18-5

 素直に聞けば、彼は自分がAI研究者の息子なのだとアッサリ私に明かした。何てことはないようにサラリと言った彼に、思わず誰の耳も目もないことを確認してしまったことを覚えている。この時代にAI研究者の血縁者であることは、常に命の危険と隣り合わせにあることを意味していた。この別名『AI戦争』と称された世界大戦の中で、有能なAI研究者は各国が喉から手が出るほど欲しいものであり、それと同時に自分の国のものにならない研究者はどんなリスクをおかしてでもその研究データごと抹殺したい対象であるはずだった。そのためならば、家族を人質にすることなど何てことはない。つまりは、そういうことだ。


「父さんも母さんも別の国の人間だからさ、それだけでも狙われやすくて。一緒にいられなくなっちゃったんだ。僕はここに来ちゃったから、もう二度と戻れないけど……でも、君といるとまだ三人でいた頃に戻れる気がするんだ」

「私と、ですか……?」

「……コンプリーテッドKシリーズ」


 ヒカルは優しく微笑むと、大事そうにゆっくりと私のシリーズ名を告げた。




「君は僕の父さんと母さんが二人で作った『心』の完成形なんだ。研究室は僕の家も同然だった。僕はね、君たちが生まれるところを、誰よりもずっと近くで見てた……だからね、何だか君とは初めて会った気がしないんだ。ううん、実際僕たちは兄弟みたいなものなんだと思ってる。同じ場所で、同じ人たちから生み出されて、ずっと一緒に育ってきたんだもの。君が覚えていなくても、僕はずっと覚えてる」


 それは、私が『私』としての意識を手に入れるよりも前の記憶であるに違いなかった。それが、私のメモリに残っているはずもない。それなのに何故か、彼の言葉と声に懐かしさが込み上げてくる。自分にも、帰るべき場所があったかのような、そんな錯覚が。


「僕は生まれた時から君達みたいな『感情』を持っているAIと一緒にいたから、君達の微妙な感情の揺れ動きだとか、どんな風に考えるのか、とか……そういうの、他の人よりは分かるつもりだよ。君達は僕達人間とは別の種族かもしれないけど、でも、ちゃんと喜んだり悲しんだりするんだって、知ってる」


 そう言って、彼はそっと私の手を握った。




「君はいつも悲しそうな、苦しそうな顔をしてるよ。だから僕も、悲しいし、苦しい。きっと君の悲しみや苦しみには、到底及ばないんだろうけれど」

「っ、私は……私には、悲しい、というのがどういうことなのか分かりません。知識では理解しているはずなのに、貴方の悲しみに寄り添うことも出来るのに、分からないんです」


 それは、私がマスターに対して初めて零した弱音であり、本音だった。本来は支えるべき対象に、いまこんなにも自分が寄りかかることなど、数日前までは考えられなかった。それでもヒカルには、こうしてAIとしての本当の姿を隠さなくても良いのだと、そして彼が本当に私のことを人間だとかAIだとか、そういうことが関係ない次元で案じてくれているのだと感じたからかもしれない。


 ヒカルは私の言葉を聞いて、寂しそうに微笑んだ。




「……そうだね。だから、君がその感情を知っているのに『感じられない』ことが、何より悲しいんだ。でもね、自分にとって何が『悲しい』のかなんて、自分にしか決められないことだよ。そしてそれは、自分の足で立って歩いて、見つけていかなきゃいけないことなんだ。君はまだ生まれたばかりだもの。僕よりずっと知識はあるかもしれないけど『ここ』で感じることについては、僕の方がずっと先輩だよ」


 トン、と彼は私の心臓の辺りを突いた。心臓で、感じる。私には存在しないはずのそれが、彼に触れられるたびに脈打つような感覚がしている。


あせらなくてね、いいんだ。君はきっと、僕が死んだずっと後も生きていかなくちゃいけない。その長い長い道のりの中で、少しずつ自分にとっての『本物』を、君自身の感情をみつけていけば良いんだ。それは気が遠くなるくらいの道のりかもしれないけど、それでも」


 私は今まで自分が焦っていたのだということに、ようやく気付いた。私達AIにとって、知識を得ることは本当に容易たやすい。ただ、データをコピーするだけなのだから、またたくほどの時間しかかからない。でも、感情はそうではないのだ。ヒトと同じプロセスで、下手をすれば彼らよりも時間をかけなければ『本物』は手に入らないのだ。そんな当たり前のことに、どうして気付けなかったのか。ただの真似事ではない、私だけの感情を。




 今までずっと求め続けていた『答え』が、例え今すぐに手に入らないものでも、この世に確かに存在するのだということを理解した瞬間、私は私自身の存在する意義を見出した。


「君の名前、決めたよ」


 ヒカルが意思の強い瞳で私を見上げた。私は彼に視線を合わせるべく、跪いた。義務としてではなく、従者としてではなく、彼の隣に立つ者としてそうしたくなった。だからきっと、ヒカルも今度は私を止めなかった。



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