第7話 受肉
『亀裂』突入から4日目の朝の事だった。もちろん朝とは言っても日が沈んだり上ったりする事はないが、元の世界の時間としては間違いなく朝だ。その時、荒廃した景色に変化が生じた。
いつでもぼんやりと薄暗いこの世界だが、目的の方角が一面黒いもやに覆われてしまったのだ。最果てを連想させる風景。ひょっとすると、気付かぬうちに目的地を通り過ぎてしまったのかと不安になったが、すぐに違うと気づいた。
段々と近づき、よく見えるようになってくると、もやは蠢いていた。あまりにも巨大かつ色も黒いので立体感が掴めないが、触手のような物が伸びたり縮んだりしている。
僕達はどうやら、目的地に辿り着いたらしい。
「……ランド、これと結婚するの?」
ライカの問いは冗談にしか思えないほど非現実的だった。
「ていうかあたし達も将来的にはこれと一緒に暮らすんでしょ? ゴミ出しとか頼んで平気かな?」
ミスティは明らかにおふざけ入ってるが、投げやりになる気持ちは分からなくもない。
この怪物の壮大さたるや、山や城では比較にならず、海、もしくは国と比べてようやく天秤が釣り合う。もはやこうなると他の怪物達のような生物の面影はなく、ただただ超自然的な存在になっている。
これが自らをユキと名乗り、僕の精液を欲しているというこの状況は、どう考えてもおかしいし、控えめに言っても狂っている。
さて、どうしたものかと途方に暮れていると、ライカが指差して言った。
「……あ、あそこ。……見て」
見ると、黒いもやの中に1点、ポツリと穴があいており、仄かな光がある。ここに来いと言っているのだろうか。
ミスティが舵を取り、船を穴の方に向けて進める。そのまま30分ほど進むともやの色は濃くなり、触手にも触れられるぐらい近くなってきた。もちろんクラウの教訓から触れはしないが、とにかくこれで逃げるという選択肢は無くなった。
「このまま船ごと食われて終わりだったらウケる」
ウケないよミスティ。その可能性も否定は出来ないけど。
やがて黒いもやは洞窟のように変わり、ハネムーン号を避けるようにして道が開いていく。明らかに見られている感覚があるが、声をかけてきたりする様子はない。喋れないのだろうか。元の世界ではトレイスの肉体を借りていたが、今は儀式の出来る魔術師がいない。
「ここってさあ、言ってみれば死後の世界な訳だよねえ?」
ミスティが突然そんな事を言った。
「ほんでこいつって人間の魂が共食いし続けてここまででっかくなった訳でしょ? って事はさあ、あたし達が死んだらこの怪物の中に結構な確率で取り込まれる訳じゃん? それって怖くね?」
怖いね。
「……ランドと一緒なら、それでもいい」
良くないよ。
クラウが寝込んでいるせいで、いつにも増して2人が好き勝手な事を言っている気がする。ツッコミ役がいないとやりたい放題になるのは仕方のない事だが、自重してもらえると助かる。
やがて僕達はそこに辿り着いた。
もやだった物は濃くなりすぎて、既に漆黒の壁に変わっている。行き止まりになり船を止める。球体内部のような部屋の中心に、親指ほどの真っ白で小さな宝石がふわりと浮かび、光を放っていた。
「……あれ、だよね?」
そうだとは思うが、確信は持てない。すると、周りの壁から細いもやが触手のように伸び、まさぐるようにして船の周りを囲んだ。
「何か探してるっぽいな。あ、あれか」
ミスティが急いで船内に入り、僕もそれを追いかける。師匠から預かった物を今こそ使うべきだ。
甲板に1体の女の子を運ぶ。生きてはいないが死体という訳ではない。これはポリモドールを更に発展させて作った「人間の素体」だ。人体の持つ器官は全て揃っている。ダビドの協力によって、脳の機能まで完全に再現した。だが命だけは再現出来なかった。師匠の禁忌の研究がここに来て役に立った訳だ。
触手がゆっくりと近づいてきたので、僕達は慌てて離れる。
女の子の身体は、僕と同い年くらいを想定していたが、急いで作る必要があった為身体は小さめだった。今は検体用の白い服を着せているが、凹凸はほとんど無くぺたんこで、ほとんど子供と言っても良い状態だ。造形した師匠曰く、やはり大人と子供の身体では後者の方が作るのが楽なのだそうだ。
触手は形を確かめるようにして身体に触れたが、やがて一斉に引くと、白い宝石の周りをぐるぐると回り出した。これを取れ、と言われているようだ。
「ぼ、僕がやります」
一歩前に歩み出る。船をゆっくりと近づけて、石に触れる。
それは驚くほど美しかった。
石を慎重に身体まで運び、額の上に載せる。すると一斉に黒いもやが引いた。そしてずしん、という音が鳴った。
「な、何!?」
「わ、あ、あ、あれ!?」
壁になっていたもやが、再びぐねぐねと形を変える。ぼこぼこと泡立ち、沸騰したようになっている。ぼとり、ぼとり。天井から黒い塊が落ちてきた。
明らかに崩れている。
ライカとミスティが僕を挟むようにして身体を寄せ合う。今まで触手となって統率されていた黒い塊は、個々の意識を取り戻したかのように動き出した。甲板の上に偶然乗った物は、こちらを認識して向かってくる。
やばい、死ぬ。
そう思った瞬間、足元で寝ていた少女が音もなく足だけの力で立ち上がった。
「餌に死なれては困る」
船を中心に純白の魔術障壁が展開された。
黒い塊は弾き飛ばされ、その全てが船から落ちた。
空から落ちる黒い塊も、防壁に阻まれて中には入ってこれないようだった。
「貴様ら、さっさと船を出せ」
そう命じられ、ミスティは慌てて操舵席に戻り、ライカはクラウの無事を確認しに船内に戻った。
「餌よ」
たった今肉体を得たばかりのユキが両手を広げながら僕に近づいてくる。
一体何を命じられるのか、緊張感が高まる。
「答えろ。1日に最高で何度出せる?」
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