第45話

 王震が決闘の場へ出てきた。

 手に持つのは何の変哲もない直剣である。

 白木の柄に、白木の鞘、30センチ程の刀身。

 装飾すらも徹底的に排除されたそれは、かえって王震の強さを象徴しているように思えた。

 茴那と猪利祖の死体はすでに片付けられている。

 重要を負ったクモミズも、後方に運ばれ、イザヤの治療を受けている。


「おっちゃんそれで戦うのか?」

 コイチが驚く。

 イサフシが手にしていたのは銛だった。

 1メートル50センチほどの木の柄に、50センチほどの鉄製の銛がくくりつけられている。

「あぁ、クモミズが言うには、相手は“見切り”の天才らしい。変則的な戦いをしないとな」

「とはいってもな、銛は銛だ。真正の武器相手には――」

 護は案じ顔を隠せない。


 準備万端整い、イサフシは王震の前へ進み出る。

 かたや隋国最強(公称)、かたや倭国最強(自称)、これが事実上の大将戦ということになる。

「俺の義弟をかわいがってくれたようだな」

「この傷のことか?」

 王震が肩口のまだ生々しい傷跡を示す。

 クモミズに“剝がされた”皮膚のあとだ。

「なかなかの太刀筋だった。生まれる場所が違えれば、あるいはそれなりの境地まで到達したかもしれんな」

 王震は肩の傷をなでさする。

「しかし所詮は辺境の人間。あれが限界だろう」


「辺境、辺境ってうるせーよ。天の高さに違いがあるか!」

 最初に仕掛けたのはイサフシだった。

 銛を槍がわりに腰だめに構えると、光も欺くような速度で繰り出す。


 王震の反応は対クモミズ戦と同様だった。

 避けるのに必要最小限の動きでかわしてみせる。

「今のは、三寸の見切りだ」

 当たれば厚さ数センチの抹香鯨の皮膚をも突き破るイサフシの攻撃。

 だが当然、当たらなければ意味がない。

 イサフシの刺突は空を切るばかりだった。


「隋も、倭も、たしかに天の高さに違いはない。だがな、空を飛べぬが人間の道理。高みに届くには、それだけの敵の死体を積み重ねばならん。お前が今までに殺した人間の数はいくつだ。十か? 二十か?」

「黙れ!」

 イサフシの渾身の突きはまたしても空を切る。

 王震の身体まであと髪の毛一筋ほどの差でしかない。

「俺はな、千の人間を殺してきた」

 王震がクモミズ戦も含めて初めて剣を振るう。

 あっさりと、イサフシの頬に傷をつける。


「分かったか? 実力の差が」

 イサフシは頬の血をぬぐう。

「分かったよ。てめぇが狂ってるってことがな」

 言いざま、イサフシは突きを繰り出した。

「一寸の見切り」

 小憎らしいほどに、イサフシの銛は王震の身体すれすれを擦過する。


 イサフシは迷っていた。

 王震の変態的なまでの“躱し”の技術は、クモミズから散々聞かされて知っていた。

 それゆえに自分の得物に“銛”を選んだのだ。

 イサフシが持つのは、捕鯨用の投げ銛である。

 鯨の皮膚に刺さったら、容易に抜けないよう“返し”といわれる二本の突起が付いている。

 イサフシが対王震戦に見出した勝機は、その“返し”にあった。


 つまり銛の刺突を王震に躱させたら、すかさず手首をひねり、銛を引くことで、突起部分で王震の背後を強襲するという寸法だ。

 これは当然、突き出す攻撃を身体のギリギリで躱してもらった方が、成功確率が高くなる。

 王震相手にはうってつけの作戦――と思っていたのだが、現実はそう甘くないようだった。

 “引き”の動作で有効なダメージを与えるには、それなりの程度を相手に踏み込まなければならないのだが、その分、“突き”から“戻し”に移行する際の隙が大きくなる。

 はたして王震はそれを見逃してくれるだろうか。

 その迷いが、イサフシの刺突を鈍らせ、いずれの攻撃も銛の先端がようやく王震に触れる程度の踏み込みに留まらせていた。


 ――クソ、むしろクモミズの“向こう見ず”が羨ましくなってきたな。

 このままではジリ貧になるのはあきらかだ。

 己の尋常な攻撃では、王震にかすらせることすら不可能だろう。

 ジリ、と足裏で砂をかむ。

 銛の先端が、少なくとも相手の身体を突き抜けるくらいの距離まで縮めなければならない。

 ジリ、ジリ、と芋虫のごとく距離を喰らう。


 王震は相変わらず空漠とした構えだ。

 柳が風になびくように、あるいは水が月影を映すように、それはとりとめがない。

 その瞳も、自分の頭を突き抜け、遥か後方の宇宙の根源を見つめているかのような静けさを湛えている。


 ――到達したぞ。

 銛の長さと、彼我の距離と、王震の胴体の幅。

 “返し”で致命傷を与えうる、ギリギリの深度。

 イサフシは自分が呼吸を止めているのを、今はじめて気付いた。

 鯨との我慢比べのようだ。

 鯨は四半刻(30分)も海に潜っていられる。

 それと比べれば、屁でもない。

 ――人間なんかに負けるかよ。


 イサフシの一撃は、王震の左脇腹を強襲した。

 躱される。

 想定済みだ。

 銛の先端は十分な距離を稼いで、王震の背後に位置をとった。

 その瞬間、イサフシの視野に、獰猛に笑う王震の顔が映り込んだ。

 ――狙われていた!


 銛という特殊な武器を持ち出した時点で、王震はイサフシの狙いを察知していた。

 ――皮下の見切り。

 銛が左脇腹をかすめる。

 このあとイサフシは手首を返すはずだ。

 上下だった銛の突起が、左右になり、己の脇腹をえぐる。

 ――悪くない。

 このようなかたちで自分の動体視力特殊能力に対した相手はこれまでいなかった。

 短期間でこの対抗手段を考えついたというのなら、

 ――誉めてやろう。

 王震は剣を持つ手に力を籠める。


 イサフシはとっさの判断で手首を返すのをやめた。

 いや、それどころか銛を持つ手を離した。

 その判断が功を奏した。

 繰り出した銛を投げ捨てにし、決死の思いで後方に身を投げ出す。

 間髪の差で、王震の剣は、銛の柄を両断にする。


「まったく、バケモンだな」

 空中に浮いたままの銛を真っ二つにするなど、人間業とも思えない。

 防御だけでなく、攻撃にも優れていることが、この一事でわかる。

 尻の砂を払いつつイサフシは立ち上がると、苦みきった笑いを浮かべる。

「惜しかったな。狙いはよかった」

「それはどうも」


 言うと、何を思ったかイサフシはくるりと振り返る。

 そのまま琉球人たちの方へ歩きだした。

 敵前逃亡ともとられかねない行動。

 己の武器を両断にされたのだ、たしかに戦意を喪失してもおかしくないが、それにしては余裕のある足取りだった。

「どうした。遺言でも伝えるか?」

「あぁ、そんなとこだ」


「お、おい。どうした」

「おっちゃん、逃げるのか?」

 イサフシは戸惑う護やコイチの脇を無言のまま通り過ぎる。

 隋兵、琉球人、ともに唖然と見守る中で、シコメの前まで来ると、片膝をつくのだった。


 シコメは危機感があるのかないのか、泰然とした様子で椅子に座っていたが、イサフシにかしずかれると――

「なんじゃ、決着はまだついておらぬぞ! まさか降参するとかいうわけではあるまいな」

「シコメさま、わたくしにつばくろをお貸し願いたく――」

「つ、つばくろじゃと! 息長おきながを裏切った男が、今さら何を言うか!」

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