第31話

 イサフシはとある島を訪れていた。

 クモミズらとはいったん別れ、配下の海人もすべてその義弟に預けての単独行である。

 イサフシ一統は、ヤコウガイ貿易で名をあげ、組織は百人を超えていた。

 琉球産のヤコウガイは固く加工しやすいことに加え、光沢にも優れていた。

 螺鈿細工の材料として珍重され、その最大の輸出相手が隋だったのだ。

 まさかその貿易相手が攻めてくるとは思ってもみなかった。


 漢語も自在に操れるイサフシだ。

 相手の国力は十分に見知っている。

 皇帝は楊広という男だ。

 それが本腰を入れて琉球への侵攻を目論んだとするなら、もはや自分たちだけでどうにかなる話しではない。

 倭国に頼るしかない、そう考えての訪問だった。


 とはいえ不安は残る。

 隋は再び攻めてくるだろう。

 “ムコウミズ”の異名をとる雲不見クモミズだ。

 自分が不在のあいだに突出しなければいいが。

 一抹の不安をおぼえつつ、イサフシは船を砂浜に乗り上げさせる。


 快速の狩野カヌーから砂浜に降り立つと、早速ふたつの影が駆け寄ってきた。

 イサフシの前に立ちふさがる。

 双子のような背格好のそれは、しわくちゃの顔をしている。

 片方は歯の抜けた口を剝き出しにして、薄気味悪いような笑みを浮かべている。

 翁と媼。

「翁ヶ島に何用か!」「媼ヶ島へ何用か!」

 二人が同時に口を開く。

 イサフシの返事を待つことなく、一対の老人は諍いを始める。


「ここは翁が島だ!」

「いいや、媼ヶ島だ!」

「翁!!」

「媼!!!」

「翁!!!!」

「媼!!!!!」

「翁ったら翁!」

「媼ったら媼!!」


 うえぇーん!

 とうとう媼が泣き出してしまった。――といってその表情は、張り付いたような笑顔のままだが。

「泣くのは卑怯だぞ」

「媼の島なのに~」

「わ、分かったよ。今日だけは媼の島でいいよ。だから泣くなよ」

 慌てた翁が自分の顔を引っ剥がす。

 翁の顔は仮面だった。

 裏からあらわれたのは7、8歳くらいの男の子。


「………」

 イサフシとしては子供の遊びに付き合っている暇はない。

「もういいか? シコメ殿に用があってきたのだ。火急の用事だ」

「え? なんだ、シコメ様の知り合いか? なら早く言えよ」

 こましゃくれた童子が言う。

「いるんだろ」

「いるよ。といっても、なんか最近腑抜けてるけどな」

「あ、シコメ様の悪口言った。いけないんだ! 言いつけてやる!」

 こちらも媼の面を外した少女が言う。

「馬鹿、そんなんじゃねーよ。俺はシコメ様を、心配してだな……」

「いーけないんだ、いけないんだ。いーってやる、いってやる♪」

「うるせーよ。ほら、お客人だ。案内するぞ」


 童二人に案内され、イサフシはシコメ水軍の根拠地に向かう。

 角を曲がったところで、目に飛び込んできたのは、シコメ水軍の紅一点、あぎとだった。

 四肢を剥き出しにして、3メートルばかりの極太の丸太を振るっている。

 顎の名前通り、鯨の顎骨を武器に使うため、その訓練なのだろう。

 イサフシはきれいな貝殻を“翁”と“媼”ににぎらせると、

「ありがとうよ」

 言って、去らせる。


「――!?」

 イサフシに気づいた顎が目をむく。

「あ、あんたは、すぐり……か?」

「久しぶりだな。あかね。いい女ぶりだ。見違えたぞ」

「いまは顎だ。捨てたよ、そんな乳臭え名前」

 二十歳ほどの顎は、頬を朱に染めつつ言う。


「シコメ殿はいるんだろ」

「あぁ、いるけどな。シコメ水軍はもう解散だ」

「どういう意味だ?」

「さぁね、本人に聞きな」

 天下に鳴り響いたシコメ水軍、そう簡単に消滅するとは思えないが、

「そうさせてもらう」

 無造作に通り過ぎようとするイサフシに、顎はちらちらと視線を送りつつ、

「シコメ様に会いに来たのか?」

「――そうだ」

「そうか」

 口惜しそうに唇をかむ顎だった。

 シコメ様(だけ)にという意味を言外に含ませたつもりだったのだが、

「鈍い奴」

「何か言ったか?」

「いいや」


 イサフシが顎と別れ、集落の奥へ入っていくと、見慣れた侏儒の姿があった。

 賢がイサフシの姿に気づく。

「げっ、すぐり

「賢か」

「ふん、馬鹿め、ワシはもう賢ではない。譲だ」

「改名が流行ってるのか?」

 職掌によって名を変える海人集団とはいえ、もう二人目だ。

「今に分かる」


 謎のような言葉を吐く賢を無視して、イサフシはシコメの屋敷に入っていった。

 シコメは一輪の花を手にしていた。

「好き、嫌い、好き、嫌い、好き、嫌い、……好き」

 花弁を一枚一枚抜いていき、最後に一枚だけ残る。

「……嫌い。――、――嘘じゃ! 生意気な花め、ワラワに逆らう花なぞ、こうしてやる!」

 花を踏みつけにするシコメだ。


「シコメ様……」

 ようやく気が済んだのか、花をぐちゃぐちゃにして顔を上げると、そこに見知った顔を見出した。

「お、おのれは、すぐりか」

「お久しぶりでございます。いまではイサフシと名乗っております」

 シコメは慌てて花の残骸を後ろに蹴やり、居住まいを取り繕うと、

鯨伏いさふし――しゃちのことか。御大層な名じゃな。シコメ水軍の勝の地位を捨てた人間が、今さら何の用じゃ」

 シコメはにべもない。

 美少年のうるわしを呼び寄せ、檳榔の扇であおがせながら、居丈高に言う。


「隋のことはご存じですか」

「隋? 知っておるもなにも、すでに一戦交えたわ」

 子龍のことなどはおくびにも出さず、シコメは言う。

「でしたら話しは早い。シコメ殿、倭国を動かしてください」

「倭国、ヤマトの朝廷のことか」

 イサフシは無言でうなずく。


「なぜじゃ、隋軍はすでに帰国したのであろう。その後、被害の報告は聞いておらぬぞ」

「必ず戻ってまいります。帝国とはそのようなものです。いったん膨れ上がったら、弾けるまで止まぬ性」

「ふん、で、倭国に救援を、というわけか。らしくもない愛国心じゃな。じゃがあいにく、シコメ水軍はすでに存在しておらぬ。いまではユズル水軍じゃ」

「………」

「その通り!」


 声にイサフシが振り返ると、戸口に賢(譲)が立っていた。

「ふふん、勝よ。まさか今さら我がユズル水軍に入れて欲しいというわけではあるまいな」

「………」

「場合によっては、入れてやらぬでもない。そうだな、土下座して、三回ワンと鳴いて、謝罪の言葉を述べたら、裏切り者のおぬしの処遇、考えてやらぬこともないぞ」


「……時間がございません」

 賢のことは相手にせず、イサフシがあくまでシコメに訴える姿勢を見せると、

「大変だぁ!」

 翁媼面の子供二人が駆け込んできた。


「て、敵だ!」「異人だ!」

 二人が報告する相手はシコメである。

 彼らにとってリーダーはあくまで彼女なのだろう。

 賢(譲)はそれで機嫌を悪くする。

「なんだ、童ども! いまこの島を治めるのはワシじゃぞ」

 6、7歳の子供と背丈がまったくかわらない賢(譲)が怒鳴ってみせる。

「いかつい奴がこっちに向かってる。止まれといったのに、止まらないんだ!」

 子供たちは半べそでうったえる。


 と、その子供を押しのけて、巨漢が姿を見せた。

 何蛮であった。

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