第25話 寝起きの彼女と、厳しい眼差し
やがて、起き出してきた友愛が、応に声をかけた。
「おはよう……手伝うわ」
友愛の服は乾いていないので、まだ昨日のおばちゃんから借りた服のままである。
だが、寝起きの友愛のしょぼつく目と乱れた髪を見て、応はちょっと言葉に詰まった。
「いいよ、そんなの。もっと寝てなよ」
寝ぼけ眼で見つめられてうろたえた挙句、ようやくこう言うことができたのだった。
もっとも、友愛はそんなことなど気にもしない。
「あかんあかん、うちが起こさんと、お父ちゃん、いつまでも寝てんねん」
いかにもうんざりしたような口調で言う。
これには、応も噴き出した。
「あ、僕の父さんもだ」
似たような父親を持つ者同士が、互いに見つめあう。
かと思うと、揃って笑いだした。
それがひとしきり続いた後、友愛は応と同じエプロン姿で、台所に立った。
器用にネギを切る応の手元を、じっと見つめる。
「料理、上手やね」
包丁が小気味のいいリズムで、まな板を叩いていた。
応は静かに微笑んだ。
だが、その笑顔は寂しい。
かすかな声で、友愛に答えた。
「母さんに教わったから。父さんの面倒、見られるようにって」
本来なら徹など放り出して、その実家で母と暮らしてもバチは当たらない身の上である。
だが応には、高校生としてそれなりの年齢になったという自覚があったのだろう。
それが、敢えて徹と共に生きるという選択をさせたのだ。
いちばん触れてはならない話題を振ってしまった友愛は、よく動いていた口をつぐんだ。
「ごめん、うち、そんな……」
味噌汁のダシに入れた煮干しが、取り忘れられて浮いたり沈んだりしている。
応が、慌ててそれを止めた。
やがて、朝食の準備ができると、ようやく徹が目を覚ました。
友愛も井光を起こしに行く。
その間に、よく炊けた飯と香り高い味噌汁、そして焼いたメザシや佃煮の昆布がちゃぶ台の上に並んだ。
朝食の席に座った2人の父親は、顔を合わせるなり、互いをいたわった。
井光が真っ赤な眼をこすりこすり、夕べのことを愚痴る。
娘の寝言で目えが覚めましてん、と言ったところで、まだ台所に立っている友愛に睨まれた。
井光が小さくなると、今度は徹が相槌を打つ。
俺も息子の、と言っただけだが、友愛の隣で応が恥ずかしげにうつむいたせいか、それ以上は言わなかった。
エプロン姿で台所に並んだ話題のふたりが、互いに顔を見合わせた。
照れ隠しのためか、冗談交じりに友愛が応をからかった。
「どないしてん、目えに隈ができてるで」
自分の目の周りを、指でくるくるやってみせる。
その滑稽さは応の笑いを誘うのに充分だったが、あくび混じりの返事がそれを邪魔した。
「ゆうべ、ちゃんと……寝て……ないんだ」
友愛は、何のためらいもなく笑った。
大きく開いた口を覗き込みながら、さらにツッコミを入れる。
「ウチのこと思うて?」
友愛に無様なところを見られて、応は目を白黒させる。
お互いの父親がそれを眺めていることに気付いたのか、急に畏まって、大真面目に答えた。
「うなされたんだ、悪い夢で」
みっともないところを取り繕おうとしたせいか、応はかえって口ごもる。
その不器用な返事に頷きながら、友愛は応をいかにも心配げに気遣ってみせた。
「人に話すとええちゅうで。正夢にはならんちゅう話や」
応はしばし考え込んだ。おぼろげな夢の中身を思い出そうとしているのだろう。
やがて、ぽつりぽつりと、恥ずかしげに夢の内容を語りはじめた。
「ええと、お茶の会に出たんだ。時代劇みたいな。そこでみんな、自分が持ってきた茶碗を見せたんだけど、それが偽物だって笑われた人が、その……僕の目の前で自殺しようとするんだ。刃物で喉を掻き切って。止めたんだよね、必死で。偽物でもいいじゃないかって。そんな意地張らなくていいって。でも、周りの人が、望むところだ、やってみせろっていうもんだから……」
それは、誰しもなかなか見たくはない夢だった。
爽やかな朝食の時間が、沈黙のどん底に沈む。
その雰囲気を救済しようとするかのように、友愛は自分が見た夢の話を始めた。
「うちもな、そんな夢見てん。なんか千利休みたいな人に、今までで2番目に高い値段で茶道具買うてくれちゅうて、頼まれんねん。お金ないから、そんなん無理や、言うてるのに、引っ込めてくれへんのや。押し付けてくんねん。そんでな、こないなふうに断ってん。持って帰っても家が狭いから、いれるところあらへん、言うて……」
それぞれ違う夢だったが、ひとつだけ、奇妙に符合することがあった。
顔を見合わせた応と友愛は、部屋の隅へと揃って振り向いた。
その先には、あの茶碗の入った籠がある。
友愛は、応に顔を寄せて囁いた。
「あれやろか?」
何気ない動作に、応はどぎまぎする。
だが、言いたいことは思いのほか、はっきり言い切った。
「だったらいやだな」
その一言で、友愛は恥ずかしげにうつむいた。
無言で朝食を取る父親たちを気にしながら、かすかな声で再び耳打ちする。
「お父ちゃん、助けてんか?」
「僕が?」
戸惑いながら後ずさる応の肩を、友愛はしっかと捕まえた。
背中をぐっとそらして胸を突き出すと、気丈に微笑んでみせる。
「頼りにしてんねん」
応は息を呑んだ。
緊張のせいか、それとも友愛の何気ない色仕掛けへの興奮を抑えようとしてか、それは分からない。
やがて呼吸を落ち着けると、ようやくこれだけ口にした。
「僕でよければ、僕なりに」
いかにも自身のなさそうな、力ない返事だった。
友愛の笑顔が、あっという間に消える。
一転して険しくなった目が、応を真剣に見つめた。
「出来る、言うて。男やったら、ウソでも」
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