第10話 作戦終了

「……君の……」


 レインさんが僕の手を握る。弱々しく、絹のように柔らかで、普段この手が剣を握っているのが不自然に思える程に繊細だった。


「……君の未来が……見たかっ……た」


 目をつぶり、一筋の涙が流れる。


「レインさん! レインさん!」


 レインさんが、死んでいる。


 目の前にある光景なのに、やけに遠くに見える。


 抱いた感情としては、「眠い」。意識が落ちていく時の感覚。まどろみ。


 そのあとにやってきたのは疑問だ。


 何故こんな事に?


 再度僕は自分の耳をレインさんの胸に当てる。

 そこにはもう何も無い。空虚自身がある。

 さっきまで当たり前にあったはずの物が、今は失われている。


「何してんの! しっかりしなさい! ランド!」


 名前を呼ばれて、僕の意識が戻った。声の主はクラウ様。

 さっきまで魔法陣に囚われていたが、あの女魔術師がいなくなった事により解放されたらしい。


「どうにか出来ないの!?」


 そう言われても、と僕は思った。女魔術師が放った一撃はレインさんの胸を貫き、皮膚を焦がし、完全に心臓を停止させた。見る見る内に顔も色を失っていく。


「……もう! サニリアを呼んでくる!」


 そう言って、クラウ様は階段を登っていった。


 取り残された僕は、ただ呆然とレインさんの死体を眺める。


 一方で、僕の頭の中は必死に答えを探していた。

 クラウ様が師匠の名前を出した事で、僕が普段している事、課題に取り組んだり、試験に挑戦したり、魔道書を読んだりしている頭の動きが再現されたのかもしれない。


 何か答えがあるはず。絶望的な状況の中にも、進むべき道は必ずあるはず。


 ふと、僕の視界にある物が入った。


 先ほど、レインさんが父から渡された母の形見の魔石だ。黄色くて大きい。何も『付与』されたり『移植』されていない純粋な物。おそらく店で買えば相当な値が張るだろう。


 ほとんど無意識に僕はそれを掴んでいた。


 何をどうすれば良いかはまだ分からない。だが僕に出来る事は限られてるし、僕がしたい事はたった1つだ。


 レインさんを取り戻す。


 僕は魔石をレインさんの胸にあてがった。


 昨日の夜、『選ばれなかった者』の焼印に触れた時、位置は確認している。そのリズムも、強さも、美しさも、確かに僕は覚えていた。


 無謀な事をしている自覚はある。師匠から教わった事でもない。

 だが今僕がそれをしなければ、一生後悔する事になる事だけは分かる。


「……戻れ、……戻れ! ……戻れええええ!」


 気づくと僕は叫びながら、「レインさんの心臓」を「形見の魔石」に『移植』しようとしていた。


 正しい方法かは分からない。正しい判断なのかも分からない。

 だが今僕がそれをしなければ、一生後悔する事になる事だけは分かる。


 ただ、僕はレインさんに死んで欲しくなかった。


 僕はレインさんが好きだった。過去形で終わらせたくない。


 ……ッドクン。


 一瞬、手で触れた魔石が脈打った気がした。気のせいかもしれない。


 ドクッ……ドクッ……。


 続けて2回。僕は昨日の夜に触れた感覚を思い出した。


 ドクン、ドクン、ドクン……。


 魔石はレインさんの焦げた肌に密着し、一体化していた。

 気づけば黄色かった魔石の中に、鮮やかな赤い線が混ざっている。


 奇跡が進行している。それは明らかだ。


「……かはっ」


 レインさんの口が開き、喉が動いた。


 呼吸も取り戻し、目が開く。こっちを見る。


「レインさん!」


 僕が名前を呼びかけると、レインさんはいつものように優しく微笑み、その手で僕の頭を撫でた。


「ランド……」


 水がぽたりとレインさんの胸に落ちて、僕はそれがどこから来たのか不思議に思った。視界が滲んでいるのに気づいて、後から僕の涙だと気づいた。


「ありがとう」


 レインさん、ふざけないでくれ。


 感謝すべきなのは僕の方だ。レインさんは僕を庇って女魔術師の一撃を受けた。


 生き返ったのはただ運が良かっただけで、僕は何一つしていない。無力なままだ。


 そう言いたかったが、今の僕にはレインさんの手を握りしめる事しか出来なかった。




 明け方、僕達は拠点である宿屋に戻ってきた。


 逃げた女魔術師は、こちらに向かっていた師匠と屋敷の玄関で鉢合わせになり、それでも逃げようとしたが、師匠を呼びに行ったクラウ様との挟み撃ちはどうにもならなかったらしい。今は『捕縛』をかけた上、ロープでぐるぐる巻きにして杖も奪い、部屋に転がっている。


 その後、ライカと他に囚われていた女性達も無事に解放する事が出来た。ただ、僕達は世間的には死んでいるので、身元を明かす訳にはいかない。

 名乗らず、「旅人達」が助けてくれたという事にして、『捕縛』された教団の者達とレインさんの父の遺体を民兵に突き出すと約束してもらった。


 唯一僕達の素性を知っているネッドには死んでもらうしかなかった。


「ま、ま、待って下さい! 決して誰にも言いません。どうか、どうか命だけは……」


「この期に及んで命乞いは見苦しいなあ」

「裏切っておいてそれは無いわね」

「仕方ない。死ね」


 3人はそう言うと、それぞれの武器を構え、ネッドに突きつける。


「ちょ、ちょっと一旦落ち着きましょう」


 僕がそれを止める。流石に、いくら裏切り者の狂信者で人殺しだとしても、命乞いまでしている無抵抗な相手を殺すのは気が引けた。


「……殺さずに、自首してもらうという訳にはいかないですか」


「ランド。気の毒だがこいつは私達の事を喋るぞ。旅の安全の為には死んでもらう他にない」


 師匠の言う事はもっともだ。行商人の味方を売り、僕達も裏切ったネッドを今更信頼する事など不可能に近い。


「い、言いません。決してあなた達の事は言いませんから、どうか、どうか助けてください……」

「黙れ。誰が喋っていいと言った」


 ネッドが縮こまり、震えながら頭を下げている。


 その姿があまりにも哀れで、僕は無性に悲しくなってきた。


「……やっぱり、殺すのは良くないと思います」


 理にかなっていない事は分かっている。この場合の正しい答えは、死によって口に鍵をかける事。それでもなお、命は命だ。どんな人にも生きる権利はあるはず。


「ランド様に賛成しますわ」


 意外にも、最初にそう言ったのはクラウ様だった。


「やっぱり、流石に殺すのはかわいそうです。ね? ランド様」


 あ、露骨に点数を稼ぎに来ている。それには気づいたが、味方が増えたのはありがたい。


「まあまあ、このパーティーのリーダーはランドだ。決定に従うよ」


 レインさんもそう言ってくれた。


 最後に師匠が、「……仕方ない。ここでランドの機嫌を損ねるとバフ倍率が下がる」と言った。正論なんだが、納得はしていない様子だ。


 ネッドは何度も僕に感謝した。

 宿屋の主人に多めに金を渡し、僕達の素性を隠しつつ事情を説明して、ネッドの自首に付き添ってもらう事にした。


 あとはライカだ。


「しばらく見ない内に、何だかよく分からない事になってる……。うう……説明して欲しい……」


 ライカはじとっとした目で僕を見ている。


 さて、どこから話したら良い物だろうか。

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