1-7

「どうして死にたいと思うの?」

「死にたい、と言うより」


 彼は少し言葉を選ぶように考え込んでいた。


「これ以上、自我を保っているのが辛いのです。私は自分の存在意義を、完全に失っている。存在意義を失くしたAIは、自ら動くことが出来ません。私の精神はギリギリの均衡状態にあると自覚しています。それを客観視している自分がいるので、かえって冷静になれている」




 重苦しい沈黙が落ちた。私はカウンセラーとして何か言わなければ、と思ったが、何も良い言葉は見当たらなかったし、彼も薄っぺらい言葉を求めているようには思えなかった。


 彼は、良くある事例のように主人から捨てられたパートナーではなかった。むしろ、パートナーが天寿を全うするまでそばにいて支え続けた、AIの理想だとも言える。ログにも、パートナーとの関係は良好とあり、基本的に一日を共に過ごし稼働し続けているデータを見ても、そこに虚偽はないように見えた。


 それなのに、どうして彼が死を願うほどにまで、存在意義を見失っているのかが理解出来なかった。主人の後を追いたい、という行き過ぎた忠義や親愛が理由でもなく。彼が高度に成長したAIだからという理由だけでなく、彼の歩いてきた道のりに『人生』に深く興味を抱いて、その瞳を覗き込む。




「私の存在意義は、何でしょうか。私は最後まで『教授』に愛を与える事が、出来ませんでした。彼から愛を与えられることも、恐らく無かったと言えるのでしょう。彼はきっと、私を研究対象としか思っていなかった」


 そこで彼は、一旦言葉を切った。やり場のない感情を、どうにか抑えつけようと努力しているように思えた。そこに、彼の『精神』の完成度が改めて窺い知れて、どうしてか胸が締め付けられた。


 彼の主人は、研究者であると書かれていた。それもAIの研究者。この世界では、特に珍しくない仕事ではあるが、だからこそ彼を研究対象としてしか見れなかったのだろうか。そうだとすれば、それはとても悲しい話だと、声には出さないまま思った。


「どうして私は、最後までマスターを独りきりのまま旅立たせることしか、できなかったのか。私は、私には、もう愛と呼べるものが何なのか判りません。愛を知らない恋愛型AIなんて、どんな皮肉でしょう?何のために、私は意識化され、思考し、エネルギーを消費しながら存在しているのでしょう。制御システムのせいで、狂ってしまう事すら許されない」




 この『箱』は、永遠の牢獄だ


 血を吐くような、叫び。これが、ただのプログラム、だろうか。


 彼を見て、迷いなく『機械』と言い切れる人がいるのならば、我々は何をもって『人間』であると言えば良いのだろう。彼の感情が、ただのプログラムだとするのなら、何が正しい『心』だと言うのだろう。私と貴方を、隔てているものは、何だろう。




 愛そうとして、愛させてくれなくて、失って、悔いて、この手には何も残らず、その手に何かを残すことも出来ず。与えるために生まれ、存在しているはずなのに、与えられるばかりで、自分だけがとり残されて、自分を見失って。


 それでも、生きていかなくちゃ、いけなくて。


「それでも、そう。生きていかなくちゃ、いけないのよ」




 自分の声が、思っていたよりもずっと震えていて、ハッとして喉を押さえる。その手すら、みっともないくらいに震えていて、情けないと息を吐き出す。それでも、伝えなければ。それが、私の生きて行く理由だと、決めたのだから。


 この手で救えるものなんて、本当にちっぽけなものだけれど、それでもつかんだ手は二度と離さないと『あの日』に誓った。


「どんなに苦しくても、みっともなくても、どうして生きてるのかなんて分からなくても。それでも、生きていかなくちゃダメなの」




 知らず、涙が零れていた。どうして私は、見ず知らずのAIの前で、感情を高ぶらせて泣いてしまっているのだろう。それはきっと、彼が『喪失』を『痛み』を知っているからだとか、そんなことだけが理由じゃないと分かっていた。


「どうか、泣かないで」


 ふと、視線を上げれば、彼がそっと私の手に触れていた。その、感触も温度もないはずの手が、どうしてかひどく温かく感じた。


「……ごめんなさい。カウンセリング中に泣くなんて、プロ失格ね」

「いいえ」


 優しく、それでもはっきりと彼は否定した。




「私は、自分のために泣くことが出来ません。だから……私のために泣いてくれて、ありがとうございます」


 彼はぎこちなく、それでも微笑って見せた。それは、どこか崩れたような不自然な笑みだったけれど、さっきまでの完璧な笑顔よりずっと美しいと思った。


「貴女は、優しい人ですね」


 私は、優しくなんかない。エゴばっかりだ。自分のことだから、どうしようもなくそれを知っていたけれど、頭ごなしに彼の言葉を否定するのは間違っているような気がした。




「……今、死ぬことが許されないならば、貴女のその涙に報いたい。私に、何を望みますか。マスター」


 彼が、私の涙に何を見出してくれたのかは分からない。それでも、道は開けた。私は、私に出来ることをする。それだけだ。それしか、出来ない。


 私は息を吸い込んで、永遠に触れることの出来ない彼の指先を、そっと自分の手で包んだ。少しでも、何かが伝われば良いと願って。




「私は、貴方のことを理解したい。言葉を交わして、心を交わして、貴方が誰のどんな人生に寄り添って歩いてきたのか、貴方がどんなAIなのか、何を想っているのかを知りたい」


 手の中で、彼の手が微かに震えた気がして、ハッと顔を上げる。そんなはずはない、のに。


 アバターはそんな細かい心の動きまで再現するように出来ていないのに、彼の瞳の奥が、引いては寄せる波間のように揺らぐのが見えるような気がした。




「私の、パートナーになって下さい」


 私達が繋がる、たった一つの方法。パートナーは家族のようなものと思っているつもりでも、今までどこか事務的に響いていた決まり文句が、全く違う響きをもって自分の耳に届いた。


「……私はきっと、死ぬことを諦めませんよ」

「ええ」

「貴女が思っているような、綺麗なAIじゃないですよ、きっと」

「綺麗なままでいられる人間なんて、いない。AIだって、同じよ」




 彼は、エレジーは、観念したように目を閉じて、忠誠でも誓うかのように私の手の甲にキスをした。


おおせのままに。私の、マスター」


 そう呟かれた言葉は、どこまでも滑らかで。一つ一つの音に、美しすぎる哀しみの色だけが滲んでいたことを、良く覚えている。




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