第47話

 意識しすぎていた。

 もう一人の倭人が、“足技”で茴那と猪利祖を倒していたのだ。

 もとは人買いの南蛮人とはいえ、あの二人もそれなりに武を極めていた。

 それをひとりで、しかも“足”で退けた。


 王震がイサフシの足元に過剰に反応したのも無理はなかった。

 しかも、これ見よがしの鉄靴――

 短刀か何かを仕込んでいるに違いない。

 そう思い、視界がそちらに引き寄せられた。

 それを見計らって、イサフシは頭上高くに掲げた片手斧を、必殺を期して振り下ろした。


 クッ――

 須臾の遅れ、にすぎない。

 だがそれが命取りになりかねないことを、誰より王震自身が知悉していた。

 

 “時”が、飴細工のように引き伸ばされたようだった。

 人間離れした動体視力で、王震はすかさず避けるに適した方向を見極める。

 ――焦ったか?

 王震は瞬時のうちに余裕を取り戻していた。

 斧の射程距離に比して、幾分遠めの間合いから、イサフシは攻撃を始めた。


 ――いや、これは幾分どころではない。遠すぎる。

 ほんの少し後ろに身体をずらせば、イサフシの一撃はむなしく空をきるだろう。

 考えるよりも早く、王震の身体は反応していた。

 この一撃さえ躱せば、あとはどうとでも料理できる

 人間の腕の筋肉は、振り下ろす動作に比べ、引っ張り上げる動作に向いていない。

 獲物を失った斧は、暴走といってもいい状態で、イサフシの腕の筋肉を振り回す。


 ――遊びは終わりだ。

 斧の刃が王震の頬をかすった。

 きっちり薄皮一枚、裂いていく。

 ――皮下の見切り。

 島夷が! 小細工を弄した罰だ。もう死んでもらう。


 ――!

 王震の視界の下部を、再び違和感が襲った。

 イサフシが前に出していた左足を、蹴り上げている。

 やはり、こっちが、本命?

 しかしそれにしては無茶な格好だ。

 右手はいまだ斧を振り下ろしている最中。

 にもかかわらず、左足の内側を上に向け、それで何をするというのか。


 ガキインッ! と斧と鉄靴が嚙み合った。

 火花が散る。

 イサフシが自分で振り下ろした斧を、自分の足で蹴ったのだ。

 斧が一瞬にして慣性の法則から解き放たれる。

 ――バカな!

 

「ヌオオオォォオオォッ‼」

 絶叫とも雄叫びともつかないような声をあげて、イサフシが残った右足で地面を蹴る。

 同時に、全身の、ありとあらゆる筋肉を総動員して、右手にした斧を今度は振り上げにかかる。

 片手で釣竿を上げるような要領だ。

 それなりに重量のある斧を、人を殺傷しうるほどに片手で振り回さなければならない。

 王震が喝破した通り、人間の腕は物を引っ張り上げる力が幾分弱い。

 イサフシはそれを補うため、身体ごと王震に突っ込んだ。


 王震に逃げ場はなかった。

 一撃目ですでに体勢を崩していた。

 そこへ、身体ごと突っ込まれる。

 胸元からせりあがってくる斧を、王震は持ち前の動体視力でじっくりと観察することしかできなかった。

 両刃の斧は、王震の喉を斜めに引き裂いた。

 そのまま二人、もつれ合うように倒れ込む。


 勢いあまって、斧がイサフシの手からすっぽ抜けた。

 空高くに飛んでいく。

「ほ、今年も高う飛びおったわ。つばくろが」

 のどかに言うのはシコメだ。

「今年は豊漁かのぉ」


 十分すぎるくらいの手ごたえだった。

 王震を下敷きにするようにして倒れる。

「5年に一度の大技だぜ」

 ――全身筋肉痛で動けなくなるからな。

 やっとのことで顔を動かして王震を見やると、喉から血を間欠的に噴出させていた。

「……く、くそが……」


 王震が言葉を発するが、ヒュー、ヒューと空気の漏れる音も交じる。

 致命傷なのはあきらかだ。

「無理すんな」

「漁師風情が、俺に……」

「ふん。名付けて、“鰹の一本釣り斬り”だ」


「ダセー技だな」

 王震に指摘され、イサフシはしばし考える。

「んじゃ、“つばくろ返し”ってのはどうだ。千年も磨きあげりゃ、ちったぁ様んなるだろうぜ」

 ――ほざけ。


 隋軍最強の剣士の命は尽きた。

「や、やったー!」

 琉球の島人たちが喜びに沸き立つ。

 コイチも護と手を取りあって喜ぶ。

「まったく、かなわねーな」

 治療を終えたクモミズが、いつの間にか隣に立っていた。

「見てたのか」

「あぁ」

「でもクモミズさんだって、隋兵二人を倒したんだ。負けてねーよ」

 クモミズの仲間が、よろけるクモミズを抱きかかえつつ言う。


「いや、やっぱりとんでもねーよ、あの人は。俺が足技で倒したことさえ、あの人はすぐさま策に組み入れたんだ。だから、王震は必要以上に迷ったはずだ。それが命取りになった」

「でもまぁ、なんにせよ俺たちの勝ちだ!」

 仲間の言葉にクモミズの表情は曇る。

 その視線ははっきりと前方を見据えていた。

「勝ったんじゃない。終わったんだ」

「なに言ってんだよ、クモミズさん」


 コイチは信じられないものを見ていた。

「そんな」

「万事休すか」

 護も絶望とともにつぶやく。

 隋軍の入り江に、黒瀬川を脱出した艦隊が続々と合流しつつあった。 

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