第10話 少女が何気なく見せる本当の顔

 またしても、友愛はしれっと言い放つ。

「お父ちゃん鈍臭くてな、近所づきあい下手やねん」

 何の脈絡もない言葉に、応は見るも無残にしょげかえった。

 土仏が夕立にあったような姿とは、こういうことを言うのであろう。

 足下の猫に視線を落として、きまり悪そうに尋ねる。

「それ、どうして僕に?」

 いちいち尋ねるまでもないことであった。

 応は一見して、便利そうだったのだ。

 さらに、 友愛の口からは意外な名前が飛び出した。

「もしかして、お父はん、石根とおるいうのん?」

 イワネ・トオル。

 応の父親。

 あのヤクザと巡査が口にしていた姓名を総合すると、そういうことになる。

 腑抜けになっていた応の身体が、ぴくりと硬直した。

「何で知ってるの?」

 よほど、父親の名前には触れられたくないらしい。

 そこで、見開かれた応の目の前に、友愛が突き出したものがあった。

「これ」

 それを見るなり、応の表情がさらに強張った。

 真一文字に結ばれた唇の間からは、震える声が漏れる。

「うわ……父さん、こんなこと」 

 応が見つめているのは、友愛の手にしたスマホ上の案内画面であった。

 緑色の背景に白抜きの文字で、こう書いてある。


  古道具買います

  東京 唐鼓市唐鼓町 石根徹 


 それだけであった。

 Web上の広告としては、甚だ物足りない。

 物足りないというか、全く用を成さない。

 住所も電話番号も書かれていなければ、メールアドレスもないのだ。

 不親切この上ない案内を、応は呆然と見つめるしかなかった。

 おそらく、父親が作ったものなのであろう。

 応の力ない呟きだけが聞こえた。

「何考えてんだよ、父さん……」

 だが、友愛はそんなことなど気にもしていない。

「うわあ、好っきやわあ、応クン! 世界一!」

 嬌声を上げるなり、応を抱え込むようにしがみついた。

 豊かな胸を押し付けられて頬ずりまでされて、この少年は再び夢心地になったらしい。

「そんな、いきなり」

 それにしても、いきなりとは何のことか。

 豊かな胸に抱きしめられたことなのか、世界でいちばん好きだと言われたことなのか。

 もちろん。

 友愛は後のほうの意味に取った。

「じゃあ、世界で2番目くらいに」

 にっこり微笑む友愛の髪で、あの南天のようなポッチリ飾りが煌いた。

 空はすっかり曇っているというのに。

 応はというと未だ、陶酔の中にあった。 

「え、ええ、そのくらいで……あ、虎徹、痛いよ!」

 そこでこの少年を正気に返したものがあった。

 足下でずっと出番を待っていた、あの灰色猫である。

 少年のスラックスに立てた爪を、研ぎにかかっていた。

 慌てて抱き上げたところで、友愛がすかさず黄色い歓声を上げた。

「あ! それ、コタエくんの?」

 目を潤ませているのを見ると、余程の猫好きらしい。

 応は照れ臭そうに、猫の喉を撫でながら言った。

「野良猫だったんだけど、家に居ついちゃってさ」

 余計なことは言わんでよろしい。

 この美少女と会話が弾むだけで充分ではないか。

「うちにもおんねん、猫」

 はしゃぐ友愛は、さっきとは人が違った。

 かかってきた電話の主に怒鳴り散らしていた友愛とも違う。

 それは、素の友愛だったのかもしれない。

 応の肩からも、すっと力が抜けていった。

「君も? ええと……」

 そういえば、応は出会ってからいっぺんも、友愛の名を呼んでいない。

 言葉に詰まって人差し指をぐるぐるやる応を見て、友愛は身体をふたつに折って笑った。

 つられて応も笑う。

 そして、しばしの笑い声の後。

 ようやく、少女は自分から名乗った、

武智たけち友愛ともみ。大阪の高校の2年生や。トモミって呼んでんか」

 ようやく、少年と少女はお互いの名前を知ったわけである。

 そこで。

 応は、ここぞとばかりに、少女の名を呼んだ。

「ええと、トモミさん……猫も連れてきたの?」

 もう少し、マシなことが言えないものだろうか。

 当たり障りのない話には、当たり障りのない言葉しか返ってきはしない。

「お母ちゃんが面倒見てる」

 別段、変わったところもないひと言だった。 

 そもそも古道具、しかも割れやすい茶碗の行商に、猫は邪魔なだけだろう。

 だが、少年はふと、寂しげにつぶやいた。

「お母さんか……」

 その顔には、ほんの一瞬、暗い影がよぎるのが見えた。

 友愛もそれが分かったのか、ますます曇ってゆく空に向かって目をそらした。

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