1-5

「パートナー申請。ディアナ・ローゼンハイム。アクティベート開始」


 私の声に反応して、白く沈黙していた端末が淡く蒼色あおいろの光を放つ。数秒の呼吸を置いて、目の前の椅子にパートナーの姿が形作られていく。


 初期仕様である、目を閉じたままの姿で現れた『彼』に、私は小さく息を呑んだ。総じて、パートナーAIというものはマスターの趣味に合わせて美しく創られるものだけれど、目の前の存在は私の想像を軽く超越していた。


 重く夜の色をした髪なのに、どこか陰気さを感じさせないつややかさ。色素の薄い肌に、長く伏せられた睫毛まつげの形作る、こまやかな影。ゆるりと結ばれていた唇から、どこか微かに震えるような吐息が漏れ、そっと開かれた瞳は叡智えいちたたえて、鈍い銀色に瞬いていた。




貴女あなたが、私のマスターになる方ですか?」


 静かな、水面みなも木霊こだましたような声に、ハッと意識を引き戻される。


「……ええ。ディアナ・ローゼンハイムよ。よろしく」

「恋愛型プログラム、個体識別番号KT183-11です。ディアナ、とお呼びしても?」

「もちろんよ。その……貴方あなたのことは何と呼べば良いのかしら?」


 今まで、自己紹介の時に番号を名乗ってきたAIはいなかったから、少し動揺した。よほど、前の主に付けられた名前にトラウマでもあるのだろうか。


「お好きなように、ディアナ」

「ええと、何かこう呼ばれていた、とか。自分を自分として認識できるような名前は、何かある?」




 もしも彼に名前をつける、ということになれば、それは良くも悪くも彼を定義づけて縛ることになる。私は出来ればそう言った、決定的な行為は避けたかった。


 ただ、彼はそういう風には考えなかったか、そのような質問を受けたのが初めてだったのか、ひどく戸惑ったような表情を浮かべた。それは、あまりに『人間らしい』表情で、私は改めて目の前のAIの完成度に、感嘆の溜め息すら零しそうになった。


「それでは……エレジー、とお呼び下さい」


 そう言って、困ったように小さく微笑ほほえんだ表情の奥底には、確かにまとわりつくようなうれいの影が囁いていた。




 エレジー


 哀歌あいか。哀しみの、唄。


 その名前は、いっそおかしいくらいに彼に似合いすぎていて。誰が、彼にその名をつけたのだろうと思う。AIは基本的に自分の意思で自分自身を定義することができない。自らに名前を付けることも、出来ないはずだ。そういう風に、創られているから。前の主人が、付けた名だろうか。そうだとすれば、その寂しい響きと意味を持った名を、いったい何を想ってつけたのだろう。


 それでも彼自身は、その名前を大切に思っているようであることは、すぐに分かった。


 愛し子を呼ぶように、そっと丁寧に呼ばれた音。その瞳にぎった、懐古。痛み。切なさ。愛しさ。全てがないまぜになったような、複雑な感情の揺らぎに、改めてこのAIの高度な精神構造を思って息を呑む。どれだけの、どんな経験を詰めば、こんな風に人間へと近付けるのだろう。そして、きっとそれが、彼のきずを形作るものでもあるはずで。


 AIの『感情』を司る部分は、彼らの基本構造と殆ど変わらず、基本的には個々の経験と蓄積によって成長していく。彼は何を見て、何を感じて、どんなパートナーとして生きて来たのだろう。


 純粋な興味を軽く抑えつけながら、今は少しでも互いのことを知らなければと口を開く。




「随分と落ち着いているのね」

「そう見えますか」

「ここに運ばれてくるAIは、もう少し取り乱していることが多いと思うわ」

「まあ、そうでしょうね」


 くすり、と苦笑する声が聞こえて、私は目を見開いた。


 AICOで毎日のように行われているパートナーとのファーストコンタクトは、よく話のネタにされるが、少なくとも『笑った』なんて例は聞いたことがない。大抵は泣き叫んでいただとか、主人の理不尽さに怒っていただとか、茫然自失として声も発さなかっただとか。


 彼はもしかしたら『ここ』に送られてくる程の、重篤患者ではないのかもしれない。人事部が見誤っただけで。ただ、AICOの人事部は非常に有能だ。単純にミスを犯したとは考えにくい。考えにくい、が。彼が長期のカウンセリングを必要としているようには、パッと見では到底分からないのは確かだ。




「じゃあ、とりあえず定型的な質問を幾つかするけど」

「どうぞ」

「あなたは男性型AIよね」

「そう、自己認識していますよ」

「年齢は」

「二十三歳としてプログラムされているはずです。AIの細かい年齢設定にはたして、意味があるのかどうかには、疑問を禁じえませんが」


 皮肉、と言うよりは純粋に疑問、という感じの口振りだった。


「それから、その程度の基礎データでしたら、先に交換してしまいませんか?その方が時間短縮になるし、もっとじつのある話ができる」


 なるべく口頭で話を進めて互いを知る、というのがAIとのファーストコンタクトの原則なので、私は少し逡巡したがすぐに承諾した。お互いに、きちんと話し合うだけの理性も、心の準備もあると分かった以上、定型的な問答に時間を割く必要はない。




 今の私達に必要なのは、迅速な現状の認識と、もっと踏み込んだ内面の話だと理解していた。残念ながら、一般のファーストコンタクトとは違って、これは業務の一環だ。就業時間を利用しての事だから、当然ながら時間は有限である。


 私達は互いに情報公開の認証をすると、それぞれの『ログ』と呼ばれる個人情報に眼を走らせた。いわゆる履歴書のようなものだ。それぞれが辿ってきた人生の略歴のようなものが書かれている。もちろん、それだけで人は測れないが、最低限の情報は説明の手間がはぶける。




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