17
*
あの子は、今頃無事に着いているだろうか。それとも途中で倒れてやしないだろうか。
ギリギリまで酸素を渡したつもりだったけれど、思っていたよりも残っていたようで、まだ僕は生きている。それが逆に、僕の不安を煽る。中途半端に僕が生き残っても、意味はない。あの子が生きて
きっと僕の魂は、あの事故の日に死んでいた。それがここまで生き永らえて来たのも、
けれど長い年月を重ねることで、大切な存在はたった一人だけでなくても許されることを、ディアナはディアナとして私の大切な存在になってしまっていることを理解した。受け入れられるようになった。ディアナと過ごした日々は、彼女を慈しみ守り育てた歳月は、私の何ものにも代え難い宝となった。
だから僕は、必要以上に『娘としてあれ』と彼女に強いてしまっていたのかもしれない。ディアナが僕に向ける感情を、ずっと知っていたのに。彼女と本当の親子でありたかった。それが最も美しい形で、一番の幸福なのだと信じて疑っていなかった。ただそれは、いつだって『イリス』の存在を無意識に裏打ちしてしまっていたのかもしれなかった。だから、あの瞬間、ディアナの言葉を
『私は、貴方の娘じゃないもの……イリスじゃ、ないものっ!』
振り絞るような声が、言葉が、心臓に突き刺さった。それよりもずっとずっと、彼女は痛かったのだと、僕の言葉に表情に傷付けられて来たのだと、一瞬で理解できてしまった。何も、言ってやれなかった。僕の後ろめたさが、僕を縛り付けていた。
いま、父親として……いいや、彼女を大切に想う一人の人間として、彼女にしてやれることは何だろう。きっと、僕がこのまま死んだら、彼女は一生それを十字架として背負って生きることになるのだろう。それだけは、嫌だと思った。
僕は握っていた端末を起動して、ディアナの連絡先を表示させた。僕のパートナーは、僕が『外』に出た瞬間から黙していた。
「……ごめん」
それだけを告げて、僕はディアナに通信を繋いだ。何度もコール音が鳴って、不意にプツリとそれが途切れた。何の音も聞こえてこなかったけれど、いま、確かに彼女に繋がっていると訳もなく確信していた。
「もしもし、ディアナ……聞こえているかな」
当然のように返事はない。それでも僕は構わず続けた。あまり時間が残されていないことは分かっていた。
「きっと今頃、賢い君のことだから、僕の思惑に気付いて怒っているのかもしれないね。騙し討ちのような真似をしてしまって、済まない。でも、こうでもしないと、僕の
そうだ、それがそもそもの発端だったのだと思い出す。
「あの時、君の言葉を否定せずに、傷付けて済まない。君とイリスを重ねたことがないと言えば、嘘になる。でも、僕はずっと紛れもないディアナ・ローゼンハイムとこの十七年を過ごしてきたつもりだよ。君と過ごした十七年は、僕の妻と娘と過ごした年月よりもずっと長い。僕にとって、それは重さを比べるものじゃなくて、どちらも掛け替えのない大切な時間だった」
身体が、重い。四肢に力が入らなくなっていく。僕は無理せずダラリと全身の力を抜いて、なるべく呼吸が少なくて済むように整える。
「君の言葉を、想いを、いつも遠回しな言葉で否定することで僕は逃げていた……卑怯者なんだ。君を拒んでおきながら、失うことが何よりも怖かった。でも、今こそはっきりと伝えよう。君のことを、娘として……家族として大切に思っている。ただ、それ以外の感情で君を想うことは出来なかった。そしてそれを面と向かって伝えられないことを、許して欲しい」
一つ息をする度に、一つ言葉を伝える度に、僕の命が零れていくのを感じる。それでも、伝えたい言葉があるから。後少し、もう少しだけ。
「君と形は違うかもしれないけれど……それでも、誰より大切に思ってる。これから君はどんどん大人に、素敵な女性になっていくんだろう……その姿を、もう見ることが叶わないのが、何より悔しい。僕は我がままな人間だから、どうか君に僕のことを忘れないでいて欲しいと思う。でも、それと同時に、誰より幸せになって欲しいと思うんだ……どんな形でも構わない。幸せな恋をして、君が何より大切だと思える人たちと、どうか幸せで、いて下さい……」
頭が割れそうに痛む。世界がどこまでも遠のいていく。もう限界だと、全身が訴えている。だから最後に一言だけ、どうしても言ってあげられなかった、ずっと伝えたかった言葉を。
「愛しているよ、ディアナ」
ずっと、いつまでも
*
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