第20話
唯一絶対の女王であるシコメを人質に取られたら、もはやどうしようもなかった。
「し、シコメ様」
「おのれ、ただで済むと思うなよ!」
「武器を捨てろ、……っても、もう全部取られたか」
猪利祖は茴那の分も含めて7本の槍を肩に担いでいる。
「安心しろ、こんなブヨブヨのババアを攫っていくつもりはない。――猪利祖」
猪利祖を顎で促し、ハルを捉えにかかる。
ハルに魔の手が及ぼうとしたとき、
「貴様ら、なにをやっている!」
現れたのは子龍だった。
裴洋をはじめ、十数人の部下を従えている。
茴那と猪利祖、何蛮に忠誠を誓っているとはいえ、形式上の上官は子龍である。
「勝手なことは許さんと、あれほど言っておいただろう」
「ちっ」
舌打ちして、そっぽを向くその姿は、とても軍隊の上官と部下の姿ではない。
「その者を離せ。撫民が終われば、琉球人とて皇帝陛下の臣民なのだ」
「へい、へい、上官様」
茴那は短刀を収めるが、それだけでは済まなかった。
猪利祖ともども、たちまち重武装の兵士たちに取り囲まれる。
「なんのつもりだ!」
「言っただろ。この島の琉球人はすでに隋の臣民となった。それを傷つけることは、陛下への謀反とみなされる。出港前に、軍律として訓戒していたはずだが」
茴那は憎悪に燃える目を子龍に向ける。
「やれやれ、やはりお前らは、軍隊生活には向かんようだな。ただの荒くれ者だ」
「………」
「安心しろ、これからみっちり集団生活の基礎を叩きこんでやる。――おい」
子龍は命じて、手錠のような拘束具を持ってこさせる。
十数人の重武装の兵士に囲まれては、さしもの茴那たちも、大人しく服するしかなかった。
「ちょっと待ったぁ」
とそこへ、突然ひとりの男が割り込んできた。
圓である。
「その前にやることがある」
「なんだ、復讐のつもりか」
痛めつけられた琉球人が、なにか仕返しをしようとしているのか、兵士たちが警戒する。
「違う!」
圓は何を思ったか身に着けていた布甲を脱ぎ始める。
それを猪利祖に差し出すと、
「おいおい、何の趣味だ?」
圓は賢を呼び寄せて通訳させる。
「なに言ってるんだ! 男と男が拳を交わしたら、あとは
「そうなのか? そんな文化なのか?」
茴那があきれるが、猪利祖はもう脱ぎ脱ぎしていた。
「応じてる!?」
猪利祖との甲冑交換を終えて、圓は満足したようだ。
一方の猪利祖は、どう考えてもサイズが合わない。
ためつすがめつすると、背中に、『醜女様命』と刺繍されている。
「お前、絶対損してるぞ。その
一方、解放されたシコメはというと、突如あらわれた救世主に、さっきから目を♡にしている。
面食いのシコメを一瞬にして夢中にさせるほど、子龍は端正な姿をしていた。
軍人というよりも、エリート官僚といったたたずまい。
「あ、こ、これは、なんとお礼を言っていいやら」
シコメは十も二十も若返ったかのように、もじもじしている。
書き忘れていたが、シコメは40歳である。
「いや、なに。我らは隋に所属するものだ。今回この琉球を訪れたのは、他意あってのことではない。琉球の民人に、進んで、皇帝の徳化のもとに入ってもらいたいがためだったのだ。皇帝の勢威はすでに天下にあまねくひろがっている」
「はい、なんなりと。領土にでも、なんにでも」
「シコメ様、そんな軽々しく……」
外交問題になりそうなことにあっさり首肯するシコメに、賢は頭を抱える。
部下の一人が子龍のもとへやってきて、茴那たちに拘束具を付け終わったことを報告した。
「よし、では、先に本営へ連れていけ」
「はっ」
大人しく連行される茴那たちを目で追っていき、ふと子龍が視線を巡らせると、後ろ手に縛られたままのハルを見つけた。
部下に連れてこさせる。
ハルは案外元気そうである。
怖気る様子もなく、子龍や裴洋のきらびやかな甲冑に目をやっている。
「すまなかったな、お嬢ちゃん。怖かったろう」
ハルを縛った犯人を、茴那たちだと思っているらしい。
あの二人は元人買いだった。
そうした人材に頼らざるを得ないほど、騎馬民族が建国した隋の水軍組織は、発展途上だった。
「お嬢ちゃんだなんて、いやですよ、年寄りをからかうものでは」
「いや、シコメ様のことでは――、そもそもシコメ様は、漢語は話せないはずじゃ」
目が♡のシコメの耳に、賢の言葉など入らない。
「だめだ、設定すら壊し始めた、この人」
子龍はハルの縄を解こうと手を伸ばす。
と、慌ててシコメが止める。
「いや、それはワラワたちがやったもので――」
「――? まさかあなた方は、人買い船か?」
途端に子龍の表情が険しくなる。
「アワワ、め、めっそうもない」
あらぬ疑いをかけられて、シコメは両手を振る。
「この小娘、実は特別な存在でして」
シコメはハルの生まれと神婚の儀式について説明する。
☆ ☆ ☆
同じころ、はるか離れた島で、何蛮が地元の漁師をつかまえ、尋問していた。
「そ、そりゃぁもう、恐ろしいとこだ。一度それに巻き込まれたら最後、二度とは出てこれねぇ」
「そんなことがあるのか」
「誰もあそこにだけは近づかねぇんだ」
眼前に地獄を見るような表情で、老漁師はがくがくと震える。
☆ ☆ ☆
「では、この
「ええ、そうでございますとも。巨大な嵐。いったん巻き込まれたら最後、いかなる船でも脱出は不可能になるのでございます。かくいうこのワラワも、若かりし頃、今よりもさらにずっと可愛かったころ――、同じように――」
シコメの話しなど子龍はとうに聞いていなかった。
脳裏にひらめくものがあった。
何蛮は隋軍を壊滅させたがっている。正確に言うと、皇帝の直属部隊である、武川鎮騎馬軍団であるが――
どういう方法をとるつもりかは分からないが、もしこの嵐が操れるという小娘の情報がそれとなく何蛮の耳に入るようにすれば、どうなるか。
“鳥籠作戦”の重要なピースとして飛びつくに違いない。
これこそ謀反の決定的な証拠となる。
子龍は内心ほくそ笑む。
――やつさえ蹴落とせば、自分が何蛮水軍を掌握できる。
府兵制の完備しつつある陸軍と違い、水軍はいまだ未熟である。
だからこそ自分のような下層出身の人間でも、一足跳びに出世できる機会があろうというものだ。
そして、それをみすみす逃す自分ではない。
数瞬の沈思から戻ってくると、子龍は持ち前の端正な顔に笑みを浮かべる。
「シコメ殿。どうでしょう。償いといっては何ですが、我々の本営までお越し願って、お茶でも」
「お、お茶」
シコメはもう卒倒寸前になっている。
喫茶文化が日本に普及するのははるか後代である、“茶”がなにかすらよく分からないが、もはやそんなことはどうでもいい。
書き忘れていたが、シコメは未婚である。
「シコメ様、さすがにそれは危険ではありませぬか。この大陸の者どもがいかなる魂胆で――」
「えぇぃ! お黙り! 来たくなければ、来ぬでいい」
「シコメ様……」
もう誰もシコメを止めることはできなさそうだった。
「本営はこの島の反対側にあります。配下の皆様には、船でそちらまで廻航していただいて、シコメ殿と、このお嬢さんとは、我々がお送りいたします」
と、いうことになった。
通訳は裴洋で足りるということで、賢もシコメによって船に残される。
しばらく森の中を行ったところで、
「シコメ殿」
「は、はひ」
ピクニック気分のシコメは声が裏返っている。
「すみませんが前言を撤回させてもらいます」
「前言? どの前言でございましょう」
子龍は答えの代わりに、剣の柄をシコメの脾腹に打ち込んだ。
「し、子龍殿、なんだか、気が……、遠く……」
シコメはあえなく気絶した。
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