2-1

 *


「……ナ……ディアナ」


 耳元で一際ひときわ大きく囁かれて、ゆるゆると眠りのふちから目覚める。いつもの耳馴染みがある鳥のさえずりは聞こえなくて、首を傾げるも、窓の向こうの空は白み始めている。


「おはようございます、ディアナ」

「ん……おふぁよぅ」


 少し不機嫌そうな声が聞こえ、小さく欠伸あくび混じりの挨拶を返せば、微かに溜め息のような音が聞こえた。ベッドサイドのアイグラスを手探りで掛ければ、すぐそばに腕組みをしたエレジーが立っていて、朝から心臓が止まりそうになる。




「私の新しいマスターは、随分と寝坊助ねぼすけさんですね」

「もう、びっくりした……朝からおどかさないでよ。ログの最終行が『びっくりして心臓発作を起こす』とか言う死因じゃ、死んでも死にきれないわ」

「でも、おかげで目が覚めたでしょう。私が何回起こしたと思ってるんですか」

「さあ……寝てる時の事まで、責任持てないわ」


 エレジーは、その端正な顔立ちに青筋が浮かびそうになるのを、必死にこらえているような表情を浮かべた。


「あの、ピーチクパーチクうるさい目覚ましを止めた後、二十回は貴女に呼び掛けました。目覚ましで起きないなら、掛けておく意味をなさないのでは?」

「だから、あれだけ早い時間に掛けてるんでしょ。朝は弱いのよ……それ以外は強いから安心して」

「全く……独りの時は、どうしていたんですか」

「長時間掛けておけば、いつかは目覚めるものよ」


 彼は頭が痛いとでも言いたげに顔をしかめて、のそのそと起き上がって顔を洗いに洗面所に立った私に、呼び掛けて来た。




「朝食に、卵は食べますか?」

「うん、たまに食べてる……って、まさか、作ってくれるの?」

「それがサポートAIというものでしょう?前任者には、作らせていなかったのですか?」


 私は、少し言うのを躊躇ためらったが、隠しても仕方ないからと口を開いた。


「アレクは、トラウマで料理が作れなかったの」

「……悪いことを、訊きました。申し訳ありません」


 目を伏せて頭を垂れるエレジーに、気にしないで、と肩を叩こうとして寸前で止める。彼と話していると、人間と話している時のように接してしまう。


 眼の前の彼は映像。映像だから、触れられません。そう自分に言い聞かせながら、言葉にして伝え直す。




「気にしないで。私のトラウマじゃないもの。疑問に思ったことは、悩まなくていから何でも聞いて」

「承りました」

「で、朝ごはんだっけ?」

「ええ、スクランブルか目玉焼きかオムレツ、どれがお好みですか?」

「オムレツ!オムレツがいい!ふわふわしてるやつっ」

「はいはい、了解です」


 子供みたいな返事を返した私に、エレジーが苦笑してキッチンに去っていく。


 本当に、AIっぽくないなあと思いつつ、手早く顔を洗って、きっちり化粧を済ませる。クローゼットから例の目立つ白い制服を出して身にまとうと、気持ちがいつも通りシャッキリするのを感じた。




「出来ましたよ……っ」


 先程とは打って変わって、背筋を伸ばして身だしなみを整えた私を見て、エレジーが目を見張った。


「見違えましたね」

「……それって、褒めてる?」


「褒めてます、褒めてます。貴女は、本当にオン・オフの激しい方のようですね」


 呆れたように眉を下げて、どうぞ、とエスコートされた先では、美味おいしそうな香りの湯気が立つ朝食が待っていた。




「わぁ、すごい……王様の朝ごはんみたい」

「さすがに、王族の方はもっと良いものを食べるとは思いますが、ありがとうございます」


 少し照れたようなキラキラした王子スマイルと、テーブルの上のキラキラした朝食を交互に見詰めながら席に就く。


 私では何度試しても、切ろうとすればボロボロになってしまっていた堅パンは、薄くスライスされて黄金こがね色に焼かれ。見るからにフワフワのオムレツに、恐る恐るフォークを入れれば、チーズがとろりと零れてきて、思わず歓声を挙げる。


「チーズオムレツだ!私、これ大好きなの。お母さんが昔、たまに作ってくれて。自分じゃ上手く作れないんだけど」

「お熱いうちに、どうぞ」




 微笑ましそうな顔で勧めるエレジーの言葉に従って口に運べば、溶けるような舌触りと柔らかなチーズと卵の味が広がった。軽く振られた胡椒が利いて、薄く焼かれて堅さのやわらいだ堅パンと良く合っている。家庭菜園で、良い具合に育っていたトマトが、脇で彩りを添えて目にも優しい。マグにれられたコーヒーも、芳醇ほうじゅんな香りで食欲をそそる。実はコーヒー豆ではない代替品で、本物のコーヒーよりもかなり味が薄い代物なのだが、熱すぎない温度のお湯で丁寧に淹れられたそれは、粉に秘められた旨味を最大限に引き出しているように思えた。


 昨日まで私が食べていた朝食と、ほとんど変わらない材料を使っているはずなのに、人の作った温かいごはんはこんなにも贅沢ぜいたくなものなのかと思い知らされる。



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