蛮配下の海の男たちも、隋水軍からの切り崩しを受け、だいぶ目減りしている。

「皇帝は何時この海に?」

 その中にあって、かわらず絶対的な忠誠心を示してくれるのが、いま隣にある頭巾姿の男たちだった。


 伝染性の皮膚病を病み、鮫人こうじんなどと呼ばれて忌み嫌われている。

 本人たちも、正規軍には、自分の居場所などないと悟っているのだろう。

「わからん。それに、今後もこう簡単に成功するとは限らんぞ。島が小さすぎれば、全軍を上陸させることはしないだろう。かといって大きすぎれば、かえってそこを征服し、島から脱出されてしまう」

「難しいところですね」

「強欲なあの皇帝のことだ。世界のすべてを己の所有物にしなければすまんのだろう。必ずこの海に目をつけるはず。秦の始皇帝すら手に入れられなかった不老長寿の東方の国。我らの付け入る隙はそこにある。――だが、もうひとつ、何かが欲しい。一撃で事を決する、なにか、がな」

「………」

「暗礁、嵐、――なんなら海の化け物でもいいぞ」

 何蛮がめずらしく軽口を言うと、頭巾姿が包帯の向こうで笑った。


「――ん?」

「あいつは――」

 何蛮たちはふと海岸線の男に気づいた。

 たったひとりで胡人兵の円陣を破った男である。

 傲然と仁王立ちになり、こちらを睨んでいる。

 何蛮はつぶやく。

「琉球に、倭国。すまんが、お前の故郷には、地獄になってもらうぞ。“鳥籠作戦”、それはお前たちにも多大の出血を強いるだろう」


「やろう、俺の顔を見て、笑いやがった」

 吐き捨てるのはクモミズである。

「どうやら仲間割れしたみたいですけど、このまま逃げていくんですかね」

「逃がすかよ」

 押し殺したような声で言う。

「は?」

「ここは俺の海だ。好き勝手荒らされて、ただで済むと思うなよ」

「まさか大陸まで攻め込もうってんじゃ」

 配下が心配して言う。

「こいつらの兵装を見ろ。ただの海賊じゃねー。国の命令で攻めてきたんだ。ほっといたってまた来る」

「………」

「船の準備だ」


            ☆  ☆  ☆


「フーッ、一時はどうなるかと思ったぜ」

 こちらはコイチである。

 塩土翁からもらった櫂をこいで、島への帰途についている。

 幸いにしてそれほど流されておらず、目視できる範囲に島はある。


「それにしてもあの爺さん、なんだったんだろうな。本当に神様だったのかな」

 その“神”から、いろいろと手渡されたものがあった。

 まずは紙切れ。

 コイチは一文字も目にないが、なにやら重要なことが記されているらしい。

「飛鳥に行け、とか言ってたしな。国をやるとか、何とか。――まぁいいや」


 次いで取り出したのが、“マナシノカツマ”。

 竹細工の毬で、使用方法はさっぱりわからない。

 単なるおもちゃを呉れたわけでもなさそうだが、いじくっていると、不意にそれは膨張した。

「オワワ」

 ゴムかバネのように伸び縮みし、思いっきり引っ張ると、球形を維持したまま人一人が中に入れるくらいの大きさになる。

「す、すげー」

 と感嘆してみたものの、結局何に使うのか、わからずじまいだった。


 それにも飽きると、最後は傀儡人形の、“白太夫”。

 これは元からコイチの家船にあったものだが、爺さんは粗末に扱うなと怒っていた。

 であるからには、重要な代物なのだろう。

 その割には間抜けた面の人形である。

「まぁ、いいや」

 とそれをおっ放り出して、櫂の操船に集中すると、前方に巨大な船が現れた。


「船だ。でけー」

 しばし見とれて、すぐに自分が遭難の身であるのを思い出す。

「おぉーい! 助けてくれよ! 嵐に巻き込まれたんだ!」


 巨船はぐんぐんと近づいてくる。

 舳先に立った人間たちの顔立ちも、見分けられるほどの距離になる。

 船には、女船長然として、巨体の女性が立っていた。

 それはシコメなのだが、コイチには知る由もない。


「おぉい、助けてくれ! こっちだ!」

 コイチが声を枯らして叫ぶが、相手は地元の漁師の子供が戯れているとでも思っているのか、見向きすらしない。


 船と船がすれ違おうとした時、コイチは目を見張った。

「ハ……ル?」

 船縁にハルの姿があった。

「おぉい、ハル! 俺だ! コイチだ!」


 ハルもコイチに気づいた。

 気付くと同時に、すっと視線を逸らす。

 コイチは心臓が凍るのを感じた。

 ハルの傍らには美少年が立っている。


 それがコイチに気づくと、とるに足らぬ小船と見たか、侮蔑するように鼻を鳴らし、そっぽを向いた。

 二艘の船はすれ違っていく。

「ハル……」

 巨船のきざむ航跡が、コイチのちっぽけな船を翻弄した。


            ☆  ☆  ☆


 コイチが島に戻り着いたのは、日も暮れかけたころだった。

 砂浜で出迎えたのは、血まみれのイザヤ。

 体中のあちこちに傷をつくり、立っているのがやっとといった様子だった。

「コイチ、すまん、ハルを奪われた」


「へー、そうかい」

 コイチは何ら表情を変えることなく、テクテクと歩いていく。

「お、おい、訊いてるのか。ハルがさらわれたんだぞ!」

「聞こえてるよ」


「どうした、なんだその態度は」

 戸惑い、怒気をあらわにするイザヤに、コイチは冷酷に言う。

「おっちゃん、何そんなに慌ててんだよ。あいつはどうせ、自分からホイホイついていったんだろ。おとこ追いかけてさ」

「何を言っている――」

 コイチは天幕の陰にもぐると、手枕をして横になってしまった。


 あとは沈黙が訪れた。

 夕闇が徐々に島を包み込んでいく。


 パチパチと、焚火の爆ぜる音だけがこの世のすべてのようだった。

 月が中天にかかったころ、イザヤが重い口をひらいた。

「ハルの婚約者のこと、どうやら盗み聞きしていたようだな」

 コイチはイザヤに背を向けて、狸寝入りを決め込んでいる。

「だが最後までは聞いていなかったようだ」

「………」


「いいか、ハルの婚約者ってのは、人間じゃない。神だ。よくは知らぬが、スサノオという海の神様らしい。ハルはそれと結婚させられるのだ。つまりは生け贄だ」

「………」

「ハルは特別な生まれの子だったんだ。ハルの額に痣があったろう。あれは母親の胎盤をくっつけたまま生まれてきた証で、“皮被り”というらしい。皮被りで生まれた子供は、特別な能力を持っていて、ハルが鼠と会話できたのはそれが理由だ」

「………」

「そういう娘は、“神の嫁”としても価値を持つそうで、それゆえにハルをさらっていった奴らは、わざわざここまで追いかけてきたんだ」

「………」


 暴風の神・スサノオ、との神婚。

 それは嵐を自在に操る能力を得るということだ。

 ここから北にある倭国という国は、現在、海峡をはさんで新羅という国と戦争状態にある。

 嵐を操る能力――対外戦争で、渡海という行為が宿命となる島国倭国において、それは国の運命をも左右する。

 シコメが血眼になってハルを追いかけてきたのには、そういう理由があった。


「神と結婚させられる少女は、十中八九死んでしまうらしい。ハルがお前に冷たい態度をとったのは、お前を巻き込むまいと思ってのことだ」

「………」

「これでも助けに行かないってのか」


 コイチは背を向けたまま、反応しようとしない。

 だがイザヤには、コイチの気持ちは十分すぎるほどに伝わっていた。

 嗚咽に背を震わせ、鼻をすするコイチは、もう気持ちを固めていた。

 それを察してイザヤは、

「明日だ。今夜はゆっくりと休め」

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