19-2

「鍵だ。好きに使え。念のため、オンラインには上げずに、プロテクトも外すな。使い終わったら綺麗に『処理』しとけ」


 局長が何を言っているのか良く分からなかったが、彼がけむに巻くような物言いをするのはいつものことだ。その時になれば分かるだろう。


「失礼します」


 部屋から出ようとした私達に、局長がふと顔を上げて付け加える。


「ああ、それから、お前たちのパートナー『本契約』の申請、勝手に出しておいた。あれは無駄に時間がかかるからな。まあ、破棄しても構わん。お前たちの好きにしろ。以上だ」


 言うだけ言って、彼は追い払うようにシッシッと手を振った。私は急な話に困惑を抱えながら、局長室を出た。AICOである限り、私達はあくまで期間限定の仮契約者。でも、本人が望めば、特例として本契約が認められることがある。


(それって、エレジーとずっと一緒にいられるってこと?)


 降って湧いた話に呆然と立ち尽くす私に、エレジーが落ち着いた声で言葉を掛けた。




「局長の口ぶりからして、今すぐに決めろという話ではなさそうですから、とりあえずは目の前の案件を片付けてしまいませんか。それから二人で、ゆっくり考えましょう」

「そう、ね……局長が持って来た依頼だもの。どうせ一筋縄では行かないんでしょうし。何より貴方の『教授』のことだもの。中途半端にはしたくないわ」

「ありがとうございます」


 いつもの調子で前に立って歩き始めたエレジーの背中をみつめて、私はホッと小さく息を吐いた。彼がこの先も隣にいてくれることは嬉しい。でも、彼はどう思っているのだろうか。この先もずっと、共に在ること。私が、死ぬまで?


 一気に飛躍した考えに、しかしこれはそういうことなのだと改めて噛み締めた。それを彼に強いることは、私にはできない。私が考えても仕方のないことだとかぶりを振って、いつも通りを装って私のパーテーションに戻る。


「ねえ、そもそも教授にご家族はいるの?」

「いらっしゃいませんよ。少なくとも、戸籍の上では」


 そう言って、エレジーは私にも見えるように政府発行の戸籍謄本を展開してくれる。私達の半生を記している『ログ』の重要な箇所のみが抜き出された正式なもので、身分証明としても履歴書としても幅広く利用される、ここアリエスの人間にとっては馴染み深いものだ。それによると教授のご両親は共に他界しており、配偶者はナシ。実子も養子もナシ。


「ご友人とか」

「……私の知る限り、どなたかがたずねてきたことはありませんよ」


 まあ、エレジーの話を聞いていて想定していたことではあった。




「ねえ、教授は老衰で亡くなったってことは、結構なご高齢なのよね?戦前の方なの?」

「ええ、そうですが……戦争で戸籍が失われた、ということはありませんよ。政府ができて一番最初に行われたのが、住民の登録ですし、それぞれの旧出身国家のデータから引っ張って来てあります。簡単な身辺調査もその時に行われていますし」


 それって八方ふさがりなんじゃないの、と思った矢先「ですが」とエレジーが呟いた。


「この戸籍は、おかしいです」

「……私には至って普通の戸籍に見えるけど」


「そこですよ。あまりに綺麗過ぎる。この戸籍によれば、彼は由緒正しい大学院を卒業後は、ずっと従軍していて、戦後にAI研究者になったとあります。一大産業として残りましたから、戦後にAI研究者になった方は沢山います。でも、彼の知識と技能を考えると、それはかなり不自然ですし……やはり、このデータはダミーのようです。裏に膨大な容量の隠しファイルがあります。かなり厳重なプロテクトがかかっていますけれども」

「え、何それ」


 いつもならば、それでも『はい、どうぞ』と何食わぬ顔で開けてしまいそうなエレジーが、珍しく険しい表情で黙り込む。どうしたの、と問いかけようとした私の前に表示されたのは『第一級機密事項―閲覧権限を有していません』というアラートだった。


「嘘でしょ?たかが戸籍に第一級機密事項?」

「それが『たかが』ではないのかもしれません……ディアナ、先程リンネ局長から渡された鍵を使いますよ」

「成る程ね」


 ここで使うものだったのかと納得する。局長はきっと、この先を見たのだろう。それで、私達に見せることを躊躇った。私の知る限りは、初めてのことだ。湧き上がる内心の不安とは裏腹に、何の抵抗もなく鍵は開いた。




「本物の戸籍……」


 彼の名前はリヒャルト・アイヒマンなどではなかった。本名はヨハン・ミュラー。


「大学院で博士号を取得後、AI研究者として数々の功績を残す。中でも同じくAI研究者の妻ユミコ(日本国籍・死去)と共に開発したAIの『感情』プログラムは、戦後のサポートAI全ての基本構造となっている。氏の安全確保のため、本戸籍は凍結するものとする」


 震える指が、声が、意味もなく真実の上を辿る。その先には、彼の遺したAI研究や、大戦期に襲撃された事件に至るまで膨大な資料が添付されていたが、私達の目を引き付けたのはそんな『どうでもいい』ものではなかった。



 ヨハン・ミュラー氏……教授と、その妻ユミコさんの間には、一人の息子がいた。


 エレジーの声が、そっとその名前を呼んだ。彼の名前は

「ヒカル……」







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