19-1
*
「全く、貴女っていうひとは……こんなに泣いて」
「っ、だってっ……」
いつまでも泣き止まない私に、彼は困ったように苦笑して、そっと私の頬に手を伸ばした。その指先を、後から後から零れる私の涙が、すり抜けて床に染みを作る。
「愚かだったのです……いいえ、物を知らなすぎた、と言うべきでしょう。私は、押し付けられた『恋愛』もどきしか、愛の形を知らなかった。だから、私には彼に愛を与えることも、彼から受け取ることも出来ないのだと思いこんでいた。かつての私に、教えてやりたいですね。愛には、色々な形があるのだと。そうすれば、彼はもう少し幸せに生を終えられたかもしれません」
きっと、貴方のマスターは、教授は幸せだったと。口に出して言うことは、きっと容易い。それでも、私はどうしても言うことが出来なかった。そんな、簡単なことじゃないと思った。
「どんなに苦しくても、みっともなくても、どうして生きてるのかなんて分からなくても。それでも、生きていかなくちゃいけない……今ならば、あの言葉を貴女がどんな思いで言ってくれたのか、少しだけなら分かります」
大切そうに言葉を紡ぐエレジーに、彼と出会った時に告げた言葉であることを今更のように思い出して頬が熱くなる。後から考えれば、恥ずかしくて仕方のないような
「私は、貴女に救われました。ディアナ、貴女に出会えて良かった」
真っ直ぐにこちらを見詰めて落とされた言葉に、私も今度こそは恥ずかしがらずに前を向いて、彼の言葉を受け止めた。
「私も、貴方がいたから自分と……過去と向き合うことができた。だから、ありがとう」
私達は顔を見合わせて笑い合って、さて、と彼は立ち上がった。
「気付いてます?もうすぐ夜が明けますよ。今日も仕事ですが、本当に眠らなくて良かったのですか?」
私は彼の言葉に、すっかり仕事のことを忘れていたことに気付いた。
「あー……そうよね。こんなに出勤が
「せめて出勤まで、少しでも
濡れたタオルを渡してくれるエレジーに「ありがとう」と呟いて、タオルを目の上に乗せた。泣きすぎて熱を持った
エレジーのお陰で出勤する頃にはバッチリ復活できた私は、問題なくいつも通りに通常業務を
「局長。ディアナ・ローゼンハイムです」
「入れ」
いつも通りの調子に、どうやら厳重注意やら小言やら愚痴やらの、ネガティブな用事で呼び出されたわけではないらしいと、小さく安堵の息を吐いてからドアを開ける。私とエレジーの顔を見比べると、満足そうに頷いた。
「よし。ちゃんと話したみたいだな」
完全に見透かされている。私はエレジーと顔を見合わせて苦笑した。
「まあ、そんなお前達に指名で依頼が来ている。お前達、というよりもエレジーにだな」
「私に、ですか」
AIに指名で依頼が来るなど、理由なんて限られている。大体どんな依頼か見当の付いてしまった私は、淡々と局長の言葉を待った。
「お前の前パートナーである、リヒャルト・アイヒマン氏の遺言が先日開封された。その内容がこれだ」
リヒャルト・アイヒマン……エレジーの『教授』は確かにそんな名前だった。そんなことを考えている私に、ポンと飛ばされたテキスト・メッセージはとても端的なものだった。
《私の所有する財産の全てを『
「そのLicht……リヒトって奴に、心当たりはあるか」
「いえ、彼の口から聞いたことはありませんね」
断言するエレジーに、局長が深々と頷く。
「だろうな。あの遺産課が見当もつかないらしい。そのリヒトってのが、既にいなかったり架空の人物だって言うなら遺産は政府のものになる。ただ、実在する可能性があるなら話は別だ。その遺産を政府のものにするなら、気が遠くなるくらいの手続きと最低でも三年の年月が必要になる。そこでこっちに話が回って来たってワケだ」
彼は珍しく迷っているように見えた。それでも私達を呼んだ以上は、最後まで用事を済ませるつもりであるらしく、一つ溜め息を吐いて話を続けた。
「こっちでも少しは調べてみたが、どうにもキナ臭いし、何となく予想はついた。ただ、俺の勘違いかもしれんし、きっとエレジー、お前には知る権利がある。受けるか?」
エレジーが確認を求めるようにチラリと私を見た。貴方の思うようにして、という意味をこめて頷く。
「受けます」
エレジーの言葉を待っていたように、局長がまた何かのデータを私に飛ばした。
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