第29話

「もう、駄目じゃ。この世の終わりじゃ」

「何をおっしゃられます」

 苦悩に顔をゆがませるのはシコメだった。

 懸命に励ますのは侏儒のさかし

「これは何という病であろ」

「さ、さぁ」

「見よ、食も満足に喉を通らぬ。げっそりとやせ細ってしもうたわ」


 賢の眼には、シコメは相変わらずの貫禄ぶりだったが、ここは沈黙を通すのが賢明である。

「よもや雷にうたれるとは、のぉ」

 シコメの話しによるとこうだ。

 子龍と連れ立って、隋の本営に向かう途中、雷にうたれたのだという。

 気付いたら子龍もハルも姿を消し、ひとり密林の中に倒れていた。

「青天の霹靂とはまさにこのこと。はぁ、子龍さまは無事であったか」

 賢たちが船を回航したころには、艦隊ごと消え失せていた。

「………」


 つまりは子龍に裏切られ、ハルを奪われたということなのだろうが、口が裂けても指摘できない。

 とにかく今は、シコメに“恋の病”から立ち直ってもらうほかない。

「シコメ様、お気を確かに。子龍どのの件は確かに無念でありましょうが、いまはハルでございます。新羅征伐が迫るなか、なんとしても“海鎮め”の儀式を成功させねば、息長一族の浮沈にかかわりますぞ」

「ワラワにはもう無理じゃ」

「シコメ様!」


「おぬしにはわからぬじゃろう。雷に撃たれた人間の気持ちが」

 はぁ、と深窓でため息をつく風情のシコメだ。

「か、雷」

 ここはもう現実を直視してもらうしかない。

「シコメ様! 雷はですな、つまり、えーと、そのー」

 途端に臆病風に吹かれる。

 遠回しに仄めかす作戦に切り替える。

「普通人間は、雷に撃たれてしまうと、死んでしまうのでは? つまり、シコメ様は雷に撃たれたのではなく――、し、しし、子龍殿に、だ、だまさ……れ……」

「はぁ、無粋なやつよのぉ。これだから、お前は――」

 あくまで現実逃避を決め込むシコメである。


 賢は意を決する。

「なんと情けなきお姿! これが四海に名を轟かせたシコメ様であろうか。否! かつて“海鎮め”の儀式を成功させ、みかどにも名を知られた女傑――」

「シコメ水軍はそなたに譲る」

「荒くれ揃いの海人どもを――、――?」

「全部そなたのものじゃ」

「………」

「船も、船員も、好きに使うがよい」

「!!?!??”??”」

 賢は我が耳を疑う。

「し、ししししし、シメ、シメ、シメコ、シコメ様、それはっ、つまりぃ」

「名も替えるがよい、さかしあらため、ゆずるではどうじゃ」

 賢の鼻からは、興奮のあまり鼻血が噴出しているが、本人はもはやそれどころではない。

「シコメ水軍が、それがしのものに……」

「これからはユズル水軍じゃ」


 賢の脳裏に様々なことがよぎる。

 人間の欲望、煩悩、その他諸々、走馬灯のように駆け巡り――

「シコメ様、それがしも今、雷に撃たれ申した」

「効くであろ」

「そりゃあ、もう。ビンビンに」


 賢あらため譲は、もういっぱしのリーダーの顔つきになっていた。

「よし、ユズル水軍の船出である! まずはハル、この居場所を探る。んでもって“海鎮め”の儀式を執り行い、ヤマトのお偉方にわしの顔を売り、出世し、娘ほどの年齢の美女を娶り、ウヘヘヘヘ。――、――ところで、シコメ様、ハルの居場所は……」

 今現在ハルの所在地は不明である。

 再びそれを探るには、“道敷の大神”の加護を乞わなければならない。

「おぬしでやりや」

 そっけなく言うシコメである。


 “道敷の大神”、すなわち“黄泉大神”、死の神である。

 すでに五十の坂を越えた賢(譲)。

 これ以上寿命を削ったら、死に追いつかれるどころか、追い抜かれるかもしれない。

「………」


            ☆  ☆  ☆


「うむ、なかなかに盾さばきが様になってきたか」

 護は満足げに目を細める。

「だろ? じゃあ、もういい加減、武器の使い方を教えてくれよ」

 コイチがせっつく。

「じゃが、まだまだだな」

「なんだよぉ」

「おい」

 すぐ近くの岩場で、太公望を決め込んでいたイザヤが不意に口を開く。

「――?」

 その視線は遥か南方の沖合に向けられている。


「なんだ、あれ」

 水平線にゴマ粒がまき散らされたような点があった。

 しばらく様子を見ていると、どうやら船団のようだ。

 みるみる大きくなってき、島のすぐそばを通り抜けていく。

「なんじゃぁ、これは」

 琉球の島人は、基本あまり島から出たがらない。

 ヤコウガイ貿易でこの辺の海域を訪れる護は、それをよく知っていた。

 それが百は超える数で北上していくのだ。

 よく見るとその表情は恐怖に引きつっている。


「おおい、なにがあったぁ!」

 護が一番近くの船に声をかける。

 その船は一家総出で北上しているようだった。

 家主らしき壮年の男が答える。

「あんたらも逃げろ、大陸の者どもだ。化け物をつれている。人食いの化け物だ!」


 それだけでコイチたちには状況が分かった。

 隋兵が再度攻めてきたのだ。

「イザヤのおっちゃん、護のおっちゃん……」

「うむ、修業は終えておらぬが、来るべき時が来てしまったようだ」


 コイチは慌てて岩場から降り、海水に浸る。

 黒い手は相変わらず姿を見せてくれない。

 まだ、死への恐怖を克服していないのだ。

「どうするな」

 護は岩の上に仁王立ちになって、コイチを見下ろす。

「でも、あいつらのとこに行けば、きっとそこにハルもいるはずだろ」


「行くことはできるかもしれん。だが、護ってやれるのか? おのれの命を投げ出してでも」

「そんなの……」

 コイチはうつむく。

 おのれに正直になればなるほど、自分が分からなくなる。

「まぁ、たった十歳で答えを出せというのも酷じゃろ。戦い、傷つき、負けを知り、隼人の男は強くなっていくのだ。これも、試練なのだろう」

「俺、行くよ。今度こそちゃんと戦って見せる」

「よういうた」


            ☆  ☆  ☆


 同じ難民の船団は、奇しくも裴洋とハルの島にも押し寄せていた。

 帰る方途すら失っていた裴洋だ。

 逃げ惑う琉球人を見てほくそ笑む。

「運が向いてきたようだぞ、爺」

「ええ、そうでございましょうとも」

「主人公の俺様の、価値ってやつを、クソ高く売りつけてやる」

「ダメでしょ、そんな汚い言葉つかっちゃ」

「す、すまん」

 すっかりいいコンビになっている裴洋とハルだ。

 だが今回ばかりは、裴洋の眼差しは遥か大海へと向いていた。

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