第50話 あの猫は今、どこにいる?

 青空に浮かんだ孫六の顔が、呆れかえったように悪態をつく。

「いらんことしよるなあ、船越んとこのガキは」

 聞いたことのあるような、ないような名前に虎徹は小首を傾げる。

 そういえば、友愛が応の前で、そんな名前を口にしたことがあるようでもあった。

 確か、この目を回して倒れている見栄っ張りのガキとの仲を応に誤解された時だったろうか。

 あのときは昼過ぎには戻るとか言っていたようでもあるが、こんなときに現れるとは運の悪いことこの上ない。

 もっとも、孫六の口から名前が出てくるからには、知らぬ顔もできまい。

 孫六が送り込んできた茶碗の始末に、あながち無関係とはいえないのであろう。

「知ってんのか、この小僧」

 虎徹がぼやいた。

 その髭は微かに震えているが、風は吹いていない。

 こうなるのは、暴れる「禍事」の気配を猫が感じたときである。

 それはそれで、奇妙なことだった。

 孫六が遠くから「幽世」を通して語ると、天から吹き付けてくるはずである。

 そうならないときは、近くにいるときに限られていた。

 大阪から、茶碗を追ってわざわざここまでやってきたのだろうか。

 それならば、虎徹の顔や姿が目に見えるようになってきたのにも合点がいく。

 だが、大阪から人を使ってまで茶碗を送り込んできた孫六が、なぜわざわざ唐鼓の街まで足を運ばなければならないのか。

 そもそも、「幽世」を通して話をしているからには、そこにいる「禍事」が見えているはずである。

 何を送り込んでくるにも他の猫や人間任せにしている孫六が、今度に限って責任感を発揮するのもおかしな話である。

 明らかに、「禍事」は茶碗の怨念を受けて動いている。

 それを間近に見ているはずなのに、孫六は非常時をものともせずに悠々と答えた。

「友愛とつきあいのあるヤツのことは、家族のことまでたいてい知っとる」 

 その家庭まで出入りしていないと、なかなかそこまでは分からないものだ。

 やる気のない怠け者かと思いきや、どうでもいいことでは、なかなかこまめによく動いている。 

 虎徹は、さも感心したというふうに言った。

「身軽じゃねえか」

 もちろん、皮肉である。

 孫六は、間髪入れずに答えた。

「猫やもん、ワシ」

 ひとことでさらっと返すと、やっと本題に入る。

 唐鼓の街中の終わらない殴り合いを見下ろしながら、虎猫の顔が大真面目に言った。

「あのオッサンふたりで清めてやらんと、どうにもならんやろあいつらは」

 入れ替わり立ち代わり、地元のヤクザは1400人がかりで、10人ばかりの縞ジャケどもに向かって波状攻撃を仕掛けている。

 だが、暴れる「禍事」に取り付かれて己を失い、しかも不死身といっていい身体を手に入れた連中が相手である。

 生身の人で太刀打ちできるわけがない。

 きりもない乱闘の様子をじっと眺めていた虎徹はというと、不敵に笑った。

「ちょっと充電してやらねえとな、あれだけの人数が相手じゃあ」

 そう言って、徹と井光が騒ぎはじめたボロ家の中へと目を遣る。

 まだ、1升瓶は1本残っていたはずだった。 

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