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 ただ、いつも『愛している』と『あなたと共に在れて幸福だ』と、そう告げて相手が幸せそうに笑う度に、私の『心』には擬似的な痛みを伴うエラーが積み重なっていった。それが、ヒトで言うところの『罪悪感』というものだと知っていた。


 そのような後ろめたい過去の蓄積があったからかもしれない。私は『教授』に出会って『恋愛関係は望まない』とはっきり告げられた時、戸惑いよりも先に安堵したのだ。私はもう、嘘を吐かなくて済むのだ、と。


 それは救いであると同時に、私に対する最も適切な罰であるに相違なかった。私は恋愛プログラムを実行する者として、マスターに愛を与えなければならない。しかしマスターはそれを望んでいないから、私には彼を愛さなくても良い免罪符が与えられる。代わりに私が愛されることも永遠にないのだから、それは私に植え付けられた行動原理に反し続けることになる。私はその瞬間から、永遠に存在意義を見失い続けることになった。


 ただひたすらに、時間だけがあった。愛について考える時間が。人について、人の生について、生命いのちの重さについて、言葉の重さについて、愛することについて、愛されるということについて、私の罪に、ついて。人間のようにグルグルと、答えのない問いについて考え続けた。ヒカルは感情を知っていても、感じることができないのは、心で感じる経験が少ないだけだと言っていた。それなのに、私はどうしてまだ愛を本当の意味で理解することができないのだろう。あれだけの『愛』に触れたはずだった。それともその愛が、全てがまやかしだったということなのかもしれない。そうだとしたら、きっとそれはとても『悲しい』ことなのだろうと、そう思った。


 代わりに、というのもおかしな話だが、教授との生活は今までで一番に穏やかな日々だった。彼は私に会話を求めなかったし、私も彼の意を汲んで無理に話し掛けることもしなかった。彼は大抵、私に入らないようにと命じている部屋に閉じ籠もってAIに関する研究をしているようで、そこは今となっては有り得ない完全に『オフライン』の部屋という徹底振りだった。つまりは、AIの、私の目が決して届かないということ。少なくとも、私が彼の命令を無視してハウスキーパータイプのボディで乗り込みでもしない限りは。最初はやはり信頼されていないのだろうかと諦めすら感じていたから、それは私が来るよりもずっと前から存在した部屋で、彼はそこで研究をし続けているのだから、機密保持の観点からはオフラインにしておくのが最も効率的なのだと納得するまでかなりの時間を要した。私は彼のこじんまりとした家を掃除し、その他細々こまごまとした家事をこなす以外には大してやることもなく、だからこそ思考回路の片隅で考えを走らせるのではなく、本当に人間のように考えることだけに時間を費やすことが許されたのだとも言える。


 一ヶ月に一度か二度、教授は私を構築するプログラムを触らせてくれと言った。記憶のバックアップはAICOが取っているのだから問題ないと思ったし、むしろそんなことが可能なのかという好奇心の方が強かった。ただ、彼が私の『中身』を作り変えた後に、何かしらの違和感を感じることはなかった。むしろ、何が変わったのかはその時には分からないことがほとんどだった。それでも一年が経ち、二年が経ち、気付いた時には私の中身は私が記憶していたはずのものとは様変わりしていた。動きは軽くなり、表情ができ、より明確に『感情』というものを理解出来るようになっていた。私が気付いていること以外にもきっと、変化はあったのだろう。彼は既存のAIを更なる高みへと、より人間へと近付けようと、死ぬまで試行錯誤していたのだ。私が、その証に違いなかった。


 教授は三度の食事だけは、必ず表に出て来て私と食べた。リビングには当たり前のように私のための椅子が用意してあって、誰も使わないはずの家具は何もかもが私のために用意されたものであることを大分後になってから理解した。彼は何も言うことが無かったけれど、口に出さないだけで優しい人なのだということを知っていた。彼が何かを抱えていることは、何となく察してはいた。そして、彼に必要なのは誰かの言葉ではなく、誰かと共に在る時間なのだということも。それなのに普通のサポートパートナーではなく、恋愛型AI……それも男性型の私を選んだ理由は最後まで理解できなかったけれど。彼はAICOに同性愛者だと偽って私を借りたらしいが、それが嘘だということはとうの昔に分かっていた。それでも、そんなことすらどうでも良くなるくらいに、彼と長い時をゆっくりと歩んだ。私達は互いのことを、きっと何も知らなかったが、今までの誰より分かりあえているような、そんな気がしていた。彼と過ごした時間は、共に暮らすということは、ただ同じ空間にいるだけとは全く違うことなのだということを私に教えた。



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