第28話

「危険でございます!」

 子龍が諫言してくる。

 楊広はこの容姿端麗な若者が気に入っていた。

 野心があって、かつそれを隠そうともしない。

 有能でなければ、野心など抱きようがない、そう自認しているらしいのが見て取れる。

 出身こそ低いが、それゆえに忠誠心が強く、密偵のような汚れ仕事も厭わない。

「何蛮どのには、いや、奴には、策があるのです」


 子龍は心中悩む。

 いきなり“謀反”という言葉を使うのはためらわれた。

 いま少し証拠を集めたかったのだが、自分の知らないところで撤退が決められていた。

 茴那と猪利祖は、なにごともなかったかのように何蛮の配下に戻っており、肝心の裴洋は、あの小娘とともに姿を消している。


 “嵐を操る少女”。これについて言及すべきか否か――

 楊広が口を開いた。

「策というのは、“鳥籠作戦”のことか?」

 子龍は絶句する。

「ご存じで」

「知らいでか」

「で、ではなぜ……」


 琉球への親征をにおわせるような言葉を何蛮に与えたのか。

「ふん」

 楊広は玉座に深く身を預ける。

 金銀宝石、象牙、香木、ありとあらゆる高価な材料を使用して作られた玉座。

 決して座り心地の良いものではないだろうが、なんとその座の似合うお方か。

「我の暗殺計画――、帝国の転覆策――、そんなもの、数えれば両手両足の指でも足りぬわ」

「しかし――」

「毒すらも食ろうて、薬とする腹くらい持たねば、天下など御せぬ」


 子龍は面を伏せる。

 もはや自分などが想像できる次元の話しではない。

「武川鎮出身の豪族どもはな、我が父を“少しばかり出世した同僚”くらいにしか考えていなかった。我はその、ただの息子よ」

「………」

「やつらにとってはな」

「ですが……」

 子龍の言葉をさえぎって、楊広が言う。

「もしこの王朝が倒れることがあるなら、新しき覇者は、同じく武川鎮出身の者から出るであろう」

 容易ならぬことを、このお方は口にしている。


「“鳥籠作戦”、つまりは、皇帝直属の武川鎮騎馬軍団を海に誘い込んで、壊滅させるというのだろう」

「………」

「面白いではないか。父はまさにそのために、府兵制の整備を急いだのだ。皇帝を同僚としか思わぬ、奴らの力をそぐためにな」


「まさか、わざとその策に嵌ってみせると」

「そこまではせぬ。そこまではな――」

 子龍は楊広の胸の内が読めない。

 あるいはそれは、楊広自身の迷いのせいなのかもしれなかったが――

「あいつは海で馬を育てよと進言してきよった」

「何蛮が、そのようなことを――」

「手つかずの馬。皇帝直属の牧だ。なんとも気宇壮大ではないか」

 楊広の瞳が子供のように輝く。

 魅力を感じているのはあきらかだ。


「高麗か、倭国か、どちらにせよ、征するには数十万の兵が必要となるだろう。時間がかかる。――子龍よ、一年の猶予をやる。来年(609年)をもって、我は自ら軍を率いる。どこを攻めるかはまだ決めておらぬ。その矛先に容喙したくば、成果を見せよ」

「はっ」

「今一度の、琉球出兵を命ずる。だが正史には残らぬ、秘密裏の出兵だ。思う存分にやってみるがよい」

 子龍は感激と緊張に面を伏せた。


              ☆  ☆  ☆


「違ーう!」

 砂浜に叱責の声が飛ぶ。

「こ、こうか?」

 貝斧を振り回すのはコイチだ。

 指導しているのはまもる

 シコメ水軍から一時離れ、コイチの育成にいそしんでいる。

 イザヤが面白そうに隼人族二人の師弟を見守っていた。


「何度言えばわかる。盾だ、盾! おぬしはまだ童なんじゃから、まず防御を考えよ!」

 コイチが持たされているのは、“隼人の盾”といわれるものだ。

 ヒノキ製で、長さ150㎝、幅50㎝。上部が山型にカットされ、ギザギザの鋸歯紋や、わらびのような渦巻き模様が描かれている。

「そんなこと言ったって、攻撃しなきゃハルは取り戻せないだろ」

 反抗的な弟子に、護は天を仰ぐ。

「そもそも隼人はな、宮廷の守護人なんじゃ。その起源は古く、ヤマトの初代大王であられるイワレビコ様の祖父君の海幸彦さまがだ……」

「百回くらい聞いたよ、それ。耳に大ダコができた」


「タコでもイカでも、おぬしが盾の使い方をおぼえるまで、何度も言うぞ!」

「へいへい」

「なんじゃ、その気のない返事は。んでもって、ハチマキがずれておる!」

「ハチマキ苦手なんだよな」

 コイチは額に手をやる。

「ハチマキは隼人の象徴じゃ! 出直してこい!」

 ゴツンとどつかれるコイチだった。


              ☆  ☆  ☆


 どこだかの島。

 半裸の男は海に漕ぎ出し、女子供は網の手入れに忙しい。

 そんなどこにでもあるような海村の風景が広がっている。

「俺たち絶対忘れられてるよな」

 ボヤくのは裴洋である。

 流れ者としてすっかり村に溶け込んでいた。

「雌伏の時でございますぞ、若」


「爺の“雌伏”は聞き飽きた」

「ほら、ほら、手がお留守になっています」

 ハルの叱責が飛ぶ。

「人間万事塞翁が馬、か。泣きたくなってきた」


              ☆  ☆  ☆


 年が明け、三人の男たちが再び琉球の海に戻っていた。

 朱寛、何蛮、子龍。

 率いるは前回と同じく一万の兵と艦隊、しかし今回は朝廷非公式の出兵である。

 虐殺だろうが何だろうが、後世の筆誅を恐れる必要がない。


 総司令である朱寛は、自信をのぞかせる。

 戦闘行為禁止という足枷がはずれた今回は、好き勝手に暴れるつもりでいる。

 気持ち、船酔いにも慣れてきた気がする。

「住めば都か。案外ワシ、海軍に向いているのかもしれんな」


 自信の源はほかにもある。

 まずは王震おうしん

 天下最強の剣士と名高いこの男が、今回は護衛についた。

 無数の刀創が刻まれた顔と肉体は、味方でさえも戦慄させる。


 ついで鄭牙ていが

 パッと見は顔色が悪いだけの痩身の男だが、とある特殊な技術を継承しているのだ。

「大丈夫なのだろうな」

 朱寛が鄭牙に声をかける。

「お任せを」


 鄭牙は頼もしげな返事とともに隣の船を見やる。

 その船には、鄭牙の部下20人と、同じ数だけの檻が積まれている。

「使えるのだろうな? 虎は」

「虎ではございませぬぞ! 朱寛さま。貔虎ひこでございます」

 うんざりとした顔を朱寛は浮かべる。

「虎は虎だろう」


「似て非なるもの。そもそもですな、ひときわ勇猛な虎に、人肉を与え続けると、貔虎ひことなるのです。人肉に酔うている、といってもいいでしょう。古には軍用に使われたのですが、扱いが難しく、技術を継承するのは我らのみとなってしまいました。なにしろ、人の肉と見れば、敵も味方もありませんからなぁ、ヒヒヒヒ」

 不気味な笑い方をする。

 むしろ人肉に酔っているのは、この男ではないかと勘繰りたくなる。


「しかし戦場が島ならば関係ない。貔虎ひこを数頭も放てば、大概の島は陥落いたしましょう。人間の兵がわざわざ手を煩わすこともございませぬ。ウヒヒヒヒ」

「よ、よし、いまより琉球の島々すべてを制圧する。逆らうものは容赦せぬ。んでもって手頃な島を陛下の別荘地として進呈いたすのだ」

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