第7話 姿を見せない割に強引な男の登場

 電話に出た友愛の口からは、聞くに堪えない悪態が飛び出した。

「何や、豪傑のケツと書いてマサルかいな」

 モシモシとも言わずにスマホを耳元に当てたまま、可愛らしい顔を露骨にしかめる。

 スマホからは、若い男の罵声が、嫌味たっぷりに聞こえてきた。

「ケツ言うなケツと」

 友愛は、スマホを耳から離して睨みつける。

「傑の字をケツと読んで何があかんねん」

 即座に悪態が返ってきた。

「うるさいわい……お前なにふらふら出歩いとるのやこの不良娘が」

 電話の向こうの男は、思いついたそばから悪口を必死でまくしたてている感がある。

 いやいやスマホを耳に当てた友愛はというと、これまた不機嫌に言い返した。

「出歩いとるわけやない、おもろいこと探しとるだけや」

「ケツの軽い女やな、帰る気いはないんか」

 傑と書いてマサルと読むらしい男に、ケツをケツで返された上に尻軽女と呼ばれた友愛は、画面に向かって白い歯を剥く。

 すぐにスマホを口元に寄せると、まるで相手が掌の中にでもいるかのように悪態をついた。

「帰る気いあったらお父ちゃんについてこんなとこまで来えへんわ」

 たちまちのうちに罵詈雑言の応酬が始まった。

 まず、スマホの向こうの男が口火を切る。

「ひとりで行かせたらええのや、あないな鈍臭いおっさん」

「うちがおらんと自分でパンツも洗えへんの、お父ちゃんは」

「年頃の娘がオヤジのパンツをやな」

「その年頃の娘にパンツパンツてデリカシーないのん」

「デリカシーあるからわざわざ電話してんねんか、こうやって」

 どこの誰かは知らないが、ああ言えばこう言う男である。

 口論するだけ時間の無駄である。

 それに友愛も気づいたのか呆れたように宣告した。

「ほな、電話切るで」

 男は急に慌てだす。

「おい、話聞けや」

 友愛の冷ややかな声が、あの甘ったるい口調で告げた。

「今、取り込み中やねんて」

 その声に絡めとられたかのように、男の態度はいきなり軟化した。

「そないな、ええ加減なこと、言うて……」

 猫撫で声で答えてみせるが、そんなもので籠絡される友愛ではないらしい。

 微かな笑いをこめた思わせぶりな言葉で、男を軽く突き放してみせた。

「うち、今、男とおんねん」

 鼻にかかった声で、はるか彼方の男が目の前にいるかのように、色っぽい目つきをしてみせる。

 かと思うと、意味ありげな視線をそっと横に滑らせた。

 その流し目の先には、石根応がきょとんとした顔で見つめ返している。

 もちろん、電話の向こうでそんなことが分かるはずもなかった。

 うろたえながらも必死で平静を装う声が答える。

「そら、イカリはんかて男やろ」

 友愛は、白々しくすっとぼけてみせる。

「誰やったかなあ、それ? どないな字い書くのん?」

 電話の向こうの男は、イライラと早口でまくしたてた。

「筒井筒の井に光源氏の光と書いて井光! イカリ! お前のお父んやないかい!」

 教養をひけらかしながらの反撃を、友愛は気にも留めない。

 ツンとすました顔で、嫌味たっぷりに言い返した。

「若い男がぎょうさん、より取り見取りやってん、さっきまで」

 この場には、石根応クンしかいないはずであるが……。

 差し引きで勘定すると、さっきのヤクザどもも勘定に入っているのであろう。

 こんな見栄を張らねばならんとは。

 だが、男は、存外にあわてふためいているようであった。

「おい……!」

 呼び止める声の断片を残して、電話は切られた。

 スマホの画面も見ずに、友愛はますます薄暗くなっていく空を見つめている。

 雨が近いのであろう。

 それを感じているのかいるのかは分からなかったが、口の悪い少女は眉を寄せて、ひと言つぶやいた。

「肝心なときにおれへんクセして偉そうに」

 それはいったい、誰のことであろうか。

 仮に父親のことだとしたら、やむを得まい。

 友愛が振り向いたときには、既に遅かった。

 娘との口論に敗れた井光はすでに、何処かへ逃げ去っていたのである。

 要領がいいのか、悪いのか。

 それとも、ただ単に気が小さいだけなのか……。

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