第11話
「だ、誰だ、爺さん!」
「誰だじゃと、おぬしが呼んだんじゃろーがい」
白髪白髭の老人はいたくご立腹である。
コイチにこの老人を呼び寄せた記憶はないが、取り乱している最中にもしかしたらなにかを呼んでいたかもしれない。
「そうだっけ?」
気を取り直して、老人は、
「ワシは見ての通り、
老人はいつの間にかコイチの船に乗り込んでいる。
「それで?」
コイチにはピンとこない。
八百万の神々といわれるが、
本命を言うなら、
「きーっ、なんじゃ、そのつれない態度は。せっかく助けてやろうかと思ったのに!」
「もう知らん。まったく、最近の若者はといえば、――というか帰る!」
老人が乗亀の背に戻ろうとして、今度はコイチが慌てる。
いまでは藁でも、亀でもすがりたい状況である。
「アワワ、待ってくれよ、どうせなら助けてくれよ」
「助ける? 助けてどうなる。助かった命で、おぬしは何をする」
「なにっていわれても」
コイチは戸惑う。
当たり前のように生き、当たり前のように死ぬのが怖い、それだけである。
「よいか、本来なら死ぬ運命の人間を助けるんじゃ、それ相応の見返りがあるってもんじゃろ。おぬしひとりの命を救ったばかりに、その後の歴史が変わってしまった、くらいのな」
何も答えられないでいるコイチに、塩土翁はあざけるような笑みを浮かべると、
「ふん。英雄は、たとえ幼少なりといえども、それなりの輝きを放つものじゃよ。――では童よ、訊くが、『国』は欲しくないか?」
「クニ?」
あまりの話しの飛躍に、コイチはついていけない。
「国じゃ、国。わしは別名、『国売りの翁』ともいうてな、商っておるのじゃよ、国を」
「そんなの、別に欲しくないや」
「減点1じゃ。
塩土翁に突き付けられ、コイチの脳裏には一瞬、ハルの姿がよぎった。
婚約者がいるというハル。
このままでは永遠に手に入らないかもしれない女の子。
だが、「ハル」と答えるつもりはなかった。
神様の力を借りてそれを手に入れるのは、“いけないこと”のような気がする。
ならばどうすればハルはこちらを振り向いてくれるのか。
腕力か、容姿か、たくさんの持ち船か。
どれも違う気がする。
「………」
「ンン?」
眉根を寄せて必死に考えるコイチの顔に、塩土翁はふと気づくものがあった。
「……似ておる」
「へ?」
塩土翁はするするとコイチに詰め寄る。
額が触れ合わんばかりになる。
「小童、もしや隼人(古代の九州南部に住んでいた民族)か?」
「そ、そうだけど」
「似ておる。うむ。おぬしのひい爺さんか、ひいひい爺さん辺りに、ソバカリとか、ヒレサシとか呼ばれた男はおらぬか?」
「そんなのわかんねーよ。父ちゃんも母ちゃんも、俺が赤ん坊のころに死んでるし。あ、でも爺ちゃんがそんなこと言ってたような……。『ヒレサシの名を恥じることはない』とかって」
「ほほう、やはりそうか。あやつの若かりし頃に生き写しじゃ。その団子っ鼻、間のぬけた半開きの口、そのくせ野心ありげに輝く双眸。こんなところであやつの子孫に呼び出されるとは、これも何かの運命かのぉ」
ひとり感慨にふける塩土翁に――
「なんだよ、さっきから。ブツブツと。気持ち悪いなぁ」
「よし、決めた。おぬしを助けて進ぜよう」
塩土翁の言葉に、コイチは途端に喜色をあらわにする。
「本当か? なぁんだ、亀に乗って現れるから、変人かと思ったけど、いい爺さんなんじゃないか。さっそくこの黒瀬川から舟を出してくれよ」
「待て待て、物事には順序というものがある。まずはおぬしの器を試さんとな」
と老人は二つの人形を取り出した。
ひとつはコイチがさっき海に投げ捨てた木製の20センチほどの傀儡人形。
いったい何時作られたものやら、ふんどし姿のそれは手垢で真っ黒になっている。
目鼻立ちも素人が描いたような感じで、どこか滑稽味を帯びている。
そしてもうひとつは、かなりの完成度を誇る可動式の人形(あるいは現代のフィギュアを想像してもらえばはやいだろうか)で、凛々しい顔立ちの好青年が勇まし気に矛を構えているのを象っている。
「おぬしが海に捨てた人形、それはどっちだったかいな」
塩土翁はその二つの人形をコイチの目の前にならべる。
「ンン、どうじゃ?」
「………」
答えはもちろん、明らかにすぎるほど明らかなのだが、己のなにかが試されているのを、コイチは本能で悟る。
ふと、矛を構えた人形の台座に目をやると、そこには、『塩土翁、若かりし頃の英姿』と書かれているのを見つけた。
コイチは文字が読めなかったが、これまた本能で、これが塩土翁の人形であるのを悟る(なぜならその台座が亀であったからでもあるのだが)
つまりは、こっちを選べということなのか、意外に大人の判断をして、コイチが、
「こ、こっちかなー」
と指差すと、塩土翁は案の定ご満悦の表情である。
「なんじゃー、嘘をついてまでこっちが欲しかったのかー。んー、案外素直な童だったんじゃの。しょうがない――」
あげる、と、件の人形をコイチの手に押し付ける。
「ほれ、中を確認してみぃ」
「なか?」
首をひねりつつ、コイチがとりあえず『塩土翁フィギュア』の首をへし折ると、
「ちっがーう!!!」
と奪い返される。
「ここを――」
『塩土翁フィギュア』の肛門のあたりを示すと、
「こう――」
栓が抜け、胴体から筒状に巻かれた紙切れが出てきた。
その紙切れには、びっしりと文章が書きつらねられている。
「爺さん、俺、文字なんて読めないよ」
ブツブツと未練気に折れた胴体と頭をくっつけようとしている塩土翁は――
「今はまだわからんでいい。今はな――。それとこれじゃ」
塩土翁は懐から球状のものを取り出す。
「なんだ、これ?」
細く割った竹でつくった球である。
「“マナシノカツマ”といってな、なに、いずれ役に立つときがくる。――そしてこれじゃ」
コイチがもともと持っていた傀儡人形である。
「いらねーよ、こんなの」
この白太夫に海底をのぞかせると、ご利益があると教えられたのだが、結局何の役にも立たなかった。
「バカ者! それは本来、粗末には扱ってはならんものじゃ。数百年前に生きた、男たちの涙と血が染みついておる」
それをコイチの手に握らせると――
「小童、
「アスカってどこだよ」
「なんじゃ、そんなことも知らんのか。この国の都じゃ」
「都っていわれても」
「それじゃーの。どっこいしょ」
塩土翁はもう亀の背中の上だ。
「あ! なんでだよ。助けてくれるんじゃないのかよ!」
「自分でどうにかせい」
「どうにかって、黒瀬川から出してくれなかったら、アスカって場所にも行けないじゃないか!」
「小童よ、ひとつ良いことを教えてやろう。確かにこの船が乗り入れておる潮流は、世に名高い黒瀬川じゃが、これはな、支流の、支流の、そのまた支流にすぎんのじゃぞい」
塩土翁に指摘され、あらためて冷静に海を流れる黒い潮流を観察してみると、幅はほんの数メートルしかなかった。
つまり、船の舳先を潮流とは直角に押してやれば、簡単に脱出できる代物だったのだ。
「それじゃあの、小童。忘れるなよ、大和国の飛鳥じゃ。そこでおぬしの運命が待っておる」
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