第48話

「くそ」

 慌てて駆け寄った仲間の肩を借りて、イサフシはようやく立ち上がる。

 身体の節々が悲鳴を上げていた。

 “鰹の一本釣り斬り”改め、“つばくろ返し”はそれほどに身体への負担を強いる。

「何蛮のやつ、思いっきりしくじったみたいだな」

 乾坤一擲の策だった。

 だが、艦船の数に減じた様子はほとんど見られない。

 二十数隻の大型船は陸続と入り江に入り込み、兵士を無尽蔵に吐き出している。

「どうするよ、俺」

 イサフシは自らに問いかけるが、妙案など浮かんでこない。

「イサフシさん、もう逃げるしか……。あんただってもうこんな身体だ」


「倭人よ!」

 朱寛が呼ばわる。

 背後には、上陸を終えた一万の兵士が整然と陣形を組んでいる。

「すまんが、さっきの約束、反故にさせてもらうぞ。事情が変わったのでな」

「最初っから期待しちゃいねーよ」


 イサフシは身体を預けていた仲間を突き放す。

「ツモリ、お前は何としても島を脱出しろ」

「なに言いだすんだよ、イサフシさん」

「いいから聞け。お前は、この琉球で見聞きしたことを、細大漏らさず大和の朝廷に報告するんだ」

「やめてくれよ」

 死を決したらしいイサフシに、ツモリは涙声になる。

「そして最後にこう言え。時代が変わった、とな。大陸はもはや、分裂に分裂を繰り返したかつてのものではない。膨張と侵略を本性とする、化け物になった。韓半島の小国にかかずらっている場合ではない」


「どうだ?」

 朱寛は子龍に尋ねる。

「結局、失われた艦は、旗艦を含め、五隻にとどまったようです。さらに貔虎の船も助からなかったようですな。失兵数も、ざっと二千人といったところでしょうか」

「五隻に二千人か、軽くはない損害だな」

 朱寛は複雑な面持ちになる。

 一時は全滅をも覚悟したのだ、それに比べれば軽微な損傷ともいえたが、こうなったら何が何でも琉球を征服してしまわなければならない。


 朱寛はちらと視線を移す。

 すでに琉球人は恐慌状態に陥っているようだ。

 王震に茴那、猪利祖を失ったが、もはやそんなことは些末事だ。

 粛々と征服事業を遂行していくのみ。


「子龍どの!」

 ふと、大声が天から降ってきた。

 子龍が見上げると、岩場の上に裴洋が立っている。

「さっきは世話になりました。子龍さん」

 太々しいまでの笑み。


「裴洋か。海でのことは悪く思うなよ。小娘を奪われぬようにするには、ああするしかなかったのだ」

「へっ」

 裴洋は鼻白む。

「まぁ、そのことなんですがね。どうですか、取引しませんか。こっちはハルを渡します。かわりに、俺をまた取り立ててくださいよ」


「そこにいるのか? 小娘は」

「いいえ、万が一を考えて、別の場所に隠してます」

 ――あいつめ、何を考えている?

 子龍は裴洋の表情をうかがう。

 裴洋は満面の笑みを浮かべているが、それが額面通りに受け取れないのは明らかだ。

 当然といえば当然だが、こちらを警戒しているのだ。


「子龍よ、小者ひとりの出世くらい肯ってやればよいではないか」

 朱寛がせっつく。

「“嵐を操る娘”さえ手に入れれば、あとは煮るなり焼くなり――」

 そう、そもそもこれは取引として成立していないのだ。

 全島はすでに制圧したも同然。

 逃げ場などなく、裴洋に交渉の余地はない。

「あいつはそんなに愚かではありませんよ」


 自分と同じ匂いのする男。

 野心の塊。

 ――ならば何故わざわざこんなことを?

 交渉でないとしたら、なんだ。

 自分が裴洋の立場だったら、どうする。

「恫喝か……」

 子龍は慄然となる。

 努めて表情に出ないようにして、裴洋を見やる。

 相変わらずの、つかみどころのない笑顔。


 シコメという倭人は、嵐を呼び起こすには特別の儀式が必要だといっていた。

 子龍はそれを何とか聞き出そうとしたが、結局口は割らせられなかった。

 その能力自体、半信半疑であり、あとで小娘から聞き出せばいいとも思って、放っておいたのだが――

 裴洋はその方法を知り、かつ“能力”に確信が持てたのか。

 子龍はそっと目配せで心利いたる部下数名に合図を送った。

 ――やつを捕らえよ。

 部下は岩場から死角になるように駆けだす。


 裴洋はその動きを見逃さなかった。

 舌打ちし、つぶやく。

「子龍さん――、器が知れましたね。俺はあんたのこと買ってたんですよ。臥竜鳳雛ってね」

 裴洋はいっそ悲しげな目で隋軍の陣容を見下ろす。

 ――花の種は落ちた場所に咲く、か。だけどそんなんじゃ満足できねーだろ。なんたって俺は主人公なんだからな。風雲児ってやつだ。

「子龍さん、やっぱさっきの話し、無かったことにします」

「なに」

「気を付けてくださいね」


 言って、裴洋は一瞬天空を見上げると、そのまま姿を消した。

 ――悟られたか。

 なんだったんだ、最後のあの仕草は。

 やはり奴は確証を得ている!

「船の帆をたたんでおけ! 係留の綱もしっかりと結び直せ!」


 水夫たちが動き始める。

 嵐に備えているとしか思えない命令だが、空には雲一つ見られないのだ。

 事情を知らない一般の兵士たちの間に動揺がはしる。

 それを一喝して鎮めると、

「朱寛さま、ご命令を。この島を速やかに征服するのです」

「よ、よいのか、あの裴洋とやらを放置して」

 子龍は心の内で舌打ちする。

 将たるものが動揺を面に出してどうする。

「なればこそです。琉球人どもを一掃し、そのあとでゆっくり人狩りをすれば……」

「そ、それもそうだな。わかった。よし!」


 朱寛は命令を下す。

 方形の陣を組んだ一万の兵士が粛々と前進をはじめた。

 と、すぐにその行軍が止まる。

 10才くらいの男の子が立ちふさがっていた。

 コイチだった。

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