第41話 少年少女に迫る絶対の危機
しかし。
どこかで見たスライディングで、応が古瀬戸の茶碗を受け止めた。
まさに、間一髪であった。
騒ぎの元を割ってしまえば万事が丸く収まるかのようにも思えるが、物事はそうそう、安直には片付かない。
割れてしまえば売りようがなくなるのだから、当然、「2番目の値段で買ってほしい」という茶碗の願いは果たしようがなくなるのだ。
だから、茶碗は応の手の中で暴れ続ける。
買うてください、買うてください、と。
誰かがこの茶碗を買ってくれたら、このゴタゴタは治まるであろう。
そうでない限り、茶碗にまつわる怨念を呑み込んで、「禍事」はさらにたくさんの人を狂わせてゆくのだ。
もちろん、応はそのようなことなど知らない。
ただ、助けを求めるようにして、ちらりと友愛を見やる。
だが、こちらも呆然として首を横に振るばかりである。
その目は、頬をぴくぴく震わせる縞ジャケに向けられていた。
「預かったもんは返すのが当たり前じゃあござんせんかねえ」
声こそかすれているが、それは怒りを抑えているせいである。
昨日の嵐の前と同じ匂いが、どこからか漂ってくる。
いや、臭いというべきか。
だが、酔いが回った井光は、正邪善悪の判断などすっかり失っていた。
「やかあしいわ! ヤクザどもがろくに働きもせんと欲の皮突っ張らせよって! 何が詐欺や、こないなしょーもない子供だましにに引っかかったおのれらがアホなんじゃボケ! カス! インケツ! ラッパ!」
「よく分かりました……おい!」
うつむいた縞ジャケのひと声で、立ち上がったデカブツの隣に、人相の悪いのがもう1人やってきた。
「怒らせてどないすんの、お父ちゃん!」
友愛が何を言ってもムダであった。
言いたいことを言うだけ言った井光は、その場で地蔵倒れにひっくり返ってしまったのである。
そうなると、頼みの綱は徹しかいないことになる。
「面目ねえ! どうか、どうか許してくだせえ!」
完全な泣き上戸のまま、その場で仰向けにひっくり返ってしまった。もはや何の役にも立たない。
人相の悪い子分が、うずくまる応の襟首をつかみ上げる。
見れば、その目はもはや虚ろであった。
危険この上ない。
この子分は完全に、暴れ出した「禍事」に心が呑み込まれていた。
子分は無言で、応の横っ面を張り倒した。
だが、応は腕の中で暴れ続ける茶碗を抱えたまま顔も上げない。
「ダメだ……偽物かもしれないけど、これは、預かったものだから」
痛々しいまでの真面目さが、最悪の事態を防いでいると言ってよかった。
しかし。
甲高い悲鳴が上がった。
尻餅をついた友愛の白い肌と、胸の辺りの下着が露わになっている。
デカブツが、「禍事」に捕らわれて、昨日おばちゃんが貸してくれた服を引き裂いたのだ。
茶碗の怨念が、別のものを心の中に呼び込んでしまったのである。
夕べの夜中に応と友愛の夢に入り込み、心を犯そうとした情欲が、それであった。
好色な笑みと共に、太い腕が友愛の襟元に太い腕を伸ばす。
応が叫んだ。
「やめろ! 友愛さんに触るな!」
だが、デカブツは自分から鼻の頭を抑えてひっくり返った。
友愛の右フックに、軽く撫でられたのだ。
「応!来たらあかん、うちひとりで何とかなる!」
だが、自分よりはるかに強い相手に首根っこ掴まれてどうなるものでもない。
友愛は服の裂け目を掻き寄せて立ち上がる。
デカブツもまた、鼻血を拭いて身体を起こす。
身構える友愛だったが、素肌を隠そうとする恥じらいが、その片手を塞いでいた。
当然、そちら側に隙ができる。
デカブツは、膝で這いながら、友愛の服を引き剥がしにかかった。
応は、茶碗を抱えながらもがく。
「離せ!」
再び横面に無言の拳が飛ぶ。どうすることもできなかった。
友愛の胸が、男の暴力の前にはだけられるのを黙って見ているしかない。
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