第17話 少年が少女の前で、初めて主導権を握る
少年少女の間でも、気まずい沈黙は長かったらしい。
猫が戻って来たときの、応の様子ときたらなかった。
顔はまっすぐ前を向いているものの、目は足元しか見ていない。
友愛の前をとぼとぼ歩いていた応は、しばしの迷いの後、思い切ったように口を開いた。
「あ、そうそう、彼氏できたって……」
軽い話題を振ったつもりだったらしいが、言葉は途中で途切れた。
だが、友愛は悪戯っぽく笑いながら、くるっと振り向いてみせる。
「応くんのことやと思たん?」
「いや、まさかそんな……」
応はうろたえて言葉を濁した。
そこで友愛は、器用に話を元の軌道に乗せる。
「話すと長いねん。お父ちゃん、家具屋の営業やってんのやけど、鈍臭いからお客に足下見られんねん。で、あの籠と茶碗やるから値引きせえて」
もちろん、応はまだ中身を見てはいない。
それでも、父親がやろうとしていたこととの関係は分かったようだった。
「古いの?」
籠と茶碗のどちらのことでもよかったことであろう。
応としては父親の思い付きが恥ずかしいのだから。
だが、友愛は茶碗のつもりで返事をしていた。
「鎌倉時代の……コセトとか何とか」
そこですかさずスマホで検索する辺りは、応もイマドキの高校生である。
おそらく画面上には、艶やかな釉薬のかかった、いい色合いの天目茶碗が映っていることであろう。
「古瀬戸……よく知らないけど、高いんじゃないの?」
応としては、娘に徹底的にけなされた父親が、それだけ高価なものを客に任されたと言いたかったのだろう。
だが、返ってきた言葉は素っ気ないものだった。
「高かったらお父ちゃんに押し付けられるわけないやないの」
冷ややかな言葉で斬って捨てる友愛は、応の気遣いになど気づく気配もない。
だが、応にはそれに傷ついているヒマなどなかった。
その頭の上に都合よく、曇った空からポツリポツリと雨粒が落ちてきたのである。
「あ……降ってきた」
困ったような顔で友愛を見る。
さっきの冷たい返事を気にしているらしい。
だが、友愛は自分の言ったことなど、いつまでも気にしてはいなかった。
カバンに手を突っ込むなり、再び応に微笑んでみせる。
「入る?」
取り出してみせたのは、折り畳み傘だった。
先端の取っ手を伸ばして、バトントワリングでもするように、手首の先でくるりくるりと回す。
傘が開くと、目にも鮮やかな赤い花がぱっと咲いたように見えた。
すこし硬かった応の表情も、ふっと緩む。
「準備……いいね」
これもお愛想と言えばお愛想である。
遠出するのに、折りたたみ傘くらいは当たり前であろう。
友愛の言葉も、実に素っ気ないものであった。
「お父ちゃん鈍臭いと、こうなんねん」
応のようやくの褒め言葉も、ひらりとかわされてしまった感がある。
この娘、なかなか巧みに少年の心を弄ぶが、今度ばかりは応もめげなかった。
今までにない真剣な目つきで友愛を見つめて、はっきりと告げる。
「ちょっと……つきあってくれるかな」
どこかで聞いた台詞である。
これには友愛も面食らったらしい。
「どないな意味で?」
不意打ちに目を見開いても、応の返事はなかった。
そのときにはもう、少年は友愛のほうを見てはいなかった。
足下の猫に、大人の難しい話を訳も分からず聞いている幼子を諭すような口調で、穏やかに、そして丁寧に頼む。
「虎徹……ちょっとあっち行っててくれるかな」
それは帰れということであろう。
だが、虎徹を恋路の邪魔者扱いして追い払ったわけではない。
雨に濡れなくてもいいようにという気遣いだ。
だが、虎徹はあのオヤジ2人のもとに帰る気など毛頭ない。
次第に雨脚の強まる中、どこかから、他の猫がにゃあと笑う声が聞こえてきた。
うるさい、孫六。
ずぶ濡れで帰されるほうの身にもなってみるがいい。
歩きだした応は、そのままついてきた猫をひょいと抱き上げる。
その後ろから、友愛が真っ赤な傘を差しかけた。
振り向きもしないで、応はさっきの問いに答える。
「じゃあ、ついてきてよ」
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