3-2
「よっ、嬢ちゃん!久し振りだな。相変わらず、良く通る声だねえ」
「よっ、じゃないから!急停車しないでって、前から言ってるでしょう?」
済みません済みません、と乗客に頭を下げれば、ああAICOの人かと訳知り顔な顔をされた。
「こっち向きってことは、行き先はフリューリンクだな?いや、嬢ちゃんのためなら逆走だって辞さない覚悟だけどよ」
「そんな覚悟しないで良いわ、遠慮しとく」
「よっし、それじゃあ全速前進だな!」
「普通に!安全運転で!ダイヤは守って、連れてって下さい、お願いします!」
おじさんは、既に運転を再開させていたが、ハンドル片手にガシガシと頭を掻いた。
「あー、分かってるって。嬢ちゃん見てると、うちの娘とおふくろをいっぺんに思い出すよ」
「そういう、微妙に反応に困る返し、やめて頂けますかね……っていうか、娘さんの方はご存命どころか、私の職場の同僚なんだけど?」
このアドルフおじさんは、以前トラムの脱線事故が起こった時に(整備不良とか、老朽化とかで時折起きる)ちょうど居合わせた私の迅速かつ丁寧な対応と、命を救われたことにひどく感謝したらしく、それからというものタダでトラムに乗せてくれる事になった。
私が駆け出しの頃から応援してくれる人の一人なので、とてもありがたく思っている。思っているのだが、いかんせん愛が重い。普通にトラムの運転手をやってるおじさんが、トラムの経営者本人だと知った時には驚いたけれど、運転手全員に指名手配犯のごとく私の顔写真が配られていて、トラムに乗る
世界は狭いとは良く言ったもので、後からおじさんの娘が同僚であることも判明したのだけれど、どうにも娘より溺愛されている節がある。家でもディアナの話をされると聞いた日には、私の家族ではないはずなのに、こちらが謝らねばならないような気までした。
「もう。あらっぽい運転が、事故の元なんだからね。乗客の命預かってるんだし、私達の仕事増やさないでよ?」
「うんうん。そんなに心配してくれるなんて、やっぱり嬢ちゃんは優しいな」
ダメだ。やっぱり聞いてない。そして乗客たちよ、今日も平和だな、みたいな微笑ましそうな表情を向けるのをやめて欲しい。
私は今日も彼に安全運転の大切さを説くことを諦めると、少し行儀が悪いことには目をつぶって、先程買ったばかりのバナナと牛乳を胃に流し込んだ。エレジーの言葉に従って、買っておいてよかったと心底思う。現地に着いても、問題なく頭を働かせることが出来そうだ。
「ありがとね、エレジー」
「いえ、これが私の仕事ですから。それにしても、気持ちの良い
「ええ。私もそう思ってる」
彼が、親切で情の厚い人であることは間違いない。こういう人がいるからこそ、世界は明るく回っているのだろうと思う。
「……少し、眠りますか?目的地が近付いたら、起こしますよ」
「ううん、起きてる。さっき言ってた依頼の内容、詳しく教えて」
「かしこまりました」
依頼主はビアンカ・リッター。依頼文は取り乱しているようで要領を得なかったが、亡くなったばかりの兄ユリアン・リッターの遺品である、AI端末を探して欲しいとのこと。
そのユリアン・リッターとやらが何者なのかを調べてみた所、基本的に掘削事業に
基本的に事件・事故現場は、火災などの直近の危険性が無い限りは、二十四時間後から解体を始めることが規定されている。もし現場に重機が入れば、精密機器であるAI端末などひとたまりもないはずだ。今日中に見つけなければ、チャンスは二度と無い。あの時点で私を動かしたのは、合理的な良い判断だったと思う。人間の指示を、ここまで的確に理解し、自ら考えて行動できるAIも珍しい。
「お手柄ね」
「ありがとうございます」
今度は素直に褒め言葉を受け取って頷くエレジーに、微笑みを返す。
「そろそろ目的地付近に到着します。どうしますか?」
「飛び降りるわよ。おじさん、ありがとう!」
「はいよ、またいつでも乗りな!」
駅でもないところでトラムを飛び降りた私に、エレジーがギョッとしたような顔をしていたが、乗客はみんな慣れているのでヒラヒラと手を振って去って行った。
「貴女は……意外とアクティブな女性なんですね」
「そうかしら?」
特に市街を走っている時は、そんなに速度も早くない路面電車だ。正直、昔からこういう使い方をしているから、すっかり慣れてしまった。
エレジーはやれやれと首を振りつつもナビを始めた。
「依頼主の自宅は、三つ目の角を左に曲がったところです」
「了解」
スタスタと駆け寄ってそのままドアベルを鳴らそうとした私に、エレジーが慌てたように引き止めた。
「ディアナ」
「うん?どうかした?」
「髪が、乱れています」
私の髪を整えようと手を伸ばして、それがあまりにも自然だったから、私もつられて目を閉じた。
そして二人同時に思い出す。彼は私に触れることが、出来ないのだということを。
「っ、すみません」
「ううん、私の方こそ。うっかり忘れちゃってた……」
お互いに少し気まずい空気の中、オープンなトラムの風で乱れた髪をそさくさと整える。
「もう変じゃない?」
「ええ。完璧です」
頷いて、今度こそドアベルを鳴らす。しばらくして、そろそろと開いた扉から、目を赤く腫らした女性が顔を覗かせる。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます