4-1

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 フリューリンクは、花の都だ。


 それぞれの家には必ずと言って良いほど、美しく手入れされた花壇に色とりどりの花が咲き乱れ、花を引き立たせるような柔らかな色合いの家が立ち並ぶ。道行く人々も皆穏やかな表情をしていて、老後はこの街で暮らしたいと夢見る人が後を絶たない。


 街の街路樹が陽の光を浴びて、優しい木漏こもれ日をそこここに形作り、他の街ではほとんど見かけることのない猫が、のんびりと日向ぼっこをしている。花を育てるだけの心と財力の余裕がある人々の集うこの街は、全てが穏やかな優しさで満ちている。


 だが、一度エレベーターに乗って地下に降りれば、地上の街の特性などまるで関わりのない、一種独特の空間が広がっている。




 地下世界『エンデ』


 生きていくのに差しつかえのない、十二分な光源の存在するこの場所は、しかし地上と比べるとどことなく寒々しい印象を与える。少なくとも、長らく地上で生きている私にはそう感じられるが、実に九割の人間がこの『エンデ』で生活し、地上よりずっと活気があるのは確かだ。


 地上が整然とした区画で創られた都市であるのに対して、エンデは蟻の巣のような複雑な構造をしていると言われる。何でも、一箇所が壊れただけで全壊してしまわないような作りなのだとか。地上にも影響を与える事なく、広大な地下空間が形成されているのだから、よほどしっかりと設計されているのだろう。


 仕事柄、エンデには何度となく来てはいるし、ある程度は地図や案内がなくても歩くことも出来る。それでも、なまじ地上のことは知り尽くしているせいで、エンデは妙に得体の知れない空間のような気がしてしまう。統一感のない複雑な構造。未知に対する本能的な不安感。きっと、そんな感じだ。




「『エンデ』……終わり、ですか。随分と、皮肉の効いたネーミングセンスですね」


 どこか痛ましいような表情で眼を伏せるエレジーに、どうにも返事がしづらくて肩をすくめるに留める。実際、誰が付けたのかは分からないけれど、ナイーブな問題だ。


 だから私は、その呟きに応える代わりに、ふと浮かんだ疑問を口にした。


「ここに来るのは初めてではないんでしょう?」

「ええ。でも、随分と久し振りのことなので。前の主……教授は、あまり外に出ることのない方でしたから。たまに外出されても、地上を少し散歩される程度で」

「そう……それじゃあ、ほとんど初めてみたいなもの?」


 彼の顔を覗き込むようにして言えば、彼は苦笑して続けた。


「ええ。でも、第一層と第二層の掘削には携わったのですよ」


 私はその言葉に、さすがに目を丸くして訊き返した。


「一層と二層の掘削工事が終わったのって、私が生まれるより前のことじゃないの?その後も拡張はしてるけど……まだサポートAIも生まれてなかった頃でしょ。そんな頃から稼働していたの?」


 私の言葉に対して、逆にエレジーは不思議そうな表情を浮かべた。




「あなたは、私のログを読んだのではなかったのですか?」

「ああいう形で外に対してオープンにされるログが残されるようになったのは、ここ十数年のことなのよ。それより前の事は、本部のクローズドな過去データにアクセスするか、あなたに直接訊くしかないの」


 彼はどこか納得したような表情で頷いた。その横顔に、どうしてかぞっとするような冷たいものを感じたが、私の視線に気付いてかこちらを向き直ったエレジーは、先程感じた冷たさなど微塵も匂わせない柔らかな笑顔を浮かべた。


「そう、ですね……私の過去は、秘密、ということにしておいて下さい」


 唇に人差し指を立てる、古典的な『秘密』のポーズに不覚にも胸が高鳴るのを感じた。


「……そんな、隠さなきゃいけないような過去なんだ」


 誤魔化ごまかすように視線をらして呟けば、エレジーが視界の隅で困ったような笑顔を浮かべるのが見えた。


「いえ、別に隠すほどの大した過去ではありませんよ。ただ……女性は少しくらい秘密のある男の方がお好きでしょう?」

「あなたは謎だらけよ……着いたわ」

「足元にお気をつけて」




 彼は微笑むと、私を隙なくエスコートして歩き出す。やっぱり何となく誤魔化されたような気がして溜め息を吐きつつも、私は素直に彼の後を付いて行った。彼も来たことのないはずのエリアだが、事前にマップデータのダウンロードは済ませてあったのだろう、迷いのない足取りで先導していく。まだ出会って間もないと言うのに、既にその背中には妙に安心感のようなものを感じていた。


 ほんの少しエレジーと共に過ごしただけで、彼がとても心地の良いAIだという事がよく分かる。でも、私はまだ彼のことを何も知らない。焦る必要はない。ゆっくり互いのことを知って行けば良いのだ。それは分かっている。


 それなのに、どうして、こんなにも胸騒ぎがするのだろう。早く彼のことを、彼の抱えているものを知っておかなければ、本当の意味で彼が電子の海に溶けて消えてしまうような、そんな気がして。いいや、そんなものは単なる錯覚だ。彼らは勝手に消えることなんてできない。プログラムが、それを許さないのだから。馬鹿なことを考えてないで、今は目の前の仕事に集中しなくては。


 パン、と自分の頬を叩いて目を覚ますと、エレジーが目を丸くしてこちらを見た。


「どうしたんです」

「ちょっと気合を入れただけよ」

「本当にやっている人は初めて見ました……もうすぐ到着です。現場責任者には連絡して話を通してあるので、名乗って頂くだけで大丈夫です」

「ありがとう」


 私はお礼を言いながら、改めて彼の問題処理能力の高さに唸らされていた。




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