第25話

 イザヤは暗がりに潜んでいた。

 捜索隊らしき隋兵が、四人、五人と固まって辺りを探しまわっている。

 特段追われるべき理由はないはずだが、油断はならない。

 これも“あの”皇帝が派した軍隊なのだろう。


 楊広(煬帝)をイザヤは知っていた。

 どころか面識もある。

『国はいらぬか』

 イザヤを西域から流れてきた集団の長と見て、そう持ち掛けてきたのだ。

『我が臣下となれば、西域に国のひとつでも授けてやろう。我にはその力がある』

 この世のすべてを自分のものにしなければ済まない男、それがイザヤの楊広への評だ。


 とうとうその毒牙をこんな小さな島にまで向けてきた。

「いたか?」

「見当たらねー」

「すばしこい奴だ」

 聞き馴染みのある漢語で兵たちは話し合っている。


 イザヤは一層身を固くする。

 見つかればどうなるか。

 おそらくはまた隋まで連行されるだろう。

 そして自分が、“船を盗んだ西域人”のリーダーだったということも、判明するに違いない。

 ――皇帝楊広の権威よりも、神を選んだ不届き者であることも。


 イザヤのすぐ後ろで枝が踏みしだかれる音がした。

 イザヤは首から下げる鎖に手をやった。

 十字架をかたどった純金製のネックレス。

 ――神よ、どうかこの哀れな子羊をお助けください。


 隋兵の一団は通り過ぎた。

 が、そのうちの一人が振り返る。

「おい、そこに誰かいるんじゃないか?」

 ――クソ!


 イザヤは思い切って立ち上がる。

 これだけの密林だ。

 運を天に任せれば、あるいは逃げ切れるかもしれない。

「人だ!」

「捕らえよ!」

 イザヤが振り返ると、目の前に槍の穂先が迫っていた。

 咄嗟に身をよじる。


 皮一枚のところを槍が擦過し、木の幹に突き刺さる。

 イザヤは構わず走り出す。

 が、その時、首が引っ張られた。

 ネックレスの鎖のあいだを、槍が通っていたのだ。

 ブチリと鎖のちぎれる手ごたえがあった。

 ――!


         ☆  ☆  ☆


 朱寛は陸に上がってもいまだ船酔いに悩まされていた。

「なんでよりによって、わしを、こんな海に……」

 そもそもの今回の派兵の目的も曖昧だった。

 琉球人の鎮圧、ではなく、撫民。

 そして隋歴の頒布。

 しかも二年続けての出兵である。


 前年の607年の派兵では、言葉が通じず、住民をひとり拉致して帰っただけで終わった。

 今回も“慰撫せよ”という曖昧な命令が下っただけだ。

「いったい何をお考えなのか」


 床几に座って頭を悩ませていると、部下が駆け寄ってくる。

「何蛮さまの船がこちらへ向かっています」

「うむ」

 割れるように痛む頭をそちらに向けると、確かに船が一艘こちらに向かっていた。

 ――そもそもあいつが、陛下に何か吹き込んだせいで、こんな事態になったのだ。


 何蛮への苛立ちを募らせる朱寛である。

 噂では、『秦の始皇帝すらもなしえなかった倭国の平定』だとか、『不老長寿の薬がある島』だとか進言したらしい。

「まったく、忌々しい」


 そうこうしているうちに、何蛮がやってきた。

「で、どうなっておる」

「子龍どのとあわせ、めぼしい島は“慰撫”が済んだものと思われます」

「大儀」

「それと宇文どのの部隊が全滅いたしました」

「なんだと!」

 驚いてみせるが、ほとんど顔も思い出せない。

 いやむしろこの程度の損失があった方が、“慰撫”に真実味があろうというものだ。

「惜しい男をなくしたものだ」

 その一言で、この件は済んだ。


「子龍どのももうじき参るでしょう」

「うむ」

「では撤退の準備を」

「撤退? もうよいのか?」

 嬉しさを努めて隠しつつ、朱寛は言う。

「えぇ、撫民も終わり、隋歴の頒布も終わり、もうやることがありません」

「し、しかしだな、さすがに、これでは……」

 あまりにあっさりと言う何蛮に、朱寛はむしろ不安になってくる。

 なにより暴君・楊広の怒りが怖い。


「よいのです。陛下の狙いはあくまで高麗にあります。今回我々が琉球に派遣されたのも、高麗との同盟を策する倭国を牽制するためのもの。この海域に隋水軍が姿を見せた、という事実が重要なのです」

「そうなのか?」

 うっかり質問調になってしまう総司令官の朱寛だが、何蛮の見立ては間違っていないようだ。

「よ、よし、では、全軍撤退だ!」


 隋水軍の撤退、ということになったのだが、すぐさまそれが組織の末端まで行き渡るわけではない。

 イサフシとクモミズはすでに島を脱出していた。

 イザヤも何とか隋兵から逃れることに成功している。

 もっともそれは、十字架のネックレスを失うという代償を払ってのことだったが。


 コイチは砂浜に横たわっていた。

 頬に触れるかたちで弩の矢が砂浜に突き刺さっている。

 ――主人公が子供を殺せるかよ。

 裴洋はそう捨て台詞を残していった。

「ハル……」

 結局ハルを取り戻せなかったのだ。

 手が届くところまで迫ったのに、恐怖に身がすくんでしまった。


 右手が何かを掴んでいた。

 見ると、ヘンテコな形をした貝殻である。

 “水”という漢字に似ていることから、のちに“スイジガイ”と名付けられることになる貝。

 まるでそれが、己の臆病の証であるかのように、コイチは強く握りしめる。


 裴洋は無事海に脱出できていた。

 もっとも、目指すべき何蛮の船は、島の反対側にいたのだが、裴洋としては知る由もない。

「危のうございましたな、若」

「あぁ」

 五人組はしばらく海岸線沿いに追ってきていたが、さすがに諦めたようだ。

 気付くと、ハルがすごい形相でこちらを睨みつけている。

「お前の知り合いだったのか、あのガキ」

「コイチさんっていうんです。あたしを助けてくれた人です。それを蹴ったりするなんて」

「殺してないだけましだろ」

 ツンと、ハルはそっぽを向く。

「あーぁ、もうしばらく続きそうだな、主人公様の、迷走」


 まだ撤退の命令を知らない隋兵4人が、砂浜に出てきた。

「おい、なんか倒れてるぞ、あそこ」

 コイチを見つける。

「子供じゃねーか?」

「死んでんのか?」

「まぁ、いいや。手ぶらで戻ったら、朱寛さまになんて言われるか分からないからな」

 そんなことを言いあいつつ、コイチのもとへ近づいていく。


「おい、ガキ、死んでるんじゃなけりゃ、返事しろ」

 隋兵が声をかけたところで、ザザザと、足音に気づいた。

「ウゲエッ」

 隋兵の一人が肉の塊に激突され、すっとんでいく。

「なんだ、こいつ!」


「探したぞ、大陸の者ども」

 猪ばりの突進力で、隋兵を倒したのは、シコメ水軍の一人、まもるだった。

「シコメ様の眼はごまかせても、ワシの眼はごまかせぬ。ゆえにこうしてひとり出張ってきた。屠らせてもらう」

 まもる。シコメ水軍の前衛を務める武闘派(35歳)。

 極太の眉毛に、日に焼けた肌。身長は150センチほどしかないが、それを補って余りある筋肉を身につけている。

 武人というより、鄙の漁師そのものといった風情だが、発する殺気は本物である。

「なんだ、こいつ」

「愚かなり。彼我の実力差すら思い及ばぬか……」


 ――ん?

 コイチが放心状態から帰ってくると、まわりに隋兵が4人も倒れていた。

「おわっ、なんだこれ!」

「気づいたか、小童よ」

「なんだ、おっちゃんがこれ倒したのか?」

「ワシが倒したのか、はたまたこの筋肉が倒したのか、難しいところだ」

「……」

「ん?」

 護はコイチの顔をまじまじと見つめる。


「おぬし、隼人か?」

「そうだけど」

「ほう、奇遇じゃな。このような南海で、我が同胞と出会うとは思うておらなんだ」

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