第50話

「なんだよ、ウミネジンって」

 眼前の光景に目を奪われながら、イサフシたちが口々に問いただす。

海鼠ウミネジンじゃ。流木や船に乗って海を渡ってくる鼠」

 言われてイザヤたちが思い出すのは、例の島流しにあった鼠だが、イザヤとコイチは顔を見合わす。

「それがあれだってのか?」

「無論、それだけでは大した問題にはならん。恐ろしいのは、辿り着いた島に、鼠の天敵になるような動物がおらなんだ場合じゃ。鼠は一年に5、6回も子を産む。新しく生まれた子鼠も、3か月ほどで繁殖できるようになる」

「それを捕食しない相手がいないと、ってことか」

 イサフシの言葉に老人がうなずく。


「にしても、あれだけの数……」

「さらに恐ろしいことがある。誰ぞ、竹に花が咲いておるのを見ておらぬか」

「竹の花? それならコイチが見たぞ。この島ではないが」

 イザヤが言う。

「あぁ、俺が見た。竹に花が咲くと、化け物が襲ってくるって」


「むぅ、まさにそれじゃ」

「じゃあコイチが言ってた化け物は、海鼠ウミネジンのことだったのか」

「竹は、百年に一度だけ花を咲かせる。同時に実も成るのじゃが、これが鼠の大好物でな、栄養も満点ときておる。鼠はそれを喰らって、ひたすら子作りに励む。じゃが食べ尽くすと、今度竹の実が成るのは百年後。自然がもつ許容量以上に増えてしまった鼠は、やがて森を出て人里に降りてくる。家畜を襲い、作物を襲い、果ては人をも襲い、最後は親兄弟同士で共食いを始めるんじゃ」


「聞いたことがあるぞ」

 イサフシの仲間が震え声で言う。

「俺の爺さんが、若いころ遭難してウミネジンに襲われた島に上陸しちまったんだ。その島には草木一本生えず、人や動物や鼠の白骨で出来た山の上に、人間の赤子ほども肥え太った鼠が一匹いて、爺さんと目が合うと、ニヤリと笑ったんだそうだ」

 男は自分が見た光景であるかのように震えている。


「もうお仕舞じゃ」

 島長の老人は絶望の呻きをもらし、砂をにぎりしめる。

「大陸の兵のみならず、ウミネジンにまで襲われるとは。この島は、死んだ……」

「いや、待て」

 イザヤが声を上げる。

「食べ物ならあるだろう」


 その場の全員が、イザヤの言葉の意味するところを悟り、ハルの方に目を向ける。

 食べ物なら、ある。

 それも一万の兵士を養うに足る膨大な量の食料が。

「ハルーーーッ‼」

 コイチが声を限りに叫ぶ。

「分かってるー!」

 ハルから返ってきた答えがこれだった。


 ハルは爺に肩車されたまま、鞭を取り出す。

 熊蔓で作った鞭だ。

 それでピシピシと爺のお尻をたたくと、鼠の大群ごと方向転換させる。

 向かうは入り江に係留された隋の艦隊だ。

「ほら、ほら、急いで、急いで、逃げられちゃう!」

 ピシッ、ピシッ。

「ひいぃぃー!」

 爺は馬車馬のように鞭でしごかれ、もはや隋の軍隊に突撃していく恐怖を忘れているようだ。


「――。ハルのやつ、もう鞭使いが様になってきてるな。――苦労するぞ」

 久しぶりに再会したハルの姿に、イザヤは若干引き気味だ。

「………」

 コイチはコイチで、尻に敷かれる自分の姿を想像して、こめかみのあたりがぴくぴくと痙攣している。


 ド、ド、ド!

 森から鼠の大群が現れ、方向転換したかと思うと、こちらへ怒涛の進軍を見せてくる。

 朱寛と子龍はようやく自失の状態から返り、この後に起こる出来事を正確に察知した。

 子龍が走りながら叫ぶ。

「艫綱を解け! 船を離岸させるのだ!」


 叫びざま、子龍はついさっき自分が出したばかりの命令を思い出す。

『帆をたため、船をしっかり係留するのだ』

 “嵐を操る少女”を警戒したあまりの命令だった。

「裴洋、このために――」

 子龍はようやくに気付く。

 自分ははめられたのだ。

 わざわざ姿を現し、ハルの名前を出したのも、わざとらしく空を見上げたのも、このため。

 ふと左手を見上げると、岩場の上に裴洋が立っていた。

「はっは。どうすか。子龍さん。名付けて、“大山鳴動、鼠一万匹”の計!」


「貴様ぁ! 裴洋!」

「ふん、主人公さまを虚仮にした報いっすよ」

 激昂する子龍に、朱寛が駆け寄る。

 隋の兵たちもすでに事態を悟り、雪崩をうって入り江を目指している。

 鼠たちもすでにハルの先導を追い越し、我先にと“エサ”の満載された隋艦へ殺到している。

「なにをしておる! あんな奴、放っておけ!」

「おのれ、わたしを出し抜いたな!」


「よせ、子龍。お前らしくもないぞ!」

 子龍は己の頭脳に絶対的な自信を持っていた。

 それが琉球へ来てからはずっと後手後手に回ってきた。

 すでに子龍のプライドはズタズタに切り裂かれている。

「子龍! 一万の兵士を海の上で餓死させるつもりか!」

 朱寛の必死の叫びに、子龍もようやく我に返る。


 隋兵と鼠が、団子のように絡みあいつつ船へ駆け戻った。

 食料を守ろうと水夫たちが剣や盾を振るうが、いかんせん数が違いすぎる。

 足や腕を噛みつかれ、七転八倒する。

 唯一残っていた貔虎ひこも、全身を鼠にまとわりつかれ、悲鳴を上げている。


 ようやく艫綱を切り離した船から洋上に脱出した。

 隋兵もそれを追って海に飛び込む。

 だがそれらの船も無事というわけにはいかないようだった。

 惨状は明らかだった。


 コイチたちは呆然とする。

「勝った、のか?」

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