第2話 お人好し少年、少女の危機を救う

 そこで正義の叫びを上げた者があった。

「うわっ!」

 ひとりの少年が、灰色猫の目の前で、ヘッドスライディングをかけたのだった。

 華奢な身体つきで、年は高校生くらいである。

 その手の中には、落ちた籠が都合よく、すっぽりとはまった。

 だが、娘は少年の頭から金切り声を降らせる。

「どこ見てんねん、変態!」

 だが、罵られても少年は、頭上の短いスカートの中を見上げもしなかった。

 それどころか、うつむき加減に立ち上がると大仰にこう言ったものだ。

「小父さん! ごぶさたしてます」

 中年男に満面の笑顔を向けてみせる。

 そこへ都合よく、さっきの巡査が凄まじい勢いで自転車を漕いで戻ってきた。

 さっきの冷淡さとは打って変わって、尋ねるその顔は青ざめている。

「あ、コタエくん、叔父さんなんかいたの?」

 だが、ヤクザのひとりは少年の出現でムキになった。

「何だあ、このガキ!」

 拳を振り上げかかるが、少年は動じたふうもない。

 巡査が、上ずった声で慌て気味にたしなめる。

「コタエくんだよ、ほら、あのコタエくん! イワネ・コタエくん!」

 さっき声を荒らげたヤクザが、眉を寄せた。

「コタエ?」

 巡査が小声で、いささか早口に説明する。

「石、道端の石に、木の根っこと書いて石根いわね、応答せよの応と書いてコタエ! 石根応いわね こたえくん!」

 ぽかんとしているヤクザが、事情を知っているらしい他のヤクザに頭を小突かれた。

 ヤクザ達は顔を見合わせると、額を寄せてひそひそ相談を始めた。

 ……トオルの倅だ。

 ……確か今、高2だっけか。

 この少年、街の中ではよく知られているらしい。

 ということは、ヤクザ達が恐れているのは、この少年ではない。

 むしろ、この父親、イワネトオルのほうなのだ。

 どうやら、この少年と関わると、父親の怒りを買ってとんでもないことになるらしい。

 だが、巡査はせかせかと議論の輪に混じった。

 ……いや、コタエくんはね。

 少年自身は、そういった暴力には縁がないと言いたいらしい。

 だが、いつ果てるともしれぬ不毛な議論は、長くは続かなかった。

 このコタエと呼ばれた少年が、口を挟んだのである。

「子どもの頃からお世話になってるんです、この小父さんに」

 目くばせした先には、びくびくと肩をすくめていた他所者の中年男がいる。

 小父さんと呼ばれてどう思ったのか、白々しく曖昧に笑った。

 明らかに、少年の言うことが口から出まかせであると言っているのに等しい。

 ヤクザ一同の視線は、その異様なまでに温い笑顔になんとなく集中する。

 娘はというと、その愛想笑いから露骨にそっぽを向いた。

 さっき、のこのこ遅れて駆け付けた巡査はいつの間にか、いなくなっている。

 よほど関わり合いたくないらしい。

 ヤクザたちはヤクザたちで、もうさっきまでの凄みはなかった。

 応くんは応くんで、笑顔を崩すことなく一気にまくしたてる。

「僕の父さん、30年くらい前にこっち出てきたんで」

 話の流れからすると、この中年男はこの少年の父親の、古い知りあいにすぎない。

 しかし。

 その瞬間、場の空気は一瞬にして凍り付いた。

 ヤクザたちは顔を見合わせて、ひそひそと囁き合う。

 ……え? 

 ……ここ来る前から、トオルさんの知り合い?

 ……そのトオルさんて、そんなにヤバいやつなんすか?

 最後の一言を口にしたのが小突かれたのを最後に、ヤクザどもは沈黙した。

 ただ、ぼそりとつぶやく声が聞こえる。

 ……知らんのか、伝説の集団クロスカウンターやったトオルさんって。

 応の父親の、若かりし頃の武勇伝であろうか。

 その応は、なおも愛想笑いのまま頭を掻いてみせた。

「すみません、小父さんここ、初めてなもんで……」 

 すると、世話になったというのはトオルが唐鼓の街に来る前だったことになる。

 それが30年前なら、高校2年生の応はいつ、この関西弁のオヤジと会ったのか。

 よく考えれば計算が合わない。

 だが、それに気付けるほど、この地元のヤクザども、頭の回転は速くなかった。

 その割に、踏ん切りは早い。

 居心地悪そうに、顔を見合わせる。

 やがて、3人まとめて渋い顔でぼやいた。

「しゃあねえなあ」

「応くんが言うなら……」

「命拾いしたな、おっさん」

 口々にその場の空気と体面とを取り繕いながら、何事もなかったような顔をして立ち去っていった。

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