第34話
「たった一人で乗り込んできたのか?」
「あぁ、見ての通りだ」
愚かというべきか、無謀というべきか、子龍は苦笑する。
「てめぇが
「だとしたら?」
クモミズはあっという間に隋兵たちに取り囲まれる。
当然だ。
玉砕覚悟で敵艦に乗り込んでみたものの、雑兵相手に斬り死にするつもりはない。
――蛇は、頭をつぶせば終わりだ。
クモミズは目の前の男ふたりを見やる。
片方は、身に着けた甲冑、雰囲気、それらから将たるべき器を感じるが、いかにも若すぎる。
――違うな。
次いで、その男の隣で腰を抜かして震えている太った男。
――こいつか。
でっぷりと太り、ひときわ豪華な甲冑を身にまとっている。
権力を手にした人間というのは、全世界共通らしい。
虚栄心とともに膨れ上がった、虚飾。
身分不相応に手にしてしまった力に、その埋め合わせをするように、ゴテゴテと着飾る。
標的は定まった。
あとはおのれの命と引き換えにこいつを殺すだけである。
――またイサフシさんにどやされるな。あの世で詫びるしかない。
――サエにも。
「その勇気は褒めてやる」
子龍が言った。
クモミズを取り囲む包囲陣はすでに完成している。
逃げ場はもうない。
朱寛がようやく己を取り戻す。
「勇気だと、このようなものを蛮勇というのだ。蛮族にふさわしいわ。――!?」
☆ ☆ ☆
「お、おい、なんの音だ?」
ガン、ガン、舟板を伝うように響いてくるものがある。
火矢攻撃をしのぎきり、ほっと一息ついたところだった。
甲板は油にまみれ、焼け焦げた帆布、火傷した船員も若干名出た。
ガン、ガン!
周囲の船を見回すと、声こそ互いに届かないものの、似たような狼狽をみせている。
全ての艦船の船員が同じ音を耳にしているらしい。
「地獄の蓋を叩いてるような」
「縁起でもねーとこいうな」
船倉から声があった。
「何者かが船に取り付いている!」
「船底が破られるぞ!」
「クソ、冗談じゃねーぞ」
艦隊が一瞬にして混乱に包まれた。
単純にして、破壊力は抜群だろう。
船殻という構造が発明されていないこの時代、船底がどこか一箇所でも破られると、即沈没が待っている。
何万の兵士を擁していようと、海の藻屑になるしかない。
「海に飛び込め!」
☆ ☆ ☆
朱寛はおのれの目を疑った。
すぐ隣の船が傾きつつあるのだ。
といって火の手も上がっていない。
「浸水だ!」
そんな悲鳴も聞こえてくる。
すでに自艦を諦めたのか、海に飛び込む兵たちもいる。
いや、健在の船からも兵士たちが飛び込んでいる。
「ど、どうやって」
敵に聞くのも愚かだが、朱寛は思わず口にしていた。
クモミズはニッと笑う。
「うちの仲間は、鮑を獲るのが得意でね。なに、てめぇらの船にこびりついた貝を、鮑と見間違えたんだろう。大事だぜ、船の手入れはよぉ。すぐに船足が鈍っちまう」
――ギャー!
今度は海面のあたりから悲鳴が上がる。
――ウワァー!
隋兵とクモミズの仲間の戦いが水中で始まったのか。
――く、来るなァ!
にしてはあまりに凄まじい悲鳴だ。
朱寛は海面の様子を確認したい衝動にかられたが、一瞬でも目を離すと、入れ墨の男が襲い掛かってきそうで、出来ない。
朱寛の狼狽を見て取り、クモミズはうそぶく。
「お前らの中にも、でっけぇ猫を操る奴がいるだろう。こっちにも似た奴がいてね」
「なんのことだ」
「鮫だよ。――見てみな」
朱寛が恐る恐る船縁に近づき、下を見やると、無数の鮫がかつて人間だった肉の塊を、奪い合い、食い散らかしているところだった。
一頭の鮫がその巨躯をふるわせると、勢い余ってちぎれた隋兵の首が朱寛の目の前を吹っ飛んでいった。
朱寛は思わず嘔吐しそうになる。
クモミズが己の腕を覆う入れ墨を誇示する。
「これはな、伊達じゃねー。鱶除けの入れ墨だ。俺の仲間だけは鮫も襲わねー」
「おのれ!」
「鮫を呼び寄せたのは、お前ら自身の蛮行ゆえだ。思い知れ!」
クモミズはダッと甲板を蹴り、朱寛に襲い掛かった。
武器は櫂ではなく、隋兵の剣だ。
船上では“砂瀑”は使えない。
正攻法で屠るしかない。
朱寛は怯えて立ちすくむだけだ。
もとより脂肪にまみれたその身体、武芸に向いているとはいいがたい。
立ち向かう気配を見せたのは子龍だ。
だがこちらも剣の扱いは不得手なのか、構えが様になっていない。
子龍たちに迫らんとした寸前、クモミズは横合いからの殺気を感じ、とっさに飛び退いた。
殺気を当てられたというより、その爆発で吹き飛ばされたような感覚だった。
初めて見る顔。
先ほどまで甲板にいなかった兵士だ。
「おぉ、王震か、馬鹿者め、なにをしておった。敵じゃぞ」
「寝ていていいとおっしゃったのは、朱寛さまでございますぞ」
これだけの騒ぎの中で平然と寝ていたというのか、人をくった態度にもほどがあるが、容易ならぬ武の持ち主であるのは、今しがた発した殺気と、全身から顔面までをおおう刀創であきらかだ。
「敵というのはこの者ですか」
王震が観察するような眼をクモミズに送る。
体格でいえば180㎝のクモミズがやや上回る。
筋肉の厚みでも、同様にクモミズに軍配があがるだろう。
が、王震は一瞬にして相対する敵の力量を悟ったかのように、関心の色を薄くした。
「てめぇ」
侮られた、とクモミズにはわかる。
「いや、勘違いしないでくれ。立派な体つきだ。力比べをすれば、こっちの方が分が悪そうだ。しかしな、いかんせん、――ちなみにそっちの生業はなんだ? いや、すまん。聞くまでもなかったか。海に生きる漁師、か」
「………」
「そっちの筋肉の付け方は、まさに漁師のそれだ。力はあっても、武芸はしょせん付け焼刃にすぎない。だがこっちは、本職の武人だ。そっちに勝ち目はない」
「やってみなけりゃわからんだろ」
「すまんが、それは侮辱というものだ。こちらも魚釣りを趣味程度でやる。その俺が、そっちより海に詳しいと言えば、怒るだろ。それと同じだ」
「生き死には仕事じゃねぇ!」
クモミズは甲板を蹴る。
本来ならば、艦隊が混乱している今のうちに、総司令官である朱寛の首を獲らなければならないのだが、どちらにしろこの目の前の男を倒さないことには、指一本触れさせてもらえそうにない。
袈裟に斬り込んで、クモミズは瞠目する。
避けられた、という感覚ではない、相手が身体ごと“ずれた”のだ。
力任せに今度は横に薙ぎ払う。
またしても空を切る。
王震は反撃しようともしない。
――クソ
相手の大言壮語が虚言でなかったことを知る。
「これで驚くのか。これはまだ“五寸の見切り”だ。さすがの俺でも、島夷の剣筋までは分からんのでな。いわば、様子見だ。だが、なんとなく見えてきたぞ」
グオッ!
クモミズはやたらめったらに剣を振り回す。
重量のある鉄製の剣が、棒切れに見えるようなすさまじいまでの膂力だ。
だが、相手に触れることすらない。
「――これが“四寸の見切り”。――“三寸の見切り”。――“二寸”。――“一寸”」
王震の身体の動きは、数字に比例するようにして、小さくなっていった。
「そしてこれが――」
王震がつぶやくと同時に、クモミズの剣が王震の肩を削った。
ペラリと金箔のように皮膚が剥がれ落ちる。
「“皮下の見切り”」
クモミズは今にして悟る。
王震の身体が傷だらけなのは、敵と伯仲の戦いを繰り広げてきたためではない。
実力差を思い知らせるために、わざと斬らせてやっていたのだ。
「化け物か」
「そうだ。数千年にも及ぶ治乱興亡の歴史。その中で磨かれてきた武芸。俺はそれが生み出した化け物だ。平和な島でぬくぬくとやってきたお前らの武技など、子供の遊びに等しい」
手向けの言葉のように言うと、王震はクモミズの顔面に刀の柄を叩き込んだ。
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