第60話 見送るべき者が去り、去るべき者が残る
そこで傑が、急に立ち上がった。
荷物を手に、友愛に声をかける。
「俺、先に帰るわ」
用件はそれだけであったが、妙にくぐもった声には、それなりに屈折した思いが込められているようだった。
友愛はというと、首だけ振り向いて返事をする。
「ほな」
おそらく、傑は言葉少なに煤けた背中を見せて帰ろうとしたのであろう。
だが、そこまで素っ気なくされては、ツッコまずにはいられなかったらしい。
「ほなっちゅう奴があるかい」
顔をしかめる傑に、友愛は知らん顔をする。
返事をすることよりも、食堂のおばちゃんから借りた、あの破れた服を何度も畳んで、カバンの中に詰め込もうと励んでいるようであった。
傑は何か言われたら言い返そうという姿勢で身構えたが、友愛は冷ややかに、しかしリズミカルな口調で突き放してかかった。
「餞別やるような仲でもないし金ないし、借りて破けた服は針と糸で直して返さんとあかんし」
肩透かしをくらった傑は、表情を緩めた。
どうやら、去り際に気を引くための戦術を変えたようだった。
部屋の隅に座っている友愛の近くに歩み寄ると、その場にしゃがみ込む。
「幼馴染やんか」
耳もとで親し気に囁くと、振り向かれることもないまま、即座に切り返された。
「腐れ縁ちゅうんや、こういうの」
そう言い捨てるなり、友愛は素早く立ち上がって逃げた。
取り残された傑はその場に、膝を抱えてうずくまる。
「おお、そない言うんやったらずっと腐れたるわい」
別れ際の雰囲気としては、最悪である。
それを感じ取ったのか、父親を探しに出ようとしていた応が振り向いて、戸口で呼びかけた。
「あ、じゃ、後で……友愛さん」
居心地悪そうに背中をすくめると、そのまま出ていこうとする。
それを見た友愛が、慌てて呼び止めた。
「これ、そういうんとちゃうねん、応くん」
そう言うなり、弾かれたように駆けだした。
その友愛が土間で靴をつっかけて、戸口まで駆け寄ったとき、後ろから傑が非難の声を上げた。
「俺には? こいつは 『くん』づけで俺はときどきケツ呼ばわりされとんのに」
初めて本音の言葉が聞こえた、そのときだった。
応を追いかけようとする、友愛の足が止まる。
「えっと……」
傑に何か言い返そうとして、友愛は口ごもった。
応は帰ろうとする2人を見送ることもなく、逆に放り出たまま、戸口から出ていく。
だが、傑と2人きりになっても、友愛は何も言えなかった。
傑は立ち尽くす幼馴染を見つめて、返事を待っているようだった。
外はもう薄暗くなっていた。
戸口に立ち尽くす友愛の姿が、次第に影に変わっていく。
「傑……うち……」
意を決したように駆け戻ると、靴を蹴飛ばすように脱ぎ捨てるや、他人の家の畳の上に座り込んだ傑に歩み寄る。
ずかずかと迫られた傑は、何やら腹を括ったかのように、身体を強張らせると呼吸を落ち着けた。
だが、その言葉はなかなか出てこない。
「俺な……俺……」
まっすぐに見つめる先には、友愛がいる。
何か言いたげだった。
傑はそれを察したのか、口先まで出かかったらしい言葉をぐいと飲みこむ。
それがよくなかった。
傑が何も言わないのをいいことに、友愛は傑の前でグイと手を突き出して告げた。
「ウチの荷物取って。帰んねん」
部屋の隅のカバンを放り投げて、傑は言い返した。
「納得せえへんからな、2番目のまんまでは」
豊かな胸で荷物を受け止めた友愛は、無言でさっさと土間へ下りていく。
戸口でようやく振り返り、短い別れの挨拶だけを残して、薄闇の中へと消えていった。
「ほな。さいなら」
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