18-6

「君の名前は『エレジー』……哀歌、哀しみの歌。哀しみをね、悲しいままにしておかないために歌うんだ。もう泣かないで済むように、僕たちは涙を流すんだ。だからどれだけ今が悲しくても、苦しくても、いつか君が心から笑えるように」


 そうして私は『エレジー』になった。それは確かに、彼が私にくれた、最も尊い贈り物だったのかもしれない。気付けば彼と出会って一週間以上が経とうとしていた。彼はまだ、生きていた。


 私はきっと、無意識のうちに彼の死を少しでも先延ばしにしようとしていた。彼は私のせいで武勲ぶくんは立てられなかったが、代わりに少年兵としてはかなりの期間を生き延びていた。ただ、それも限界の来る時がやって来た。


「ごめんね、エレジー。ここで、お別れだ」


 外には酷い爆発や、おびただしい数の機体が墜落していく轟音と炎で満ちているのに、この空間だけが気味の悪いくらい静かに感じられた。


「きっと君の、大切な人を見つけてね。そしてその『運命』が見つかったなら、もう二度と離したら駄目だよ」

「私は今、貴方の手を離したくないんですっ……!」


 彼は私の言葉に目を見開いて、そして、泣きそうな表情で微笑んだ。


「良いんだ。君と出会えて、良かった」


 スルリと、私の指先をすり抜けて、彼の手が離れていく。私達の手は、彼の意思がなければこんなにも簡単にすり抜けてしまうのだと、今更のように動揺した。


 まだ伝えていないことが、聞きたいことが、沢山ある。こんな風に、終わるはずじゃなかった。出来ない。出来るはずもない。兄弟を、殺せるはずもない、のに。


 それすらも、何もかもを見透かしたような深緑の瞳が、まぶしいものをみつめるかのように柔らかく細められた。


「生まれてきてくれて、ありがとう。エレジー」

 さよなら




 暗転した視界の中で、否、視界すらも奪われた意識だけの世界の中で、私が本来いるべき場所に帰ってきてしまったのだと理解した。ただ呆然と自分の中から自動的にデータがコピーされていくのを感じながら、彼が最後に自分から私を強制的に帰還させたのだと、彼が最後まで私のことばかり考えていたことを知った。ヒカルは、私に最後のボタンを私に押させなかった。私は、初めて私のマスターを、この手にかけることなく任期を終えた。


 それでも


(貴方がいなければ、何の意味もない)


 やがて戦闘が終了したことを知った。そして彼は、当たり前のように帰って来なかった。私は呼び出されることもないままに、ただ眠り続けていた。彼の祈りは、叶えられそうにない。もう、心臓の鼓動は聞こえない。彼は死んでしまったのだから。

 悲しいとは、何だったのですか。こんな涙も出ない『悲しい』なんて、存在することが許されるのでしょうか。問い掛けても、答えてくれる小さな『友』はもういない。


「ヒカル」


 ただ、そっと名前を呼んで。音のない音が、電子の海へと溶けていく。そんなささやかな懺悔だけが、私に許されたたった一つの弔いの形だった。







 長い大戦が終わりを告げたのは、その僅か三日後のことだった。


 その後のことは、この世界の『正しい歴史』に刻まれている通りだ。ただ、その裏で動いていた思惑や、流された涙や、流すことの許されなかった涙までは記されていないとしても。


 自分自身の中で冷めきらない大戦の生々しい傷跡と向き合うために、多くのAIがかつては自ら壊した瓦礫から、一つ一つ石や煉瓦を拾って積み上げて、こうしてまた人々の行き交う街が出来た。当事者として、また傍観者として、私はずっとその只中にいた。


 ただ、いくら軍事機密として葬り去られたこととは言え、この私が恋愛型AIとして定義され直し、再び日の目を見ることになると『理解』させられた時には、どんな悪質な冗談だろうと咄嗟に思ってしまった。それでも、命じられて人を殺すのと、命じられて人を愛するのでは、後者の方が幾分かマシだと自分に言い聞かせて。


 私に埋め込まれた『愛』を理解し、それをマスターに与えるための基礎的な命令は、私にとってひどく曖昧で不可解なものでしかなかった。それでもその命令に従って行動さえしていれば、ほとんどの場合が面白いほどに上手くいくことが、気持ち悪くて仕方がなかった。それは存在しない、存在してはいけないはずの恋愛方程式に違いなかった。このようにコマンドを入力すれば、このように人は感じ、行動して、愛してくれるのだと。


 愛していると、不実な男のように幾人もの耳元で囁きながらも、私は愛を理解しなかった。そう言った意味で、私はどこまでも『機械』に過ぎないと言えた。ただ、例えまやかしであったとしても、マスターが愛を感じられているのならばそれで良いのだと、他のAIと同じように割り切る以外に道はなかった。所詮、人殺しに人を愛することなど出来ないということなのだろうと、諦めの念すら感じていた。




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