第43話

「まずいな。大した兵数は乗ってなかったようだが、他にも黒瀬川から逃れた船が――」

 クモミズが子龍たちを睨みつつ言う。

 言葉とは裏腹に、どことなくうれしそうな表情をしているのは、茴那と猪利祖の姿を認めたからだ。

 あの二人との戦いは、中途半端なかたちで幕引きとなっていた。

 決着をつけるには、絶好の機会だ。

「やることは変わらん」


「おい、貴様ら! なにを勝手に隋人と話し合っておる!」

 砂を蹴立ててやってきたのは護だ。

 振り返ったイサフシの顔を見て驚く。

「なんと、すぐりか。よもやこんな状況で再開するとは」

「久しいですね、護さん。息災でしたか?」

「息災も、なにも……」

 この二人はシコメ水軍の先輩と後輩にあたる。

「勝の名は捨てましたよ。今はイサフシです」

「そういやイサフシさんて、息長おきなが一族の出でしたね。なんで離れたんでしたっけ」

 言いながら、クモミズが島人たちの方に目をやると、その真ん中に、シコメがデンと構えているのが飛び込んできた。

 無尽蔵の食欲と性欲で西海にその名を轟かせた巨女海賊、シコメ。

 自分があの女の下でこき使われるところを想像して、クモミズはゾッとする。

「いや、訊くまでもないか」


「で、どうするつもりだ」

「サシでの勝負を申し込みました。向こうも了承済みです」

「仮にそれで負けたからといって、大人しく撤退するような奴らか?」

「ほかに選択肢がありません。結局、総力戦になったとしても、向こうに化け物のように強い奴がいます。先んじて倒しておくのも、無駄ではないはず」

「うーむ」

 護も茴那と猪利祖の強さは身に染みて知っている。

 百戦錬磨といわれたシコメ水軍の連携攻撃を、いとも簡単に破って見せたのだ。

 ここらの漁民では相手にもならないだろう。


「分かった。ワシにできることはないか?」

「なるべく戦力を温存しておきたい。どうやら向こうが出してくるのは、茴那に猪利祖、そして王震のようだ。こっちは俺と、クモミズだけでやる」

「勝てるか?」

「やってみなきゃ分かんねーですよ」


                 ☆  ☆  ☆


「よいか、時間を稼げ。たかが辺境の島人相手とはいえ、これ以上の人的損失は許されん」

「へいへい」

 子龍の言葉に、茴那が適当に答える。

「貴様、状況がよく分かっておらぬようだな。何蛮はもはやおらぬ。海の果てまで白骨になるまで彷徨い続けるだろう。――時代は変わったのだ。貴様らのようなはみ出し者も、陛下の実現する秩序にひれ伏さねば、息すらできぬようになるぞ」

「―――」

「行け」


 ――嫌な時代になった。

 茴那は独り言ちる。

「なんか言ったか?」

 言葉に出したわけではないが、そこは双子といったところか、猪利祖が振り返る。

「いや」

「子龍のことなら気にするな。これだけの損害を出したんだ。どうせ失脚するだろう」

 少し抜けている弟にしては、的確な状況判断だ。

 だが百年、二百年という時代の流れまでは見通せていない。

 子龍の言う通り、もはや群雄の割拠しうる時代は永遠の過去となったのかもしれない。

 皇帝というたった一つの座をめぐり、楊広を頂点とする胡人どもが勝ち、何蛮が海の彼方に去った。

 それだけのことだ。


「久しぶりだな。クモミズといったか」

 これから命のやり取りをすることになる倭人を前にして、茴那はむしろすっきりとしていた。

 強ければ生き、弱ければ死ぬ。

 なんと明快な世界か。


 琉球人、隋兵、数百人が見守る中で、クモミズと、茴那・猪利祖が対峙した。

 クモミズは背中に櫂を背負い、手にはすっかり使い慣れた隋の剣を握っている。

 一方の茴那は、シコメ水軍を翻弄した槍。

 猪利祖は小ぶりの片手剣と盾。

 それぞれ得意の得物を手にしている。


「今度は逃げるなよ」

「―――」

 茴那、猪利祖はクモミズの挑発には乗らず、さっそく左右に分かれ始める。

 クモミズの“砂瀑”に巻き込まれないためには、そうするのが最善だった。

「よく学習してるじゃねーか」

 クモミズももはやあの技が通用するとは思っていない。

 イサフシに指摘されたように、所詮は“初見殺し”の技にすぎない。


 クモミズを真ん中に挟んで、三人が一直線になった。

「大丈夫か?」

 おもわず護が声を上げる。

「自分から言い出したんだ。勝算があるんだろう」

 イサフシはそっけない。


 ――ウオッ!

 クモミズはいきなり背筋を凍らせていた。

 最初に仕掛けたのは茴那たちだった。

 四つん這いになるような格好で、クモミズはそれを避ける。


 二人での連携攻撃といっても、普通それは1+1で2というものにはならない。

 二人同時にひとつ箇所に攻撃を集中させると、当然同士討ちがおこりうる。

 あるいは味方同士の武器がぶつかり合うということも。

 なので一対多数といっても、結局は一対一が連続して起こるというのが関の山なのだが、この二人は違った。

 まさに連携攻撃。

 最初の一撃からして違った。


 剣と槍の穂先が、現代人ならば“ハサミ”と形容したくなるくらいの精度でもって、前後から襲い掛かってくる。

 クモミズの袖は、まさにチョキンと斬られていた。

 ――クソッタレ!

 双子だとは知っているが、

「――んだよ」

「何か言ったか?」

 クモミズをあいだに挟む陣形を一切崩す気配もなく、茴那たちは攻撃を繰り出す。

「似てねーっつったんだよ。双子のくせに!」


                 ☆  ☆  ☆


 戦いが始まってすでに30分ほどが経過していた。

 入れ墨に覆われたクモミズの身体はすでに傷だらけだ。

 しかもその間、クモミズが繰り出した攻撃はわずか数回にすぎなかった。

 劣勢は否定しようもない。

「おい、いいのか。死ぬぞ、あいつ」

 護が言うが、イサフシはじっと義弟の姿を見つめるだけだ。

「――?」

「おっちゃん……」

 コイチがよろよろと歩いてきた。

「もういいのか」

「うん」

 フラリと倒れそうになるのを、慌ててイザヤが抱きかかえる。


「この子が、虎と戦ってた?」

 イサフシがコイチをみやる。

「そうじゃ。おぬしにかわるすぐりに育つかもしれん」

「じゃあ、苦労しそうだな」

「――アッ!」

 コイチが思わず声を上げた。

 防戦に徹していたクモミズが、ついに大きな傷を負った。

 胸と脇腹を同時に切り裂かれ、盛大な血しぶきがあがる。


「大人しく負けを認めるか」

「ほざけ」

 クモミズはよろよろと立ち上がる。

 四半刻(30分)ものあいだ、クモミズはただ守りに専念していたわけではなかった。

 鷹のような鋭い目で、茴那と猪利祖を観察していたのだ。

 ――付け入るとすれば、あそこしかないか。


 茴那はクモミズに致命傷ともいえるようなダメージを与えると、隋軍の方を確認する。

 まだ味方の艦隊は到着していないようだ。

 時間を稼げと言われたが、さすがに十分だろう。

 宮仕えの窮屈さというべきか、しかしこれからこの生き方にも慣れていかなければならない。

 猪利祖に合図を送る。

 ――俺が仕留める。


 何かスイッチが入ったらしい気配を、クモミズは感じた。

 鼠をいたぶる猫のような、そんな感じの二人の連携攻撃だったものが、今度は茴那がメインの攻撃になっている。

 といって、しのぎやすくなったわけではなく、むしろこれが茴那の本気というべきか。

 ――かえって好都合だ。


 茴那が斬撃を繰り出してくる。

 猪利祖は手を出そうとしないが、常に挟み込む場所に位置取りしているのはかわらない。

 勝利を確信しているのか、茴那の攻撃がほんの僅か大振りになってくる。

 その一撃を見計らって、クモミズはあえて剣で受けず、後ろに下がって避けた。


 すかさずクモミズは、左足を回し蹴りの要領で大きく背後にくりだす。

 そこには猪利祖がある。

 正確にいうと、猪利祖が左腕に持った小型の盾がある。

 クモミズの左足はそれを蹴った。

 これまた正確にいうと、蹴ったというよりも、添えた、だ。


 足裏をぺちんと盾に添える。

 猪利祖はぎょっとするが、その意味までは分からない。

 次の瞬間、クモミズは足で盾を掴んでいた。

 そのまま今度は前方に左足を突き出し、茴那の目の前に、分捕ったばかりの盾をかざす。


 茴那の視線は塞がれた。

 ――な、に?

 足で盾を持つだと?

 盾が重力に従って地面に落ち始めた次の瞬間、眼前にはもはや避けえない距離でクモミズの剣が迫っていた。


「グゥオオッ!」

 猪利祖は混乱していた。

 奇襲じみたクモミズの後ろ回し蹴りを盾で防いだと思ったら、盾が宙を飛んでいった。

 そしてその盾が兄の視界をふさいでいるほんのわずかなスキに、クモミズは茴那の喉に剣を突き刺していた。

 猪利祖は無我夢中で剣を振るう。

 だがクモミズはそれを予期していたのか、地面に転がって避ける。

 呆然とする猪利祖の前には、喉から血を噴水のように噴き上げる茴那と、己の手から飛んでいった盾がごろりと砂浜にころがるのが残るだけだった。


「てめぇの国じゃ知らねーが、こっちじゃ、足の裏で舟板“掴める”ようになって初めて一人前と認められるんだ。――命のやり取りしてんだ、盾はちゃんと持っとくものだぜ」

「ウオオォォォオォッ‼」

 猪利祖は島ごと震わせるような雄たけびを上げる。

「ブッコロス!」

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