第17話

「娘を貰うとか言ってますよ」

 震える声でさかしが通訳する。

 賢と名乗るだけあって、学があるのだ。

「な、なんじゃと!」


「ふざけるな、いきなり現れおって。ハルは渡さぬ、と伝えよ」

 賢がそれを実行すると、茴那ういな猪利祖ちょりそは少し驚いたようだった。


「ほう、言葉が通じるぞ。なら話しは早い。その小娘を素直に渡すか、でなくば力づくで奪うまでだ」

 武器を構える茴那ういな猪利祖ちょりそに、シコメは慌てふためく。

 水軍を率いる立場だが、その巨体を持ち出すまでもなく、自身の戦闘力はほぼないに等しい。

 “見えざる暗殺剣”を駆使するイザヤを退けた時のように、陣形を組んでこそのシコメ水軍なのだ。

 しかしいま、手元にある戦力は侏儒であるさかしと、下っ端のそなうふたりのみ。

 おのれの並外れた食欲が招いた事態とはいえ、いかにもまずい。


「グッ、誰かおらぬのか」

 シコメはすがる思いで自らの船に目をやる。

 そこではっと思い出す。

つぶら! おるのじゃろう!」


 名前を呼ばれて、船内でビクリと驚いたのが、丸々と太った男だった。

 シコメの太り方が三角形だとすれば、こちらはまさに円。

 目、鼻、口、顔、胴体、そのすべてが円ないし球で構成されている。


 つぶらはいつものようにつまみ食いをしている最中だった。

 バレていないと思っていたのだが、さすがはシコメ、とうにお見通しだったのだ。

 今回ばかりはそれが幸いした。


つぶら、降りてこい。敵じゃ、敵襲じゃ!」

「敵?」

 颯爽と船縁を乗り越え、砂浜に降り立つその姿は、いかにもヒーロー然としていたが、見た目は毬が飛んできたようだった。

 だがとにかく、その体躯からは想像もできないくらいに身軽らしい。


「どうした、結局やるのか、やらんのか」

 もうハルを手に入れたつもりでいた茴那ういなが、めんどくさそうに首筋を掻く。

 猪利祖ちょりそはというと、むしろうれしそうである。

 根っからの武闘派なのだろう、つぶらの特殊な武装に興味をしめしている


「おのれ、シコメ様には指一本触れさせない!」

 つぶらの武器、それはのちに“ティンベー”と称されることになるものだ。


 つぶらは背中に手を回し、背負っていたものを取り外す。

 おのれの丸々とした体躯とまったく相似をなす亀の甲羅。

 それを左手に盾のように構え、右手には銛を握る。

 シコメはその隙に、そなうの二人を連絡のために走らせる。


つぶらよ、つまみ食いのことはこの際不問に付してやるぞえ。ともかく時間を稼ぐのじゃ、シコメ水軍の陣容が整うまでな」

「お任せください、シコメ様! むしろ倒してごらんに入れます」

「ならぬ! ならぬぞ! お前は生粋のど~しよ~もないノータリンなんじゃから、一つのことに集中するのじゃ! 今まで二つのことを同時にやって、成功したことがあるか?」

 そこまで馬鹿にされて不貞腐れるつぶらだが、多少は思い当たるところがあるのか、最後には納得する。

「絶対防御、人はそう呼ぶ!」


 つぶらがゆっくりと亀の甲羅を身体の正面に持ってくると、手足の極端に短い彼の身体は、甲羅の陰にすっぽりと隠れるかたちとなった。

「絶対防御、人はそう呼ぶっ!」

 相手に反応がなかったので、一応もう一度言ってみたつぶらだったが、さかしが――

つぶら、言葉は通じぬぞ。異国の兵だからな」

「………」


 自分が出るまでもないと思ったのか、茴那ういなは欠伸をしつつその場に座り込んで傍観の体だ。

 で、つぶらの相手をするのは、巨漢の猪利祖ちょりそとなった。

「さっさと終わらせろよ。こういうの、子龍の奴がうるさいからな」


              ☆  ☆  ☆


 シコメが一日千秋の思いで待ちわびている部下たちだが、そのうちの二人が、シコメの食欲への悪口を言いあいながら山中をさまよっていた。

「おれたちの三倍、いや、四倍は食うからな、あの人」

「おい」

 片方が樹上を見上げつつ肘打ちする。

 みると、いかにもうまそうな山鳩が枝にとまっている。

「やるか、はじく?」


 はじくはすでに弓を構えていた。

 ギリギリと弓を満月に引き絞り、狙いを定めると――

「シコメ様が喜びそうだ。――どうした?」

 一向に矢を放たない同僚に、訝しげな声をかける。

「なんだ、あれ」


 はじくの視界には、樹冠を透かして、四角い物体が映っていた。

 凧、だろうか。

 距離から類推すると、かなり巨大なものである。

 今時分、誰が、何の目的で凧を揚げるのか。

 はじくはすっかり鳩を射るのも忘れている。

「胡乱だな」

「海岸の方だ。行ってみるか」


 開けた場所に出ると、そこから海岸が見下ろせる。

 人間の発するざわめきが、潮騒のように届いてくる。

 この島には似つかわしくない喧噪だ。

 用心して途中から中腰になり、崖の方へそろそろと近づいていくと、二人はぎょっとした。

 海岸が隋の軍隊で埋め尽くされていたのだ。

 ざっと見ただけでも、大型の軍船が五隻。兵士は1000人ほど。

 凧はそのうちの一隻から揚げられている。

 おそらくは旗艦の目印なのだろう。

「なんだよ、これ」

「シコメ様が危ない。今すぐ戻るぞ!」


 二人が慌てふためいて木立の奥に消えていくと、かわって一艘の小舟が近づいてきた。

 乗り手はたったの二人。

「ふー、やっとたどり着いたな。むしろ奇跡だ、こんな漁船で……」

「運だけは人一倍でございますからな、若は」

「“だけ”は余計だ」


 馴染みのある掛け合いをするのは、“鳥籠作戦”の島から辛うじて脱出してきた裴洋、と爺だ。

 するすると巨船のあいだを縫っていき、砂浜に乗り上げる。

 たちまち槍先を向けられ、誰何されるが――

「バカ、俺だ、味方だ。子龍さまから特別な任務を仰せつかって、いま戻ってきたんだ。さっさと本営に案内しろ」


 砂浜に設けられた天幕の中に招じ入れられて、裴洋は子龍に対面する。

「おう、お前か。――ひとりか?」

 入港してくるところを見られていたようだ。

「まぁ、色々あって。で、ですけど。何蛮どのはやはり何か企んでいるようですよ。宇文様の部隊は全滅させられた」

 裴洋は見聞きしたことを洗いざらい報告した。


「やはりな」

「思い当たる節があるんで?」

「あぁ。元々やつが朝廷に反乱を起こした江南の水賊だったってのは知ってるだろ」

「えぇ、まぁ」

「奴の狙いは、隋帝国の転覆だ」

「げえっ!」

 あまりに飛躍した話しを、事も無げにしゃべる子龍に、裴洋は絶句する。

「お前が見たのは、“鳥籠作戦”だろう」


「いや、いや、いや。陛下に報告しないんで?」

「まだ弱い」

「味方を見殺しにしたんですよ。決定的じゃないっすか」

「フン。そもそもわれらの琉球での任務は、隋歴の頒布と撫民であって、鎮圧ではない。宇文の部隊も、軍律に違反していたといえば、言い逃れできる」

「そ、そうかもしんないですけど」

「あれはあれで、陛下に気に入られているからな」


 そこにひとりの兵士が飛び込んできた。

「子龍さま、茴那ういなどのと猪利祖ちょりそどのの姿が見当たりません」

「ちっ、あいつら」

 その二人はもともと何蛮の配下で暴れまわっていた水賊である。

 姿形は対照的だが、一応双子である。

 人身売買にもかかわっていたと聞く。

 何蛮水軍が隋の正規軍に編入されて以後も、かわらず何蛮へ忠誠を誓っていて、子龍の頭痛の種となっていた。


 奴らが姿を消したとなれば、どうせよからぬことを企んでいるに違いない。

「裴洋、ついてこい」

「大将御自ら出向くんで?」

「俺の言葉で大人しくなるんならいいんだがな」

「ヘイヘイ、どこまでもついていきますよ。これも身過ぎのため、出世のため」

 身も蓋もない裴洋の言葉に、子龍は苦笑する。


「海翁好鷗。――野心がある者には、鳥もそれを察して近寄らぬというぞ」

「類は友を呼ぶ、とも言いますけどね」

「けっ、食えねぇ野郎だ。だが、嫌いじゃねぇ」

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