20-1



 道中の会話はなかった。私も、彼に何と言葉を掛ければ良いのか分からなかった。


 少なくとも、教授が彼を『偶然』パートナーにしたのではない、ということだけは確かだった。教授は何を思ってエレジーを探し出し、パートナーにしたのだろう。きっと今、エレジーはそれを考え続けているはずだった。ただ、エレジーの話を聞いている限り、教授がエレジーに対して負の感情をいだいていたようには思えない……ただ、彼の思う所は私には分からない。そうであって欲しい、というのが本当のところだ。


 まず間違いなく、エレジーのマスターであった『ヒカル』と、教授の息子の『ヒカル』は同一人物だった。旧ドイツ語で『Lichtリヒト』は『光』……恐らくは『ヒカル』を意味するのだろうということを、局長に伝えたところ、もう少し決め手となる証拠が必要だと返されて今に至る。私達は、教授とエレジーが十年の年月を共に過ごした、隣町のヴィンターにある家の前に立っていた。きっとこの場所に、全ての答えはあると確信していた。


「エレジー……良いの?」


 黙って家の扉のロックを解除しようとした彼に、私は思わず声を掛けていた。エレジーはピタリと動きを止めて、迷うように立ち尽くした。それでも彼は、伏せた瞳を決然と上げて私を見詰めた。


「私も、過去と……真実の声と向き合わなければ。貴女がそうしたように」


 そう告げて、彼は躊躇いなくドアのロックを外した。




 家の中は、きっと彼がこの家を飛び出していった時のままで、整然と片付いていた。数は少なくても、ところどころに置かれた家具に温もりを感じる。部屋の奥に置かれた小さなテーブルと二つの椅子に、どうしてか胸が苦しくなる。


 エレジーは、真っ直ぐに一つの扉の前へと歩いて行った。


「ここが……?」

「はい」


 エレジーが入室を許されなかった『開かずの間』……教授がほとんどの時間を過ごしたという研究室。私は部屋のドアに手を掛けたエレジーの手に、そっと自分の手を重ねた。目を見開いて私を見詰めるエレジーに、私は微笑んでみせた。


「一緒に開けましょう」

「……はい」


 彼は力強く頷いて、もう一度ドアと向き合った。かすかな電子音と共に、ロックは外れた。


「……?」


 中は想像していたのとは全く異なる『普通』の書斎だった。至って質素な椅子と机と、そして強いて言うならば、今時珍しい紙の本がいっぱいに詰まった本棚。それは恐らく値段の付けられない嗜好しこう品に違いなかったけれど、教授がそんなものを隠したがっていたとは思えなかった。




 途方に暮れて立ち尽くすエレジーに、胸が締め付けられるように痛む。何か……きっと何か彼は遺しているはず。きっと、エレジーに伝えたいことがあったはずだから。私は部屋中をもう一度くまなく見渡した。何か、不自然なもの。


「みつけた」


 ビクリと肩を揺らすエレジーを横目に、私は床に敷いてある小さめのカーペットをめくった。やはり、ここにあった。フリーデリカさんの時と同じ、地下室への扉だ。分かりにくいように床に同化させてはあるけれど、そこにあると分かっていれば指を掛ける場所を見つけるのは簡単だった。


 床下から現れた地下へと続く階段に、目を見開くエレジーに、私はニッコリと笑ってみせた。いつも彼がそうしてくれるように、手を差し出す。


「行きましょう、エレジー」


 彼はおずおずと私の手を取ると、泣きそうな顔で微笑んだ。


(泣くには、まだ早いわよ)


 心の中でそっと呟いて、私は地下の闇の中へと足を踏み出した。石造りの階段はそれほど長くなくて、その先には謎の蛇腹の鉄柵が待っていた。




「……これって、何だと思う?」

「恐らくエレベーターですね。それも気が遠くなるくらい旧式の」

「これが?」


 エレベーターなんて政府庁舎にあるものしか見たことが無いけれど、それはこんな風に乗るのが怖くなるような奇怪でびついた見た目をしているものではなかったはずだ。


「教授が毎日乗っていたのでしょうから、安全性に問題はないはずですよ。多分」


 ここまで来たら乗るしかない。私は蛇腹の柵を押し退けてその箱に乗り込むと、エレジーの指示に従ってエレベーターを操作した。と言っても、ほとんど手動のハンドルを回しただけだったのだけれど。


 きしむように嫌な音を立てながらも、無事に目的地に到着したらしく、衝撃とともにエレベーターが停止する。もう一度、蛇腹の柵を開けた先には、金属の重々しい扉が待っていた。これが最後の扉だという確信があった。


 私とエレジーは顔を見合わせると、頷いて、一緒に扉のドアノブを握った。




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