第26話

 まもるはコイチの頬に残る涙のあとに気づいた。

 コイチは慌てて頬をぬぐう。

「恥じることはない。何か事情がありそうだな。話してみよ」


 ―――

「ハル?」

 コイチの話しを聞き終えると、護は驚いてみせる。

「おぬし、ハルの知り合いだったのか」

「おっちゃんも? あ、もしかして、ハルをさらって行ったのって、おっちゃんたちだったのか?」

「まぁ、確かにそうだな。正確にいうと、ワシではなく、シコメ様であり、さらって行ったのではなく、取り戻したのだが」


「悔しいか?」

 コイチは唇をかみ、うつむく。

「ハルを連れて行ったのは、おそらく隋兵だ。目的は分からんがな。おそらく“嵐を操る能力”に目を付けたのであろう」

 数日前のコイチだったら、護に掴みかかっていただろう。

 だが、今はそうしない。

 救えなかったのは自分の責任なのだ。

 裴洋の弩に怯えてしまった。


「運命と諦めることはできぬか?」

「………」

「ハルが特別な生まれをしたのも運命。隋という巨大な帝国が攻めてきたのも運命。一人の人間ではどうすることも出来ぬ。ましてや十やそこらの子供ではな。すごすごと郷里へ帰っても、誰も責めやせん」

「………」

「シコメ様に頼んで、おぬしをクニまで送り届けてやる」

「嫌だ」

「………」

「嫌だっ!」


 コイチはバッと飛び起き、波打ち際に駆けていく。

 膝まで海に浸かると、じっと足元を見つめる。

「何をしておる」

「ハルの居場所を探ってるんだ」

「――?」

「この島まできたとき、黒い手の塊が船を導いてくれたんだ!」

 だがコイチの膝下を濡らすのは、何の変哲もない海水だった。


「黒い手か。それは“道敷の大神”さまの手だ」

「?」

「本来の名を、イザナミノミコトというてな、乞い願う相手の場所まで導いてくださる」

「じゃあ、それが現れれば、またハルのとこまで……」


 護はゆっくりと首を横に振る。

「それはそもそも、シコメ様が呼び出されたものじゃ。ハルを探すためにな。おぬしが乗っかったのは、その残滓にすぎぬ」

「じゃあ、俺も呼び出す。教えてくれよ!」

「駄目じゃ」

「どうしてだよ!」


「道敷の大神には、さらに別名がある。黄泉大神ヨモツオオカミがそれじゃ。つまり、死をつかさどる神。――追いつきの神である、道敷の大神として顕現たまわるということは、すなわち死に追いつかれるということでもある。おのれの寿命を差し出して、導いていただくのだ」

「………」

「シコメ様は、それをなさった。あぁ見えて、そういうことを平気でなされる、尋常ならざるお方だ。だが、おぬしにその覚悟があるか?」

「………」

「いま黒い手があらわれぬのは、おぬしが死を恐れている証拠。子供ゆえに死の恐怖を知らなんだ前回と違ってな」


「どうすればいい?」

 コイチの頬は涙にぬれていた。

「俺、ハルを助けるためなら何でもやる」

「覚悟はあるのか?」

 コイチは頷く。

「強くなれ、そして死の恐怖を乗り越えろ。その覚悟があるのか」

 コイチはもう一度強く頷いた。

「よし、それでこそ隼人の男だ!」

 そこへ、イザヤが姿を現した。


             ☆  ☆  ☆


「いや、やっぱりこれだけで撤退してしまっては、ワシの総司令官としてのメンツが立たないような……気が……」

 この期に及んで朱寛がまたうろたえだしていた。

「ですが、よほどのことがない限り、武力の使用は禁止されているのですよ」

「じゃ、じゃあ、このまま帰還するのは規定事実として、さすがになにか手土産的な……、前回だって、ほれ、現地人をひとり連れ帰っただろう」

 上司の優柔不断に、何蛮もうんざりしていたが、花を持たせてやる必要があるようだった。

 といって、今さら何があるわけでもない。


 めんどくさげに辺りを見回すと、甲板にだらしなく座る茴那と猪利祖の姿が目に入った。

 島で強敵と出くわし、命からがら逃げ帰ってきたという。

 百戦錬磨のこの二人には珍しいことであったが、ふと猪利祖の格好に気が付いた。

 いつもの甲冑ではなく、ぶかぶかの布を着込んでいる。

 圓と交換した布甲だった。

「猪利祖、それは――」


             ☆  ☆  ☆


「面をあげよ」

 石造りの壮麗な部屋に、冷たく声が響いた。

 “男”はおずおずと顔を上げる。


「これに見覚えがあるか」

 先ほどとは違い、今度は玉座に着く男が自ら声を発する。

 有能な為政者らしく、格式ばったことを嫌うらしい。

 玉座の男、隋の二代皇帝楊広は布切れを手にしている。

「そ、それは――」

 “男”は慣れない漢語を操る。


 楊広は布切れを倭国からの使者に示しつつ、自分もそれを矯めつ眇めつする。

 手渡されたのはつい先ほどである。

 朱寛は甲冑といっていたが、どこからどう見てもぼろ布である。

 ツンと汗の臭いまで漂ってくる。

 くるりと裏表をひっくり返すと、『醜女様命』と刺繍されていた。

 皇帝たるもの、いかなる動揺も面に出してはならない。

 重ねて問う。

「見覚えがあるかと聞いている」


「それは、夷邪久いやく国人の使うものでしょう」

 “男”、小野妹子は必死に顔色を押さえながら答えた。

 答えたが、内心では毒づいている。

 ――クソッ、あれは確か、シコメのババアの配下が着ていた布甲ではないか。あいつら、南島で何をやっているんだ。しかも隋の水軍と交戦しているだと。厩戸皇子(聖徳太子)さまはご存じなのか。今度の遣隋使、とんだ外れクジだったか。

「なに、我が国の辺境の、取るに足らぬ蛮族のものです。それが、なにか?」

 せいぜい強がってみせたが、皇帝は鼻で笑っただけだった。

「まぁ、よい。下がれ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る