第23話 侵入者にオヤジふたりが目覚める

 それからどれほど時間が経ったろうか。

 突然、応が布団から跳ね起きるなり、天井に向かって叫んだ。

「ダメだよ、そんなこと!」

 応の悲鳴に、畳の上でうたた寝をしていた徹はむっくりと起き上がった。

「何か言ったか?」

 だが、応は悪夢に取り憑かれているのか、それには返事をしない。

 ただ、夢の中の相手を必死で掻き口説いているようだった。

「そんな茶碗、どうでもいいじゃない」

 もっとも、やましいところのある徹には、寝言かどうか量りかねたであろう。

 息子でなければ張り倒しているところを、顔をしかめて尋ねる。

「どうでもいいってこたあねえだろうよ」

 そこで応は、布団の上にばったり倒れた。

 畳の上に手を伸ばして、誰かを止めようとしているようである。

「張らなきゃいいじゃないか、そんな意地。偽物だっていいじゃないか……」

 そのまま、静かに寝息を立てはじめる。

 徹は安心したような、面白くもなさそうな顔でぼやいた。

「いい気なもんだよ、紛らわしい寝言を……」

 そこで大きなあくびをすると、パソコンの前であぐらをかく。

 ときどき居眠りしたりして、息子の寝言など、もはや気に留める様子もない。

 だが、その応の口元からは、微かな呻き声が聞こえていた。

「……望むところだって、そんな」

 そのときだった。

 部屋の隅にうずくまっていた猫が、不気味な声で、おわあ、と鳴いた。

 その輝く瞳が見据えているものがある。

 武智親子が眠る部屋に向かう廊下に、黒い影が佇んでいた。

 だが、徹がそれに気づく気配はない。

 やがて、友美の呻き声だけが微かに聞こえはじめた。

「あかん……そんなん無理や」

 幸か不幸か、応には聞こえていないらしい。

 次第に、その声は喘ぎへと変わっていく。

「引っ込めてんか、そんなん、いらん……押し付けんといて」

 布団の中でのたうち回るような音が聞こえてくる。

 友愛の声は、ついに悲鳴へと変わった。

「貰うたって、入れるところあらへん……狭すぎんねん、うち!」

 そこで、徹がようやく目を覚ました。

 眠気を払おうというのか、双方の掌で両の頬をぴしゃぴしゃと叩く。

「夜這い? こんな男所帯に物好きな……いや、待てよ」

 徹が廊下に目を遣ると、既に影はどこにもない。

 だが、徹はその後を追うかのように、武智親子が眠る部屋へと向かった。

 いつになく引き締まった顔でつぶやく。

「女が1人泊ってらあな」

 廊下は、うっすらと漏れ出したパソコンのバックライトに照らされている。

 そのぼんやりとした光の中で、影は立ち止まって振り向いた。

 どんな顔をしているかは、見えない。

 ただ、両の目だけが、黄色い燐光を滲ませている。

 それを目印にしたのか、徹の拳が影の顎あたりを正確に打ち抜いた。

 影はその場で、雲散霧消する。

 いや、まだ、人影があった。

 徹が、吐き捨てるようにつぶやく。

「お前か」

 再び、拳が相手の頭めがけて弧を描く。

 鮮やかなフックが決まったかと思ったときだった。

 人影は、跡形もなく消えた。

 さっきのが微塵に砕け散ったと言い表せるなら、こちらは点いた電球の光が急に消えたとでもいうべきであろう。

 代わりに、徹の顎の真下には、別の男の拳があった。

 ぼんやりと見上げるその顔は、あの井光のものである。

 何が起こったか分からないという様子で、目を白黒させながら尋ねた。

「石根はん……さっきのはどこですねん」

 徹は、拳を引っ込めて後ずさる。

 まさかという目で、井光を見つめていた。

 当然であろう。

 あの貧相で見るからに鈍臭い、臆病そうな中年男には無理な芸当だ。

 徹の拳を米粒ほどの差で、瞬く間にかわしただけでない。

 死角から胸元に飛び込んで、顎へのアッパーカットを入れるなど。

 しばしの沈黙の後、ようやく徹は口を開いた。

「何でえ、さっきのって」

 白々しくとぼけてみせる。

 夢でも見たのかと、自分を疑っているのであろう。

 だが、井光は大真面目に問い詰めた。

「あれですがな、暗うて顔は見てまへんねんけど」

 徹は徹で、いつになく困り果てる。

 たじろぎながらも、わざとらしいまでに強がってみせる。 

「俺が知りてえや、あの夜這い、どこへ逃げくさった」

 さすがに井光も頭に血が上ったらしい。

 目を吊り上げて、徹へと掴みかからんばかりに詰め寄る。

「夜這いやて! アホンダラ、ワシの娘に!」

 その勢いに、徹は後ずさった。

 おろおろとなだめにかかる。

「おい、落ち着かねえか、俺じゃあねえ、俺じゃねえっての!」

 そこで井光も我に返ったのか、人が変わったように縮み上がった。

 飛びすさるなり、廊下で土下座をついた。

「あんさんが娘に夜這いかけた? まさかそんなこと、ちいとも思うてまへん!」

 だが、徹は言いがかりをつけられたと怒る様子もない。

 怪訝そうに考え込むばかりである。

「いや、この辺のチンピラヤクザどもは、俺があらかたシメちまったのさ。この家に若い娘がいるからって、忍び込むバカはいねえはずなんだが……」

 そこでふたりとも、しばし互いに明後日の方向を向いて考えた。

 異口同音につぶやく。

「昔……こんなことがあったような」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る