3-3

「リッターさんですね?」

「はい……AICOの方ね。入って下さい」


 私の制服を一瞥して、家の中に招かれる。こういう時、AICOの制服は身分証代わりになるので楽だ。家の壁には彼女の子供が描いたと思しき絵が、何枚か飾られていた。特に子供の声などは聞こえないが。


「お子さんがいらっしゃるんですね」

「ええ。今は昼寝中で」


 私達をリビングに通して、椅子に腰掛けたリッターさんは、ひどく疲れ果てているように見えた。それもそうだろう。肉親を失ったばかりだ。


「あまり時間がない可能性がありますので、前置きはなしにしましょう。ご依頼は、貴女のお兄様であるユリアン・リッター氏のAI端末を、崩落事故現場から回収してきて欲しい、というもので間違いありませんでしょうか」


 私の言葉に、そこまでメッセージに書いていなかったはずなのに、と戸惑いの表情が覗くが、彼女は端的に「はい」と頷いた。


「理由を伺っても?」


 彼女は躊躇ためらうように視線を彷徨さまよわせたが、小さく頷いて重い口を開いた。




「……実は、兄とは何年も連絡をとっていなかったんです。私も兄も、元は地下の生まれで……私はずっと地上での生活に憧れていました。幼い頃は兄も同じで、よく二人で地上に行ったら何をしようかと空想したりして。私が十歳になった時、地上での仕事に適性が出て。でも、私が地上に行くと言ったら、元から地上を恐れていた両親が大反対したんです。一足先に地下での仕事を始めていて、私を応援してくれるだろうと思っていた兄さえも、これまで育ててくれた両親を振り切って地上にいくなどと恩知らずだと責めました。もちろん大喧嘩になって、そのまま家を飛び出して……私は兄が自分のところに地上の仕事適正が出なかったからねたんでいるのだと、自分が悪いだなんてこれっぽっちも思いませんでした」


 彼女は、過去の自分を明らかに悔いていた。伏せられた瞳が、泣きそうに揺らいで見えた。


「こちらで仕事と生活を初めて、家のことなど忘れて充実した日々を送って。こちらで夫と出会って、結婚して、子供が出来て。そうして母親になって、初めて気付いたんです。親は子供が心配で仕方のない生き物なんだってことに。初めて、家族のことなど忘れて生きてきた自分を、薄情者と責めました。それでも、今更連絡なんてできなくて……結局、家族の誰とも話さないまま、父と母は流行病で死んでしまって。葬儀の時も、兄とは一言も交わしませんでした。兄は決して私を許しはしないだろうと思っていました」


 何かを堪えるように口を噤んで、彼女は目を閉じると、震える息を吐き出した。




「それなのに昨晩、突然電話がかかってきて。電波の届きにくい場所なのか、兄の声はノイズに消されてほとんど聞こえませんでした。それでも何かを伝えようとしている事だけは分かって。掛かってきた時と同じように、突然ぷつりと電話は切れて、その後は何回かけても繋がりませんでした。胸騒ぎを抱えて、どうすれば良いのかと思っていたら、病院から電話が来て」


 ついに限界が来たのか、ゆらゆらと揺れていた水の膜から、ポツリと涙が落ちた。それでも彼女は自分が泣いていることすら気付いていないかのように、決然と前を向いて私を見詰めた。


「遺留品リストの中に、兄のAI端末はありませんでした。一度AICOのデータベースにも問い合わせたのですが、バックアップには私と通信した時間の記録がなくて」

「確かに、端末に保存されている生データなら、お兄様の声が残っているかもしれませんね。なるほど、だから我々サポート課に依頼を。端末の回収は、我々の管轄ですからね」


 彼女は頷いて、懇願するように私の瞳を見た。


「私は、兄が最期に伝えたかった言葉を知りたいのです。いいえ、知らなければならない。それが例え、どんな恨み言や罵詈雑言ばりぞうごんだったとしても、それを聞き届けるのが私にできるせめてもの償いだと思うから。だから、どうか、お願いします」




 私は、この時リスクだとか、自分に出来る依頼なのかとか、そういう事は全て頭から吹き飛んでいた。例えどんなに危険だったとしても、引き受けないという選択肢が抜け落ちていた。


「承りました」

「本当ですか!」

「ええ。それが私の仕事ですから。端末の位置情報も、掴めていませんか?」

「はい……事故現場付近が、そもそも電波のほとんど届かない場所にあるらしくて。応答は無し、とのことです。それが理由で、AIの探索機も使えないとか」

「そもそも、オフラインもしくは電源オフになっている可能性が高いですね。彼のAIに、何か特徴は?」


 彼女は少し考えた後に、記憶を手繰たぐり寄せるようにして答えた。




「短い金髪にハシバミ色の瞳の女性で……名前は、アンネリーゼ。恐らく、今も彼女がパートナーのままだと思います。ご存知のように、地下の人間は一生涯パートナーを変えない者がほとんどですから」

「ありがとうございます。発見し次第、ご連絡します。ただ、今日中に見つからなかった場合、発見されることはないものと覚悟して下さい」

「はい。無理を言って、申し訳ありませんが、どうかよろしくお願いします」


 私は頷いて踵を返した。彼女は私達が見えなくなるまで、ずっと玄関で見送っていた。先程から、エレジーの物言いた気な視線が突き刺さっていることには気付いていた。自分がどれだけ無謀で馬鹿げたことをしようとしているのかも、理解していた。


 それでも、この依頼を断ることは、私には出来なかった。後戻りは、できない。もうすぐそこに地下の『エンデ』が口を広げて、私達を待ち構えていた。




 行かなければ。我々の終着地点。世界の終わりと、新たな始まりの場所へ。




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