第10話 トラウマタイズ

 王都に来てから1週間が経った。


 山奥と違って薪割りやら水汲みなどをしなくても良く、希望すれば大抵の物はもらえるので、生活は何不自由無い。


 一方で、嫁探しをしなければ世界が終わるというプレッシャーは半端ではなく、夜はいまいち眠れない。


 師匠にその事を相談すると「ならばこれを抱いて眠れば良い」というアドバイスと共に、師匠とレインさんの分のポリモドールまで渡された。


 何かにしがみついて寝ると安心して眠れるという理屈は分からなくも無かったが、それが呼吸する全裸の女体となると別の意味で眠れなくなる。


 例の暗殺者の件は、レインさんが中心となって捜査を進めている。


 暗殺者を嫁候補として紹介した他国の使者は罪を認めて投獄されたが、祖国の関与は否定した。


 あくまで自己判断で僕の事を危険視し、暗殺という選択肢を取ったそうだ。


 やはりレインさんが睨んだ通り、暗殺者の持っていた針には毒が塗られていて、1度刺されれば数時間後に呼吸が止まって死ぬという代物だった。


 レインさん曰く、人体の中でも痛みを感じにくい場所(肘の皮や臀部など)に向けて上手く刺せば、相手は刺された事にも気付かず死んでいくらしい。


 あの時、もしもレインさんが僕と同様に部屋のノックに気を取られて視線を外していたら、僕は訳も分からぬまま死んでいたという訳だ。


 レインさんは命の恩人だが、僕はその恩に報いれずにいる。


「あらあら、これは困った事になったね」


 測定器でレインさんのバフ倍率を測る。205%という数字が出た。


 前の時よりも、というか最初に測った時よりも明らかに下がっている。レインさんは苦笑しており、僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになった。


「おそらくだが」師匠はこの現象を冷静に分析する。「ショッキングな光景を見た事によって、ランドはレインに対してある種の恐怖を抱いてしまっているのだろう。頭では、ああしなければ殺されていたと分かっていても、あまりにも突然でエグかったからな」


 確かに師匠の言う通り、僕は今レインさんにビビっている。


 あんな簡単に、何の躊躇もなく一瞬で人の命を奪える人と、普通に話せるはずがない。


 それが兵士という物であり、レインさんが優秀な証拠なのだが、それでも僕のような小心者には『亀裂』の向こうにいるという怪物と区別がつかない。


「……ふむ。このまま彼のトラウマが解消しなければ、私はお役御免ですかね?」


「いや、それでもまだ倍率が高い方ではある。新しい嫁候補も見つかっていないからな」


 暗殺未遂事件の後、1日に3人ずつ面談は続けられていた。


 事前にきちんと身分を調査し、身体検査もした上で臨む体制となったが、それでも緊張感はある。


 簡単に心を開けないし、それによってバフ倍率も伸びない。これが人間不信という奴なのか?


「こうなれば、セックスしかないか」


 ぽつりと師匠がそう呟いて、僕は自分の耳を疑った。


「し、師匠。今何かものすごい事を言いませんでした?」


「……ん? セックスだよセックス。繁殖を目的とする性行為だ」


 さも当然の事のように言うので、僕はもう1度聞き返そうかと思ったが、何度も言わせるのも恥ずかしかった。


「雄として雌を屈服させるには手っ取り早い手段だろう? トラウマを克服しつつバフ倍率を上げる最後の手段だ。ランドもそろそろ女体との肉体的接触に慣れてきた頃だろうし、それしか無いと思うが」


 師匠はいつでも正しい。


 ここまで断言するのだから、おそらくそれが今取れる最善の方法なのだろう。


 だが肝心なのはレインさんの方だ。


 いや、彼女も経験豊富そうだし、師匠の意見に同意するのだろうか。


 と、横目でちらりと表情を伺うと、そこには耳まで顔を真っ赤にしたレインさんが立っていた。


「その反応、レインも初めてか。ならばちょうど良い。初めて同士なら親近感も湧くだろうし、今から早速……」


「ま、待ってくれサニリア殿」


 いつも冷静沈着なレインさんが、慌てている所を僕は初めて見た。


「確かに、男女間の仲を深める為にそういう手段があるというのはよく聞く。だが今の彼の精神状態で、コトをきちんと終わらせる事が出来るか? あ、いや、彼を見くびっている訳ではない。私も別にする事自体は構わない。ただ、失敗してしまったり私に失望してしまったりすると、問題が余計ややこしくなるという可能性も……」


「怖いのか?」


「怖い事などあるものか」レインさんは明らかにムキになって反応する。「私も戦士だ。戦場では敵に捕まれば陵辱される可能性もある。覚悟は出来てる」


「の割にはいつもより口数が多い気がするが」


 また2人は険悪なムードになるが、今回は対等ではなくレインさんの分が明らかに悪い。


「ちょ、ちょっと待ってください」


 このまま行くと最悪殺し合いになると思った僕は声をあげた。


「問題は僕にあるんですから、解決も僕がします。レインさんは何も悪くありませんし、無理にそういった行為をする気はありません」


「どう解決する? 具体的に」


「そ、それは……」


 場を収める為に言っただけで何か考えがあった訳じゃない。そんな事は師匠なら一瞬で見抜く。


「……まあ、君を責めた所で事態は好転しない。しばらくは様子を見てみよう。落ち着けば苦手意識も薄れるかもしれない」


 気まずそうなレインさんに、師匠が尋ねる。


「これからそれどころじゃなくなる可能性もある。例の件はどうなった?」


「……まだ調査中ですがかなりまずそうですね。準備は進めておいて下さい」


「分かった。タイミングは任せる」


 ……?

 一体何の会話をしているのか、さっぱり分からない。


「あの、何です? 調査とか準備とか」


 師匠とレインさんがこっちを見て、再度2人で顔を見合わせた。それから師匠が僕に質問する。


「何故、君は命を狙われたんだと思う?」


 確かに、それは僕も気になっていた事だ。誰かに恨まれるような事を、少なくとも僕はした記憶がないし、手前味噌で申し訳ないが仮に僕が死ぬと『亀裂』への対抗手段が無くなる。


 犯人は僕の破壊呪文に恐怖を抱いたと言っていたが、それだけですぐに行動に移すのは早計に思える。


「……分からないです。誰でも良かった、とか?」


「そんな馬鹿な事があるか。あれだけの腕の暗殺者が趣味で人を殺すはずがない」


 それはそうだ。ならば何故。


「ここに来てからの行動を思い返せば自ずと答えは見えてくる。宿題としておこう」


 師匠はそう言って部屋を出て行こうとした。


「し、師匠はどこへ?」


「野暮用だよ」


 後を追うようにレインさんも出て行く。


「同じくって感じかな。あ、でも安心してくれ。君の護衛は彼が務める」


 入れ替わりで入ってきたのは、初日に僕を監視していたヘンドリクス氏だった。


 女王陛下直属護衛隊の隊長。ガタイがよくて寡黙な人だ。


 2人きりになり、重い沈黙が漂い始める。


 ただ、それでも僕はこの状況にちょっとした安心感すら抱いていた。


 圧の強い女の人達に責められるよりも、こうして本を読んでいる方が落ち着く。


 それにしても、僕が暗殺されそうになった理由。


 いくら考えても分からず、途方にくれる。

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