20-2

 子どもの頃に憧れた『秘密基地』が、そこにはあった。


 精緻せいちな線で描かれた何かの設計図や、私には見当もつかないプログラムのコードが走り書きされたメモが、隙間なく壁に貼られていて地図のように見えた。それを目で辿るうちに気付いた。実際、これは地図なのだ。彼が歩いてきた道を示す『感情』の地図だ。AIの歴史、そのものだった。


 部屋には大きな作業台が置かれ、何に使うのかも分からない工具が整然と並べられている。隅には恐らく文字とプログラムを打ち込むことだけを目的とした、私もお目にかかったことが一度か二度しかないような旧式のパソコンが置かれていた。


 そしてそこに『彼』はいた。


 美しい、青年だった。部屋の中に二つだけ置かれた椅子の、片方に座っている彼は、眠っているかのように瞳を閉じていた。


「……エレジー」


 目覚めればきっと、その深い銀色の瞳が覗くのだろう。柔らかな黒髪も、その白磁の肌も、全てが確かな実存を持ってそこにある。それはきっと、失われた叡智と技術の全てを詰め込んだ、世界にたった一つの特別な『DOLLドール』だった。そのDOLLは、大切に抱き締めるようにして、一通の手紙を持っていた。


 隣にいる『本物』の彼を見上げれば、全く同じ顔に戸惑いの表情が浮かんでいた。私はDOLLから手紙を抜き取ると、彼に見えるように広げた。長い手紙だった。





 まだ、名前を持たない君に。


 こんな書き出しで済まない。けれど最後まで私は、息子が君につけただろう名前を聞くことができずにいた。これを読んでいるということは、きっと私とヒカルのことも既に知っているとは思うが、一応ここに記しておく。君の最後のマスター……いや、K7-01としての最後のパートナーであるヒカルは、私の息子だ。ただ、勘違いしないで欲しいのは、君に手酷い復讐ふくしゅうをしてやろうと思って、十年も君と共に在ったわけではないということだ。そもそも、私が復讐などと、烏滸おこがましい話だな。


 順を追って話そう。そもそも私が『感情』を持ったAIを作ろうなどと思ったのは、私が口下手で友人がいなかったからだ。話し相手が欲しかったんだよ。人間よりも優しくて、完璧な話し相手が。笑える、いや、後のことを考えれば笑えない話か。とにかくそんな下らない理由で、私は『感情』に固執した。でも、私の作り上げるものがどんどん『人間らしく』なるほど、私は最初の頃の理由など忘れるくらいAIにのめり込んでいった。その頃は大分世間も戦争に向けてピリピリした雰囲気になってきていて、AIに感情など要らないとする人がほとんどになっていたから、私はますます孤立していったが、妻だけが私を理解し支えてくれる研究者だった。研究費もロクに貰えていなかったから、金持ち向けにDOLLを作って研究費を稼いだ。やがて結婚して、ヒカルが生まれる頃に初めて『感情』と呼べるものが完成した。それから少しずつ改良を重ねていって生まれたのが、君達Kシリーズだ。


 そこに、大戦が始まってしまった。私と妻は別々の国の人間だったから、尚更狙われやすく、別々に逃げることにした。私が最も狙われている全ての研究データを、妻はヒカルを連れて。それが、二人の姿を見た最後になった。私は結局捕まって、研究の続行と引き換えに命の保障を手に入れることになった。その時、命を捨ててでも、全ての研究データをこの世から消し去るべきだったのかもしれない。私は自分が何に使うためのものを作らされているのかも知らずに、兵器を生み出し続けていた。いや、きっと目を背けていただけだった。


 やがて戦争が終わって、私は政府に捕らわれていた身として、地下の研究室から救い出された。すぐにヒカルと妻を探した。二人が既にこの世にはいないことを後になってから知って、今度は君を探し始めた。ヒカルの最期、その場所にいた君を。きっともう、執念のようなものだったのだと思う。最初はまとはずれな復讐心だったのかもしれない。私の抱えている怒りを、哀しみを、悔しさを、君にぶつけてやろうとでも思っていたのかもしれない。


 でも、ようやく見つけた君をパートナーにして、家に来た君が瞳を開いた瞬間に分かってしまった。君は傷付き、苦しんでいた。君の瞳は哀しみに満ちていた。実際にそうだったのかどうかは、分からない。私はそういう話を全く君にしなかったから。だから、私の勝手な妄想なのかもしれないが、いずれにせよ私は君に何も言えなくなってしまった。代わりに襲ってきたのは、今まで何かに固執することで抑えつけていた深い後悔の念だった。きっと君は、気にし続けているのだろうから言っておく。ヒカルが死んだのは、沢山の子ども達が死んだのは、決して君の所為ではない。君達をそういう風に使った人間が悪いんだ。そしてそういう用途で使えるように、君達を設計してしまった私が悪いんだ。



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