3-1

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 いつもより効率的に多くの仕事を消化し、この分なら今日一日で溜まっていた依頼がさばけそうだと喜びつつ。私が一日の中で、指折りに楽しみにしている昼食休憩がやって来た。明らかに先程までより機嫌の良い私に、エレジーが微笑ましそうな顔でこちらを見ていることに気付き、さすがに少し気恥ずかしくなる。


 自分はここまで感情をオープンにするタイプだっただろうか?彼と出会ってから、まだそれほど時間は経っていないはずなのに、既に彼と出会うまでの自分を思い出せない。彼といると、ひどく楽に呼吸が出来る。きっと、初対面で泣き顔を見られているというのが大きいのだけれど、無理に自分を取りつくろわなくて済むのが精神的に楽なのだ。




 今まで、しっかりしなくちゃとか、私が支えなきゃとか、私が模範を示さなきゃとか。そういった義務感だとか責任感ばかりに背中を押されて、私自身がどうしたいか、どうするべきかを考える余裕さえなかったように思える。いや、むしろ考えなくて済むように、無意識に自分を追い込んでいたのかも知れない。日々の忙しさの中で、自分の中に残された傷から、少しでも長く目を背けていられるように。


 本当は知っていた。分かり切っていた。私は全然、強くなんかないのだということを。周囲が期待して、私はそれに合わせていただけだ。もろい。弱い。どうしようもなく、愚かな、ただの人間だ。ほんの少し気を緩めれば、絶望と後悔が顔を覗かせる。本当に、カウンセリングを必要としているのは、私の方だ。


 それでも、エレジーと生きていれば、いつかは自分の罪と向き合えるような気がしている。それはきっと、彼が私と似たような『痛み』を持っているからだ。


 今は、こんな風にいびつな相互依存でも構わない。むしろ、私が一方的に依存しているだけなのかもしれない。それでも、時間をかけてでも、彼と分かり合いたい。彼に初対面の時に告げた言葉に、何一つ偽りはなかった。私は、彼を理解したい。ただ、それには時間が必要なことは分かっていた。




「ディアナ、何か考え事ですか?」

「ええ。今日のおまかせランチのメインは、何だろうって」

「……貴女は本当に。職場ではあんなにもクールに振る舞っているのに、ギャップが激しすぎませんか?」

「大丈夫。私のタガが外れるのは、基本的に食のことに関してだけよ。そして、職場の同僚と一緒に食事はしないの」

「それはそれで、貴女の交友関係に関して、かなりの不安が残るのですが……っ」


 呆れ顔で私を眺めていたエレジーの表情が、途端に真剣なものになる。




「どうしたの」

「……大変申し上げにくいのですが、只今入ってきた新着の依頼が、緊急性の高いものであると想定されます。明記はされておりませんが、依頼の特質上、恐らく本日中でなければ解決出来ないかと」

「面談の必要は」

「恐らく必要です。記載されている住所から、依頼主はフリューリンク地区に在住。在宅中です。依頼対象は同地区の地下階層『エンデ』に存在すると推測されます」

「行くわよ」


 迷わず頷いて、元来た道を走り出す。この時間なら、トラムを捕まえた方が早い。いや、本来は捕まえるものではなく、待つものなのだけれど。




「エレジー、局長に繋げて」

「只今」


 きっかり三回のコールで、AICOサポート課リンネ局長への直通回線が繋がった。目の前に展開される仮想スクリーンに、局長のウンザリしたような顔が大写しにされる。


「ディアナ、今度はどんな面倒事だ」

「人をトラブルメーカー呼ばわりしたこと、後で後悔して下さい。先程通達された依頼のため、現地へ向かいます。後出しですが、出動手続きをお願いします」

「今からか!そんなに緊急性の高い案件だったか?」

「内容はまだ知りません。ただ、私のパートナーが、今動くべきだと判断しました」

「……わーったよ、行って来い。って、おい。出動用の職員パスはどうする!あれ無いと、移動が経費で落ちんぞー」

「ご心配なく。顔パスで行きます」

「はぁ?あーお前はそうだったか。長らくこんなこと無かったもんで忘れてたわ。まあ、気を付けてな」

「はい」


 面倒臭そうにヒラヒラと手を振った局長に、端的な返事を返して通信を切る。




「エレジー、先方にアポイントメントを」

「既に取りました」

「上出来。道々、依頼内容を報告お願い」

 そこまで告げたところで、ぐきゅるるると、私のお腹が情けない悲鳴を挙げた。

「……私の、ひるごはん」

「……次の角を曲がった先にあるグローサリーで、バナナとミルクを買うことをお勧めします。バナナは短時間での栄養補給にもってこいですし、ミルクはお腹に溜まります。何よりバナナと合いますよ。ですから、その小動物めいた情けない顔を、早くどうにかしましょう」

「そうするわ」


 こういった地味なところでも能力を発揮してくる有能なAIに従って、バナナとミルクを購入し、再び走り出す。




 遠くに見慣れた旗を掲げたトラムを発見し、走りながら恥も外聞もなく叫んだ。



「おじさぁぁああああん!!」



 ギョッとしたような顔でこちらを振り返る人々を、努めて気にしないように全力疾走していると、前方のトラムがキキキーっと不穏な音を立てて急停車した。乗客から悲鳴ががるのが遠くからも聞こえ、溜め息を吐きながらもそのまま駆け寄る。



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