15-2

 義父に認められたい、もっと直接的に言うならば、一人の女として見て欲しいという欲求にいつしか変わっていた、私の仕事に対するモチベーションは一瞬にして崩れ去ってしまったはずだった。ただ、若者らしい遊びには一切興味を抱かずに、ただ彼の背中だけを追い駆けて走り続けた私には、もはや仕事しか残されていなかった。


 なるべく彼とは顔を合わせたくなくて、時間の許す限り残業を続けて銀行の残高ばかりが増えて行った。業績はガンガン上がって、そのうちに仕事を振り分けるAIが誰もあまりやりたがらない治安のあまり良くない『エンデ』の下層での依頼や、事故・事件現場での情報や物証収集など、危険な依頼ばかりを寄越すようになったけれど、ろくに確認もせずに片端から受けて昼も夜もなく働いていた。


 日に日に自分の顔色が悪くなっていくのは自覚していたし、リンネ局長にも度々呼び出されて注意を受けていた。けれど、生きるための最低限の食事と睡眠はパートナーAIに任せていたこともあって、AICOの最低限の健康基準は保っていたし、若手の中でも業績の伸び率がぶっちぎりのトップを誇っていたため、局長もあまり強く言うことは出来なかった。何より、私と義父の微妙な関係性を知っていた、というのもあったのだろうと思う。




「ディアナ」


 ある日、いつもの通り朝に近い時間に帰宅した私を、義父が眠らずに待っていた。


「……疲れているから、明日にして欲しいのだけれど」

「その疲れている要因について、だ。局長から聞いたよ。何回も厳重注意を受けているのに、一向に改善の余地が見られないと。現に、いつも帰宅はこれくらいの時間だろう」


「命令された訳じゃないわ。そもそも倒れたり、体調不良の所為で仕事効率が下がっているでもないのに、部下の健康状態に関して局長は命令できないもの」

「そんな言い方をするもんじゃない。局長は、君を心配しているんだ。僕も君を子ども扱いして口煩く言いたいのではないよ。もう自分のことを一人前だと思うなら、他人に頼ることも覚えるべきだ。AICOは君だけの力で保っている訳じゃない。それと同時に、君は無くてはならないAICOの一員だ。前にも教えただろう?自分に優しく出来ない人間は、他人にだって優しくは出来ない」


「それならきっと、私は優しくない人間なのよ」

「ディアナ、君はそんな風に自暴自棄になる子では」


「私はっ、義父さんの望んでるような良い子じゃない!私は、貴方の娘じゃないもの……イリスじゃ、ないものっ!」




 私の言葉に、義父は目を見開いて息を詰まらせた。いま、自分がひどく残酷なことをしたのだと自覚していた。それでも、ずっとずっと言いたかった。言えなかった。義父が望んでいるのは、ディアナじゃない。ずっと、必要とされていたのは『イリス』だった。


 彼は揺れる瞳で私を見詰めていたが、やがて視線を逸らして俯いた。それが、紛れもない彼の『答え』だった。私はいたたまれずに家を飛び出した。義父は追って来なかった。




 夜闇に沈んだヘルヴストの街は、どこか寒々しく知らない街のように感じられた。ぐちゃぐちゃと絡まった激情に身を任せて、人一人見当たらない深夜の通りを駆け抜けた。哀しかった。悔しかった。情けなかった。義父として、一人の男として、二重の意味で愛していた。そのどちらにも、応えては貰えなかった。私の世界には、文字通り彼しかいなかったのに。


 見返りを求めるなんて、本当の愛じゃないとか言うけれど、私には聖女のように捧げるだけの清らかな愛なんて抱けるほど強くはなかった。


 消えてしまいたかった。今だけで良いから、誰の目にも届かない、どこか遠くへ行ってしまいたかった。あらゆる場所に、隙間なくAIと人間のひしめき合うこの世界では、決して叶わない望みだ。私達は、この最果ての箱庭で、いつか遠く未来の子孫が再び地球の裏側に到達する日を夢見て朽ちていくしかない。


 どこにも行けない、と立ち尽くしてガラス越しの夜空を見上げる。この暗い空には無数の星々が輝いているそうなのだが、ここからまともに見れた試しがない。この世界を覆い続けている汚染物質の所為せいであることは間違いない。見果てぬ世界は、決して美しくない。




 ふと、気付いた。今、この場所から逃げ出すための切符を、偶然にも手にしていたことを。私は端末を起動させて、依頼の確認BOXを開いた。自分の手でやれば、パートナーに罪悪感を抱かせることもないだろうし、何より説明しないで済むだろう。今は誰とも言葉を交わしたくない気分だった。そんな私の考えに反して、それまで私の行動に口を出すことなく心配そうに見守っていたパートナーが、初めておずおずと忠告した。


「本当に行くつもりですか。そもそもAICOが……人間が引き受けなければならない依頼ではないはずです。何かの手違いだろうと、何度も話し合ったではないですか」


 そう、きっとこの依頼が私の手許てもとに届いたのは、手違いのはずだった。それを私は上に申告することもなく、依頼を破棄することもなく、この数日間保留にし続けていた。その理由は、自分でも分かりすぎるくらいに分かっていた。

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