10-3
「……ゲルダさんは、フリーデリカさんがドミニクさんと結婚して、本当に幸せになれると思いますか。何が彼女の本当の幸せなんでしょう」
ふと、そんな質問が口をついて出た。彼女も想定外の質問だったのか、一瞬だけ、本当に一瞬だけひどく人間らしい表情が浮かんだように見えた。それは、怒りとか哀しみとかのマイナスな感情よりずっと複雑で、どこか諦めと困惑を
「……お嬢様の幸せは、旦那様であるフィッシャー様がお決めになることです。それがきっと、正しいことなのでしょう。私には、そうとしか申し上げられません」
その言葉を聞いて、初対面の時とは真逆の感想を抱いた。嘘を吐くのが下手な人だ、と。
「そうですか……おかしなことを聞きました。済みません」
「いえ」
「それでは失礼します」
屋敷を後にして、言葉もなく足早に歩いた。
「……見てない?」
「……誰がです。私以外は、誰の視線も集めていませんよ」
エレジーの言葉に、私は周囲をキョロキョロと見渡すのをやめた。
「はぁああああ」
盛大な溜め息に、彼は目を丸くして私を見詰めた。
「私のような庶民に、ああいう空間は緊張しちゃって駄目なのよ……」
「そこですか」
エレジーは呆れたような、どこかホッとしたような表情を浮かべた。
「まあ、我々AIには緊張なんてものはありませんが」
「そうなの?そうなのか。そうよね……」
へなへなとする私に、彼は腕組みをして叱りつけた。
「ちょっと、しっかりして下さい。これからでしょう」
「うー……貴方はゲルダさんのこと、どう思う?」
「間違いなくクロです。ただ、立証するのに証拠は必須ですが」
断言するエレジーに、随分と言い切ったなと思いつつ、まあ状況的にはそれしか考えられないのも確かだった。
「尾行でもしてみる?」
「どうして公権力側の貴女がそんな犯罪者じみた真似を……彼女の自宅なら、データベースで検索すれば一瞬で出るじゃないですか」
「自宅に匿うなんて、そんな不用心な真似、本気ですると思う?」
エレジーは少し考えた後に、首を振った。
「……有り得ませんね」
「そうでしょ。彼女の位置情報を常に追跡するには七面倒臭い申請と、真っ当な理由が必要だし、今回の状況で許可が下りる可能性は低いと思うの。そもそも、申請通してる間に逃げられそうだし」
「尾行ですが、法的には問題ないのですか」
「スレスレ」
ニッコリと笑って告げる私に、エレジーは遠い目で天を仰いだ。
「ともかく、ゲルダさんが動き出すまでには暫くかかるでしょうから、それまでに我々は出来ることをしておきましょう」
「そうね。まずはアベルさんの追跡から」
「フリーデリカ嬢のパートナーに関してですが、個体識別番号RS-1825で確かに彼女が三歳の時からパートナー登録がされたまま変わっておりません。恐らくこれがアベルと見て間違いないでしょう。現在は位置情報が切られているようでして、追跡が不可能な状態です」
「あーやっぱり、そうよね……地道に聞き込みするしかないかしら。後は一応、街頭カメラのデータスキャン申請しておく?多分、映らないように気を付けてると思うから、無意味だとは思うけど」
「あの、ずっと疑問に思っていたのですが」
「うん?」
「どうして誰も、管理者権限で強制コールしようとしないんです?」
私は目を見開いて、それから叫んだ。
「それだわ!」
正直、その手は最終手段であるからこそ忘れ切っていた。そもそもAIの本体は、本部にデータバックアップされているのだから、オンラインに接続している限りは強制的に呼び出すことが可能なのだ。普段、そんな権限を使うような緊急事態には陥らないのである。
「あれって、基本的にはパートナーのマスターしか使えないし、もちろん緊急時にはAICOも使えるんだけど、正直に言えばあまり使いたくないのよね。何だか、AIを縛り付けてるみたいな感じがして」
「貴女の主義主張はともかくとして、今はその緊急事態ではないのですか。恐らくこの一件、時間が経つほど
エレジーの冷静な言葉に、一気に頭が冷える。そうだ、迷っている場合ではない。フィッシャー家がAICOではなく、もしも警察にこの件を持っていっていたならば、恐らく最初の段階でアベルは『処分』の対象になっていたに違いないのだ。そう思うと、背筋が震えるような思いがした。
これは、単なるお嬢様の駆け落ち騒動で済む話ではない。AIの『存在』が『命』が懸かっている話なのだ。
「管理者権限を執行します。本部に戻るわよ」
「はい」
「……ありがとう」
「いえ」
柔らかく微笑んで頷くエレジーに頷きを返して、私は本部に向かって走り出した。
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