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「こんな美味しい朝ご飯を食べられるだけでも、貴方のパートナーは幸せ者だと思うわ」

「そう、だと良いのですが……前の主は、あまり味などに対するコメントは、なさらない方だったので」


 少し硬くなった表情を横目に、まだ前の主人の話は難しいか、と思いつつ、気にめていないように装う。


「でも、全部食べていたのでしょう?」

「そうですね……残したりは、していた記憶がありません」

「なら、美味しかったのよ。きっとね」


 そう微笑みかければ、彼はまだ少し硬い表情のままだったが、少し頬を緩めて頷いた。


「朝ご飯、ありがとう。仕事、バリバリやる気が出て来たわ」


 この口の中が幸せな状況に、これから歯磨き粉で洗い流してしまわなければならない事が惜しいくらいである。




「喜んで頂けて、幸いです。朝刊は、どうしますか?」

「出来たら、目ぼしそうなニュースの大事なところだけ、読んでくれると助かるわ」

「了解しました」


 私が歯を磨いて、口紅を塗るために洗面に立つと、エレジーは例のハウスキーパータイプの端末……ロボットアームを駆使して器用に食器を片付けつつ、リクエスト通り朝刊の要約を読み上げ始めた。


 狭い世界かつ、犯罪件数も激減した世界で、そう大したニュースがあるわけでもないのだが、直近に発生した事件や事故は把握しておく必要がある。仕事柄、自分自身が事後処理の担当に回される可能性があるからだ。事前にことの概要くらいは掴んでおきたい。


 今日のニュースは、引ったくりの件数が五年前と比べて半減したという記念すべき記事。ゾンマーの方でトラムの脱線事故、ホッとしたことに死傷者はゼロ。一番大きいのは、昨晩発生した『エンデ』第八階層での崩落事故、死者二名に負傷者三名。


「以上です」

「ありがとう。お陰様で、準備万端よ。そちらの片付けは?」

「完了しています。ただいま、そちらの端末に転移します……転移完了。いつでも出発できますよ」


 家のローカルネットから、端末に意識を移動させたエレジーに頷く。




「それじゃあ、行きましょうか」


 扉を開けて、外の空気を吸い込む。いつもと同じように調整されているはずの空気が、心なしか美味しく感じる。やはり、朝食は大事だ。ガラスの向こうの空は薄曇うすぐもりのようで、灰色の雲の端の方がオレンジ色に染まり始めていた。


「あ、ヴァイオリン少年がいなくなってる」

「何ですか、それは」

「多分『地下』から来た未登録者。この時間帯に、毎朝ここでヴァイオリンを弾いてたんだけど」

「それは、残念ですね。いえ、少年のことを考えれば、良かったと言うべきですか」

「ええ……政府から、良い仕事を貰えてることを願っておくわ。綺麗な音で、結構楽しみにしてたから、少し惜しい気もするけど」

「私も、こう見えて音楽の造詣ぞうけいはあるのですよ。主人の影響もあって、クラシックが好きです」




 こう見えて、というか音楽だの芸術だのの造詣は、いかにもありそうな見た目をしていると思って苦笑しつつ、彼が示した初めての『Like』に興味を惹かれた。


「前のご主人は、音楽を良く聞いてらしたの?」

「ええ。それもデジタルのアーカイブではなく、正真正銘のレコードです」


 心なしか胸を張って、誇らし気に告げられた言葉に絶句した。


「レコードって、冗談でしょ……あの、トンデモ金持ちしか所持してないっていう、伝説の記録媒体?」

「そうです。その伝説の記録媒体です。それも、大戦後に買い求められたものではなく、元からご自身の私物だったものなんですよ。あの方のコレクションは私が管理していましたが、質も量もかなりのものです」




 それは確かに、胸を張って良いだろう。そのレコードコレクションだけで、ひと財産になる。オークションにかけても、値段がつかない。金持ち連中は、喉から手が出るほど欲しいだろうから。


 大戦前は主流であったらしいCDだのDVDだのと言った記録媒体は、腐食が早いことで既にまともに聴けるものはほとんど残っていないらしい。その反面、レコードは完全にり切れてしまわない限り、きちんと手入れさえしていれば、長い間聞き続けられるということで、大戦で失われた『良質な音楽』を求める好事家こうずか連中の垂涎すいぜんまとになっていた。


 ただ、いかんせん自分の命を守るだけで精一杯の大戦のさなかで、レコードを持って避難するような酔狂な人間がそれほどいるはずもなく、現状ではかなりの希少品として流通している。そんな存在であるレコードを、自前で沢山持っているとは。世の中には色々な人間がいるものだ、と思いつつ、ふと浮かんだ問いを口にする。




「どうしてクラシックが好きなの?」

「やはり、マスターが聴いていらしたから、というのが大きいですが。そうですね、特にオーケストラの曲を聞くと考えさせられるのですが、我々AIほど並列思考を簡単にこなすことの出来ない人間が、緻密ちみつ総譜スコアをたった独りの頭の中で編み上げて、更に何十人もの人の音を重ね合わせることで美しいハーモニーを生み出す。それも弾き手や指揮者によって、いくらでも同じ曲がいかようにも表情を変えるのです。そう言う意味でも、最高の生きた芸術だと思います」


 いつになく熱をたたえた瞳で語るエレジーを、私は半ば呆気にとられて見詰めていた。本当に明確な『好き』である理由があることと、好きなものを語る時は人間もAIも同じなのか、ということに驚かされた。



「本当に、好きなのね」



 感心の色が自然と言葉に乗って、エレジーは少しだけ照れくさそうに笑った。



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