6
*
花の街は、柔らかな茜色に染まっていた。
どこまでも美しく優しいこの街は、いつか幼い頃に夢見た、誰もが幸せで平和な世界を体現しているように見える。それが幻想に過ぎないことを、大人になってしまった私は知っているけれど、今だけはそんな優しい世界が一つくらいはあっても良いと思いたかった。
ビアンカさんは、先に連絡を入れていたこともあってか、所在なさげに家の前で立ち尽くしていた。私よりもずっと年上のそのひとは、今はどこか不安と寂しさに揺れる少女のように見えた。
「リッターさん」
そっと呼び掛ければ、ハッとしたようにその瞳がこちらを向く。何かを言い掛けて口を開いた彼女を押し留め、私は黙ってアンネリーゼの宿る端末を手渡した。震える手で受け取った彼女は、やがて覚悟を決めたように瞳を閉じた。
「……アンネリーゼ」
恐る恐る呼ばれた名前に呼応するように、彼女の前にアンネリーゼが姿を現した。二人とも暫く黙って立ち尽くしていた。きっと、何もかもが変わってしまっていて、それでも変わらないものがあったと私は信じている。
「アンネリーゼっ」
「っ、ビアンカ」
同じ大切な『家族』を亡くした二人は、長い年月の隔たりなんてなかったかのように抱き締め合っていた。
隣に立つエレジーを見上げれば、彼はそっと頷いて、少しのタイムラグもなしに私と一緒に歩き出した。彼は黙って何かを考え込んでいるようだったが、やがて迷うように言葉を落とした。
「どうして、お二人は何のわだかまりもなく抱き合えたのでしょう」
「同じ大切な人を亡くしたからかもしれない……でも、きっと愛していたのよ。家族として」
「家族、ですか?」
不思議そうに首を傾げるエレジーに、私は頷いた。
「アンネリーゼは否定したけど、ユリアンさんもビアンカさんも、きっとそう思ってた。少なくとも、私はそう信じていたいかな」
彼はまた、暫く黙って歩き続けていた。私も答えを急かす気は無かったから、のんびりと歩調を緩めて花の街を歩いた。
「ディアナ」
不意にエレジーが立ち止まり、私の名前を呼んだ。
「私に愛を、教えて下さい」
目を見開いて立ち止まると、彼は私の瞳を覗き込むようにして言葉を続けた。
「教授が私に何を求めていたのか、私が教授に与えられなかった愛とは何か、知りたいのです。もしも私が欠陥品であるのなら、その欠けている部分に何を埋めるべきなのか」
その真剣な瞳から、目を逸らしてしまいたくなる。いつも、そうだ。AIと向き合う時、いつだってその真っ直ぐなひたむきさに、自分に欠けているものを突きつけられているような気がして、ひどく胸が苦しくなる。
これは、私が望んでいた展開のはずだ。彼が前を向いて歩き出せるように支えることが私の務めで、彼がこうして自分から望みを抱いて進もうとしているのだから、喜ぶのが当然なのだろう。それなのに、私には今、言うべき言葉が見つからない。私はきっと、愛なんて知らない、本当は語る資格もない人間であることを、改めて自覚させられてしまったから。
今、どんな言葉で安請け合いしたところで、きっと彼にはそれが薄っぺらい誤魔化しであることを悟られてしまうと思った。だから私は、正直な、何の救いにもならない言葉を告げることしか出来なかった。
「……偉そうなことばかり言ってるけど、本当はね、私にも分からないの」
「っ、それなら」
エレジーがそっと、壊れ物でも扱うように私の手を包んだ。その感覚は、今度こそ伝わらなかったけれど、泣きそうなくらいに優しい仕草だった。
「それなら、私と一緒に探して下さい。ディアナ」
呼吸が、止まった。
私にその手を取る資格があるのだろうか。もう一度、歩き出すことが許されるだろうか。誰かの温もりに触れることが、誰かの人生に立ち入ることが、許されるのか。
(ううん、違う)
私は決然と前を向いた。切なく揺れる銀の瞳を、今度こそ正面から受け止めた。
ここで、手を取らなければ、嘘だ。
私は、私の人生を、これ以上否定したくない。
「エレジー」
「はい」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
「……はい!」
いつもは控えめで上品な笑みのエレジーが、大輪の花のような笑顔を浮かべて。
その方がずっと良い、と。
彼に恥じない『パートナー』でありたいと、心からそう願った。
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