第43話 地底の怨念が動きだす

 用心棒のデカブツを昏倒させた徹の一撃は、目にもとまらぬ神業と言うよりほかはなかった。

 ましてや、家の外に待たされていた子分どもにそれが見えるはずもない。

 ただ、デカブツが倒れたときの振動で、ボロ家全体は大きく揺れた。

 それっきり、家の中では、物音もしない。

 その上、入っていった者が誰ひとり出てこないとなれば、結論はひとつしかない。

 家の外の縞ジャケどもが大騒ぎを始めたのが聞こえる。 

「親分さんがやられた!」

 同じことを口々に喚いて、狭いボロ屋になだれ込んでくる。

 だが、家の中を見たものは、その場で絶句した。

「親分……」

 ひとり残らず呆然と立ち尽くしたのも無理はない。

 そこには、三下のモブキャラには想像もつかなかった光景があったのだ。

 畳の上に倒れた親分さんと図体のデカい用心棒、その他1名。

 酒臭い男ふたりは、いびきも高らかに寝転がっている。 

 正気を保っているのは、顔に痣をこさえた、抱えた茶碗を今にも取り落としそうな少年。

 それから、引き裂かれた服を掻き寄せてもなお胸の谷間を隠せない、素肌も露わな美少女。

 モブの縞ジャケどもの虚ろな目は、いつしか、倒れた者より目を覚ましている者に向けられたていた。

 息を呑む少年と、意志の強そうな目で、縞ジャケ達をはったと見据えている少女。

 やさぐれた男どもが我に返れば、まだいい。

 恐ろしいのは、血の底で蠢く「禍事」に心を支配された時だ。

 この縞ジャケどもが、その激情と情欲を、少年少女にどう向けるか。

 全く相手にされていない猫でさえ、それほど想像力を働かせなくても分かることである。

 何とかして、今のうちに目を覚ましてやらなければならない。

 だが、それに猫の力が及ばないことは、さっきのデカブツとの戦いで思い知らされたことだった。

 縞ジャケどもの身体が、微かに震えだす。

 よくない兆候だった。

 誰かが耳元で怒鳴りつけるくらいしてやらないと、この連中が正気を取り戻すことはあるまい。

 だが。

 少年の身の安全と、少女の貞操は辛くも守られることとなった。

「あんたたち、狭い道塞いで何やってんだい!」

 どこかで聞いたおばちゃんの声が、縞ジャケどもの目を覚ました。

 その身体の震えは、もう止まっていた。

 なんだ、このババアは、と、その中のひとりが振り向く。

 その先には、戸口にたちはだかった、あの食堂のおばちゃんがいた。

「年寄りへの礼儀も知らないんだねえ、近頃の若い衆は」

 おめえには関係ねえ、と別の声が上がる。

「大ありさね。その健気な坊ちゃんには、街のみんなが世話になってるんだ……おや、ひどいケガじゃないか!……あんたらがやったのかい」

 戸口からも分かるほど、応の顔は腫れていた。

 さらにおばちゃんは、露わな胸を隠して身体をすくめた友愛にも声をかける。

「怖かったろう、お嬢ちゃん……あたしの服のことは気にしなくいい。こんな婆さんにゃ、そう何着もいらないよ」

 怒り狂っているところを完全に無視され、小馬鹿にされた男どもはいきり立った。

 舐めた口きいてんじゃねえぞ、と縞ジャケのひとりが掴みかかる。

 これには強気なおばちゃんも、さすがに身をすくめたかと見えた。

 だが。

 おばちゃんは怯えたのでも、逃げたのでもなかった。

 そのひとりの身体をくるりと回して背中から抱えると、鮮やかなジャーマンスープレックスで投げ飛ばした。

 戸口の外に止められていた黒塗りの車のサイドミラーをへし折って、三下の縞ジャケは身体ごと地面へと滑り落ちる。

 鮮やかな反撃と高級車の損害に、残りの縞ジャケどもは唖然とする。

 更におばちゃんは、そこで挑発にかかった。

 にやにや笑いながら突き出した人差し指を裏返して、くいくいと差し招く。

「表へ出な。相手になってやるよ」

 そのまま、何事もなかったかのように、すたすたと姿を消す。

 おばちゃんの堂々とした様子に、縞ジャケどもはしばしの間、沈黙していた。

 だが、たかがカタギの婆さんからコケにされたのと気付くには、そんなに時間はかからなかった。

 やがて、縞ジャケどもはワケの分からないことを喚き散らしながら、怒り狂って後を追っていった。

 再び、家の中は静まり返った。

 これで応と友愛の安全は保証されたわけであるが、問題は、泣き叫ぶ茶碗である。

 買うてくれ、買うてくれと、応の腕の中で未だにもがいていた。

 その声は、不思議なこだまを伴っていた。

 夜の道で誰かが歌いはじめたら、あちこちの路地で、別の誰かが声を合わせて歌いだしたような……。

 ただ、それと違うのは、ぞっとするような冷たい響きがつきまとっていたからである。

 それは、茶碗が呼び寄せた、この唐鼓の街の周りで息を潜めていた別の怨念だったかもしれない。

 こうしたものが集まって本当に「禍事」を動かしはじめたら、あの縞ジャケどもは何をしでかすか分からないのだった。

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