第11話 何百年も生きたのに拗ねる猫
応は猫の虎徹を抱えたまま、とぼとぼと歩きだした。
その意気消沈ぶりなど気にも留めず、茶碗の入った籠を抱えた友愛は、軽やかな足取りで後に続く。
やはり、よく分からない娘であった。
そこで虎徹は、孫六の声が敢えて言わなかったことを口にする。
「で、あれがお前の飼い主ってえわけだな」
茶碗の持ち主が飼っている猫は、その茶碗を送り込んできた孫六であろう。
薄曇りの空が微かに、青空が覗く。
そこから吹いてきた風と共に、孫六の声が聞こえてきた。
「何で分かんねん」
「あのオヤジ、猫の面倒も見られねえんじゃあねえのか」
虎徹は、あの甲斐性なしの井光とかいう中年の父親に、半ば呆れながら答える。
孫六の声も力なくぼやいた。
「あれでも『清め』が務まんのかいな」
実を言うと、恨みつらみを抱えた人や物は、猫だけでどうすることのできるものではなかった。
それらが引き起こす災いを未然に防ぐため、直に関わることのできる人間が必要になる。
それが、「アレ」と呼ばれる「禍事」を鎮める、「清め」と呼ばれる男たちであった。
猫たちの役目は、その力を見極め、その力を使うべき場を与え、また、その働きを支え、見届けることにある。
そのために、猫たちは「清め」の力を持つ男たちを探し出しては、拾われたり、家に居座ったりしてきたのだ。
だが、さんざん「禍事」を虎徹の元に送ってきた孫六は、自分の飼い主に今ひとつ信用を置いていなかった。
虎徹は、応の腕の中から冷ややかに尋ねた。
「見たことねえのかよ、あのオヤジがその手のモノ、清めてんの」
孫六の声は更にぶつくさ言った。
「そういうヤバいもんがよそから回ってきたら、あのオヤジに触らせんと、他の猫に引き取らせとったからな」
恨みつらみを抱えた人や物を唐鼓の街に送り届けるためは、何匹もの猫がその間を仲介する。
たいていは飼い主を上手く操って、人に行き先を教えさせたり、物を運ばせたりする。
だが、友愛に飼われている孫六は「幽世」を通じて連絡を取り、自分の仕事を要領よく押し付けていたのであった。
虎徹は呆れ気味に言った。
「お前、何でそんな家に拾われたんだよ」
孫六の声は、言い訳がましく答えた。
「あのオッサン、そんだけの力あるて思うたから」
「そいつア、俺もだよ」
虎徹はビシッと言い切る。
応の父親は、あのヤクザや警官が名前だけで縮み上がるような男である。
恨みつらみを抱えた人や物を黙らせるには、そんな男でなければならない。
そうでない飼い主を抱えた孫六はというと、すっかり不貞腐れてしまったようだった。
「確かにな、聞かされはしとるけどな、お前から。トオルちゅうのはそういうヤツやて。せやけど、話にもならん飼い主持った、こっちの気持ちも考えてみんかい」
お互い、拗ねたりいじけたりするような年齢の猫ではないはずである。
虎徹も困り果てて、応の父親に言わなくてもいい愚痴を並べ立てた。
「見るのと聞くのたあ大違いよ。この間もな、トオルが道路の地面ほじくり返して開けた穴のでかいこと」
そのバカバカしい話で、孫六の機嫌も直ったようだった。
ため息交じりにつぶやく。
「何を考えとんのや、あのオッサン」
猫にバカにされても仕方のないことを、この街の「清め」はやっている。
虎徹も笑いながら、オチをつけた。
「徳川の埋蔵金、探して回ってんだってよ」
そこで孫六も、ただの笑い話ではないことに気付いたらしい。
その声は、急に張りつめたものになった。
「まさか、それ……」
そして、しばしの沈黙の後。
虎徹は飼い主への、ある種の畏敬を込めて言った。
「勘で分かるんだろうよ、アレが地べたの下にいるって」
唐鼓の下には、太古から封じられてきた、禍々しい人の恨みつらみが沈んでいる。
孫六の声は、深々とため息をついた。
「選ばれるだけはあるなあ……最後の『清め』に」
人であろうと物であろうと、抱えた思いは、この街の「幽世」に沈む前に清められる。
だが、その役割は、ここに集うならず者の中で最も凶悪な男でなければ務まらないのだった。
そこで、2匹の猫の飼い主はいきなり立ち止まった。
道端にあった食堂のおばちゃんに、声をかけられたのである。
孫六の声が、雲の隙間から怪訝そうに尋ねた。
「何やねん、アレ」
応は、虎徹を抱えたまま、おばちゃんにヘコヘコ頭を下げている。
虎徹は、苦笑交じりに孫六への返事をした。
「タダ働きしてんだよ」
「鬼ババアやな」
孫六の非難に、虎徹は弁解する。
「いや、オヤジのツケを働いて払ってんだ」
そこで孫六の非難は、応の父親に向けられた。
「何ちゅう悪党や」
虎徹は諦め気味に答える。
「そうじゃねえと清めてやれねえじゃねえか、アレを」
おばちゃんもまた、同じような口調で応に何やら話していた。
どうやら、商売をやめて店じまいするらしい。
応と友愛が店の前を離れると、孫六がぶつくさ言った。
「オッサンが潰したんちゃうか」
「それ言っちまったら応くんが気の毒じゃねえか」
真面目くさった言葉に、孫六の声はムッとする。
「どう言うたらええねん」
虎徹は、ぼそりと寂し気に答える。
「出ていくヤツも多くてな、この街は」
それだけ、おばちゃんの食堂に出入りする者も減ったということだ。
真面目な話に、孫六もきまり悪そうな口調で答えた。
「しゃあないやないか、カタギもヤクザも暮らせるところやないし」
そのときにはもう、応と友愛は唐鼓の街の片隅にある、石根家の前に到着していた。
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