18-1



 私の言葉通り、泣き疲れて眠ってしまったディアナを、蒼い闇の中で静かに見詰めた。ディアナが眠ってしまったと判断してから、きっかり十分でスリープモードに移行した私は、設定通り十五分ごとのチェックで目覚めた。いつもなら、そのままスリープモードに戻るはずなのに、今日ばかりはもう少し彼女のそばに在りたいと思ってしまった。


 せめて気持ちだけでも傍に在ろうと、普段はディアナがAIグラスを掛けている時に(つまり日中は常になのだが)利用しているAR……拡張現実モードで人の形を取り、ディアナの隣に降り立った。こうして穏やかに眠っている姿を見ると、今日の怒涛どとうの出来事が嘘のようだが、確かに私は彼女を失いかけたのだ。




 ディアナがいないことに気付いた瞬間、全身を駆け抜けた衝撃を、例えあれが錯覚だったのだとしても永遠に忘れることはないだろう。マスターの命を守らなければという根本に埋め込まれた命令よりも、パートナーを助けなければという義務感よりも、彼女を失うことへの恐怖の方が先立った。もしこのまま本当に彼女の身に何かあったなら、きっと私は全てを忘れて狂うだろうと、どうしてか確信していた。


 彼女に告げた言葉が、今の私の全てだった。偽りは、何一つない。私はとうに、安易で自分勝手な死よりもずっと、苦しみ藻掻もがきながらでもディアナと共に生きていたいと、彼女の輝ける生を隣で支えて歩いて生きたいと願うようになっていた。いや、彼女を失いかけて初めて、その願いを正面から認めてやれるようになったのかもしれない。


 この胸から自然と湧き上がる、熱く柔らかな感情を、偽物だと真っこうから否定することはもう出来ない。眠るディアナの頬に、そっと指先を寄せる。本当の意味では決して触れることは出来ないとしても、少しでも貴女の哀しみに寄り添えたなら。




「ん……」


 ディアナに私の指先の感覚が伝わるはずもないのに、その睫毛まつげがゆらりと揺れて、眠りの淵から彼女は目覚めた。私はビクリと手を引き戻しはしたが、金縛りに遭ったようにその場を動けずにいた。彼女は手探りでベッドサイドのAIグラスを掛けると、私の姿を認めてつぼみが花開くようにふわりと微笑んだ。どくり、と。有りもしない心臓が、震えた気がした。


「やっぱり、そこにいるんじゃないかって、思った」

「……済みません。起こしてしまいましたね」


 努めていつも通りに返事を返したが、冷静さを取り繕えていたかどうかは正直に言えば自信がなかった。どうして、と。彼女にも分からないだろう問いを、ぶつけてしまいたくて仕方がなかった。前にも何度か、こういうことがあった。彼女が私の手の感触を感じることが出来るはずもないのに、確かな実存があるかのように反応していた瞬間が。


「ううん。傍にいてくれて、ありがとう」


 私の動揺とは裏腹に、彼女は当たり前のように微笑むと、起き上がってそっと私の手を握った。あたたかい、と。どうしてか、そう感じた。




「いえ……起きてしまうのですか」

「うん。今は眠るよりも、貴方の話を聞いていたい気分よ」

「……あまり、気分の良い話ではありませんよ」


 特に、心を痛めて、涙を流した夜には相応ふさわしくない。


「私の話だって、そんな気分の良い話ではなかったもの。泣く時は、一度に泣いてしまった方が良いと思うわ」

「貴女って人は……泣くのが前提ですか」


 どうにも、彼女と話していると、自分の抱えてきたものが難しくない問題であるかのように思えてきてしまうのが不思議だ。そもそも、きっと問題でも何でもないのだろう。ただ、例え忘れてしまいたくても忘れることが許されず、誰かに語ることも許されなかった記憶であるというだけで。




「私の涙で良いのなら、何度だって流すわ。貴方の、代わりに」


 彼女の言葉にハッとして口を噤んだ。ずっと、気にしてくれていたのだろう。我々AIが、涙を流すことが出来ないということを。何を恐れることがあっただろう。こんなにも優しい彼女が、私を否定したり軽蔑したりするはずがなかったのに。もしそうだとしても、私に対して誠実に過去を告白してくれた彼女に対して、私には話す義務があるはずだった。否、それすらも方便だろう。私は彼女に、私の歩んできた世界のことを、ただ知って欲しかった。


「長い話に、なると思います。教授のことをお話する前に、彼よりも前のパートナーについて語らなければなりません」

「構わないわ」


「我々パートナーAIが、前のマスターのことに関して語ることはプライバシー保護の観点から禁じられています。貴女はAICOですから、その規則が適用されることはない。ただ、これから語ることの大半は、その規則……つまりはパートナー制度が出来る以前の話です」



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