第4話

「じゃあ、ハルは母親を探しているのか?」

 夜、イザヤとハルが焚火を囲んでいる。

 漁師の息子だというコイチのおかげで、魚ならいくらでも手に入るようになっていた。

 食料の心配はこれでとりあえずなくなった。

 一ヶ月分にはなる魚貝の干物もすでに出来上がりつつある。

 そのコイチは「ションベン」といって暗闇の向こうに消えていた。


「空と海がくっつく場所に母様の国があって、そこに帰っていったって」

「ずいぶんと曖昧だな」

 イザヤの語学力は実際驚嘆すべきものだった。

 一度聞いた言葉は完璧に記憶の箱の中にしまわれるらしい。


「でも……、もういいんです。本当は、母様は……」

「話したくなければ、無理しなくていいんだぞ」

 ハッとしたイザヤは、会話を打ち切るように、枝を折って焚火にくべる。

 螢のように舞い上がった火の粉が、悲し気なハルの顔を一瞬だけ照らす。


 ――空と海が接する場所、水平線の彼方ということか。

 そういう詩的な言葉で、〈あの世〉を表現しているのだ、この民族は。

 つまりはハルの母親はすでに亡くなっているのだ。

 俯いた長いまつ毛の下に隠れた、痛ましげな瞳を思って、イザヤは話しの接ぎ穂をさがす。

 

 と、コイチが藪の中から姿をあらわした。

「ふ~、長いションベンだった。水不足だってのに――、ン?」


「それはそうと、ハルとコイチは知り合いじゃなかったんだな」

 コイチは自分の名前を耳にしてとっさに岩陰に隠れた。

 自分でもなぜそうしたのかよく分からなかった。

 いや、分かっているのだ。

 ハルが自分のことをどう思っているのか、そればっかりが彼女と出会って以来、コイチの頭の中をグルグルと駆け巡っていた。


「どうって言われても」

 ハルは困惑気味だ。

「危ないところを助けてもらったんです」

「だけどあいつは完全に惚れてるだろ」

 ――いいぞ、イザヤのおっちゃん。

 岩陰でコイチはひそかにガッツポーズをする。


「で、どう思ってんだ? ハルは」

 イザヤはニヤニヤと追い詰める。

 強いて話題を変えようというイザヤの思いだった。

「どうって言われても。あたしたち子供ですよ」

「いいだろう、暇なんだから」

 あまりにもあけすけなその言い方に、ハルは思わず苦笑いする。


「婚約者?」

 不意にハルの口から飛び出したその単語に、コイチは真っ青になる。

 パキッ、と枝を踏んで音が鳴る。

「コイチか?」

 イザヤが岩陰をのぞくがそこには誰もいない――



 数日後、小さな島は土砂降りの雨に見舞われていた。

「急に降ってきたな」

 真水が不足する状況では、恵みの雨である。

「竹筒ももっと用意しとくべきだったな」

 イザヤが天を仰いで舌打ちする。

 30個ほどの竹筒が地面に据えられ、飲料水をためている。


「俺が切り出してくる」

 コイチが鉈を手にすると言う。

 ここ数日、コイチは元気がない。

 もちろんそれは、ハルの〈婚約者〉のことで傷ついたためであったが、イザヤもハルもそんなことは知る由もない。

「濡れるぞ」

「大丈夫」


 言い捨てて、コイチは島の中央部の、竹藪があるあたりに向かった。

 バキッ! ザシュッ!

 鬱憤を晴らすようにコイチは鉈を振るう。

『コンヤクシャ? どういう意味だ?』

 首をかしげるイザヤに、ハルが丁寧に説明してやる。

『なるほど、そういう相手がいたのか』

 コイチの脳裏で何度もそのやり取りが反芻される。


「ちぇっ、なんだよ。ちょっとばかし可愛いからって、調子に乗りやがって。俺だって全然好きじゃなかったんだからな」

 コイチは、手にした鉈をやたらめったらに振り回しながら先に進んでいく。

 と、木の根っこに足を取られ、転んでしまう。

 痛て、と顔を上げると、そこに驚愕の光景を見出した。


「大変だーッ!」

 家船の帆を屋根代わりにした基地に、一目散に逃げ帰ってくると、コイチは喚きたてる。

「大変だ! 大変だー!」

「どうした、そんなに慌てて」

 コイチの様子は尋常ではない。

「た、たた、竹に花が咲いてた」

「? それがどうした」


 コイチの脳裏に、祖母の言葉がよみがえる。

「ばっちゃんが言ってたんだ――、竹という植物は百年に一度だけ花を咲かせる。そしてその年はとんでもねーことが起こる――って」


 説明されても、イザヤにはチンプンカンプンだ。

「つまり、どんなことが起こるんだ?」

 改めてそう訊かれても、コイチには説明のしようがない。

 巨大な化け物が襲ってくるとか、天変地異が起こるとか、そんなことを子供同士で言いあっていたが、結局分からずじまいだった。

「とにかく、とんでもねーことだ。俺、はやくこんな島から出たいよ」

 よっぽど恐怖を刷り込まれていたのか、涙目になって訴えるコイチに、イザヤは、

「まぁ、水も食料も十分に確保できたし、この島から出るべき時がきたか」


 翌日、改めて今後の方針を確認し合った。

 東西南北、どこにも島影は見られない。まさに絶海の孤島だ。

 コイチも嵐に巻き込まれたせいでここがどこら辺の海域か見当もつかないという。

「だけど多分南の方へ流されたのは確実だと思う。北へ向かえばいいんだ」

 貧弱な船、乏しい真水でこの大海に漕ぎ出すのは勇気がいるが、かといってここに留まってもじり貧になるだけだ。

「とにかく人のいる島まで向かおう、コイチ、船の修理箇所の確認をしてくれ。ハルは魚の干物の取り込み――」


「動くな!」

 イザヤが突然声を張り上げた。

 コイチとハルが凍り付く。

「な、なんだよ、おっちゃん、急に……」

「動くなよ」

 押し殺した声で告げる。

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